2025年11月号

2025/10/09

【NEW】無可動実銃に見る20世紀の小火器 MG42

 

▲MG 42のフィードカバーを開けた状態。裏側には、ボルト後部から突き出た突起と噛み合い、ボルトの前後運動と連動して給弾機構を左右に動かすホローフィードアームと、ベルトリンクを引き込むフィードポールス(Feed Pawls)が装着されている。このMG42の給弾機構は戦後アメリカがM60マシンガンを開発する際に参考にされた。

 

MG42

 ドイツ軍によるMG34最終完成型の正規採用は1939年1月24日となっている。しかし、それよりも前の1937年、ドイツ陸軍兵器局(HWaA)は、早くも次世代新型汎用機関銃の開発要請を発した。MG34より低価格で量産でき、過酷な環境にも強く、さらにバレル交換がしやすく、より高い発射速度を持つマシンガンが必要とされたのだ。
この時の開発依頼先は、当時板金加工製品の製造会社であったMetall- und Lackwarenfabrik Johannes Großfuß(メタル・ウント・ラッキーア・ヴァーレン・ファブリーク・ヨハネス・グロスフス:略してグロスフス)、ランタンメーカーのStübgen(シュトゥブゲン)、そしてラインメタルの3社だった。この中で銃器製造実績のあったのはラインメタルだけでしかない。
 シュトゥブゲンの銃は、モックアップの段階で、早くも見込み無しとして排除された。そして、グロスフスのリコイルオペレーテッドモデルと、ラインメタルのガスオペレーションモデルが試作された。この2機種を比較検討した結果、1938年4月、グロスフスの試作マシンガンがMG 39と名付けられて継続開発対象に選定した。
 このMG 39は、同社の技師Werner Gruner(ヴェルナー・グルーナー)が開発したものだと伝えられている。彼はそれまでに銃器を設計した実績はない。また軍隊経験もない。いわば銃器に関しては素人だ。そのような人物が開発したMG 39が、ラインメタルの試作銃(MG 39RHと呼ばれる)を退けたわけだ。これは驚くべきことだろう。
 しかし、現実はだいぶ異なるように思える。実際はグロスフスの試作マシンガンより、ラインメタルのMG 39RHの方が優秀だったという説がある。ところがMG 39RHはガスオペレーションだった。バレルの途中にガスポートを設け、そこからガスを引き出し、ガスピストンを作動させる一般的な構造だ。当時、ドイツ陸軍兵器局はこのバレルにガスポートを開けることにかなり批判的だったと言われている。事実、1938年の時点で、ドイツ軍が採用した銃にはガスオペレーション機構を採用したものが一つもない。
 ラインメタルの試作銃がガスオペレーションだったため、ドイツ陸軍兵器局はリコイルオペレーテッドのグロスフス製試作マシンガンを継続審査の対象にしたらしいのだ。
グルーナーの試作マシンガンは確かにレシーバー、バレルジャケット、グリップフレーム、フィードカバーなどの主要外装パーツは全てプレス加工としており、生産性は著しく改善していた。しかし、銃としての構造、機能はMG 34のままだったと推測する。
 後に採用されるMG 42の最大の特徴は、単なるショートリコイルによるリコイルオペレーテッドではなく、ローラーロッキングであったということだ。ここでいうローラーロッキングは、戦後ヘッケラー&コッホがG3やMP5で活用したローラーディレイドブローバックではなく、ボルトヘッド側面に装着されているローラーにより、ボルトが確実にロックされた“本当のローラーロッキング”だ。そのロックを解除するためにバレルとボルトがショートリコイル作動し、これによってローラーのロックを解除する。
 ローラーロッキングは、ポーランドのEdward Stecke(エトヴァルト・シュテッケ)が開発したもので、1934年にパテントを取得、W.z.37セミオートマチックライフルに組み込まれた。
 1939年9月、ドイツとソ連がポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まった。ドイツ軍はこの時、ポーランドのラドム造兵廠を接収、そこでシュテッケの設計したマシンガンのモックアップと図面を入手した可能性がある。おそらくその時に得た情報がドイツ陸軍兵器局に伝えられ、汎用マシンガンの開発に用いられたのでないだろうかともいわれている。
 だとするとヴェルナー・グルーナーが1938年に試作したMG39には、ローラーロックは組み込まれていなかったはずだ。この段階のMG39は現物が現存していないと思われる。
 MG42について書かれたものを複数読んでみたが、どれも書いていることが異なる。どうやらこのMG42も開発に関しては確立された定説がなく、曖昧な状態のようだ。そしてもはや今更、真実が見つかることはないだろう。
 以下は得られた情報から導き出した自分なりの解釈だ。
 ヴェルナー・グルーナーがローラーロッキングを開発し、MG42を完成させたと書いているものもあるが、彼はそのパテントを取得していない。ドイツの秘密特許にもないとなれば、MG42はポーランドのエトヴァルト・シュテッケの原案を参考に完成したものだと考える方が自然だ。ヴェルナー・グルーナーの戦後の動きを調べてみても、銃に関連するものがほとんどない。あくまでもプレス加工などの金属加工に関する実績のみだ。
 おそらく、銃としては全く不完全な試作品であったMG39にローラーロッキングを組み込み、完成形としたのは、グルーナーではなく、誰か別の銃器設計者、およびグロスフスではない別のメーカーであった。ラインメタル、またはマウザーであった可能性が高い。そしてそれを主導したのは、ドイツ陸軍兵器局であった。ここまでが私の推測に基づく解釈だ。

 

▲フィードカバーを開いた状態のMG42レシーバー上面。3本のワイヤーを撚り合わせた強力なスプリングがボルト後方に配置されている。ボルト上面にある円柱型の突起が、フィードアームと噛み合い、フィードアームを左右に動かす。ボルトの前部にはロッキングのためのローラーが一部見える。


 1941年には改良を施したMG 39/41が部隊試験用として約1,500挺製造され、実戦投入された。そして1942年の早い時期にMG42が正式に採用された。その間にもMG42の量産体制は整えられており、直ちに量産が始まった。
 MG42を生産したのは、 Großfuß AG(グロスフス)、Mauser-Werke AG(マウザー)、Gustloff-Werke(グストロフ)、Steyr-Daimler-Puch AG(シュタイヤー・ダイムラー)、MAGET (Maschinen-und Geraetetbau GmbH)の5社で、1942年に17,915挺、1943年には116,725挺、1944年になると211,806挺を製造し、1945年にはドイツが5月に降伏するまでに61,877挺が製造されている。
 MG42は高度な技術により、約2.5mmの鋼板をプレス加工して本体レシーバー、バレルジャケット、グリップフレームを製造している。これにより、特殊合金を削り出し加工して製造するMG34と比べ、生産性が大幅に向上した。

 

▲プレス製グリップフレームにベークライトのグリップパネルが装着されている。グリップパネル上面後方にある丸いパーツがクロスボルトセイフティで、ボルトがコッキングポジションにあるときだけ、セイフティをonにできる。写真はoff状態でセイフティをonにすると側面から少し飛び出してSの文字が見えるようになる。