2025/10/09
【NEW】無可動実銃に見る20世紀の小火器 MG42
右:リアサイト側面には対空射撃用リアサイトが折り畳まれている。写真は起こした状態で、この曲がった前端部の穴と対空射撃用スパイダーサイトで敵航空機に照準を付ける。高速で移動する航空機に直接照準を合わせても、銃弾が到達した時には航空機は移動してしまっていて当たらない。スパイダーサイトは蜘蛛の巣状の形で、これを用いて航空機の数秒後の位置を予測し、そこに向けて射撃する。
MG 34
そこでドイツ陸軍兵器局(Heeres Waffenamt;HWaA)は、1932年に新型汎用機関銃の要件を正式に策定した。その内容は以下の通りだ。
一機種の兵器で複数の戦術的役割に適応できること。
製造、保守、訓練を簡素化できること。
歩兵が携行しやすく、軽機関銃として効果的に使用できること。
クイックチェンジバレル機能を有すること。
7.92×57mmマウザー弾を使用すること。
セミ・フルセレクティブファイアであること。
空冷であること。
1920年代後半から30年代初頭にかけて、ドイツでは複数の銃器メーカーがマシンガンの開発をおこなっていた。ベルサイユ条約はマシンガンの開発を禁止していたにも関わらずだ。
伝統的なスポーツ銃、ならびに狩猟銃メーカーであったHeinrich Krieghoff Waffenfabrik(ハインリッヒ・クリークホフ)でもマシンガンが試作されたし、鉄道車輛やそのブレーキシステムを製造するKnorr Bremse(クノール・ブレムゼ)もガスオペレーションマシンガンを試作した。ボルトアクションライフルで知られるMauser Werke(マウザー)では、Ernst Altenburger(エルンスト・アルテンベルガー)の原案を元にHeinrich Vollmer(ハインリッヒ・フォルマー)がショートリコイル, ロテイティングボルトロックの試作ライトマシンガンを開発した。この銃はバレルのショートリコイルでボルトヘッドのロッキングを解く構造だが、それをより確実にするため、バレル先端部にマズルブースターを装備していた。
ドイツ陸軍兵器局は,各銃器会社のそれらの試作モデルを掌握管理していたことは言うまでもない。そして、マウザーの試作マシンガンに組み込まれたショートリコイルロッキングメカニズムに目を付け、これをルイス・シュタンゲがゾロトゥルンで完成させたMG 30と組み込むことを指示している。すなわち、ドイツ陸軍兵器局はマウザーとラインメタルに対し、メーカーの垣根を超えた共同開発を求めたわけだ。これを受けて、ハインリッヒ・フォルマーはルイス・シュタンゲと共にMG30の改良に乗り出す。
その際、ドイツ陸軍兵器局はマガジンに関してはMG13やMG15で使用されていたものと同等のダブルドラムマガジンを使用することを指示した。これは開発する銃がベルサイユ条約で禁止されているベルト給弾マガジンを使用するマシンガンではないように見せかける偽装だった。
ドイツ陸軍兵器局は汎用マシンガンの開発を目指していたが、それを知られることは明らかに条約違反となる。ドラムマガジンであっても、新型マシンガンの開発は条約違反であったが、ベルト給弾ではないとなれば、発覚した場合でも違反の度合いが低くみられるだろうという極めて微妙な判断によるものだ。
ハインリッヒ・フォルマーとルイス・シュタンゲが改良したMG 30は1934年、MG 34としてひとまずの完成を見た。そして1935年3月、ドイツは徴兵制の復活を宣言する。これはベルサイユ条約の履行に対する明確な否定であり、これが事実上の“ドイツ再軍備宣言”と言われている。これ以降、ドイツはそれまで禁止されていた兵器の開発を公然と進めるようになった。
その結果、いったんはドラムマガジン仕様として完成していたMG 34をベルト給弾仕様にもできるように改良、より本格的かつ汎用的なマシンガンに進化させている。
1937年、非分離型ベルトリンクGurt 34、およびGurt 35、そして50連のGurttrommel(グルットトロメル:弾帯装弾筒)34を使用するMG 34が完成した。この銃はフィードカバーを交換することで、75発装填可能なドラムマガジンPatronentrommel(パトローネントロンメル)34を装着することも可能だ。
MG34の量産初期型は、発射速度を高速と低速に切り替える機構も備えていた。高速連射モード(約900発/分)は対空機関銃として使用することを想定したものであり、低速連射モード(約400発/分)は地上の対象物を射撃するためのものだ。しかし、その速度切り替え機能は複雑で、初期生産型2,300挺に組み込まれただけで、それ以降は省略され、高速連射モードのみとなっている。
このMG34は汎用機関銃プログラムに基づき、バイポッドZweibein(ツヴァイバイン)を装着した状態でライトマシンガン、大型三脚Lafette(ラフェッテ)34を装着してヘビーマシンガン、さらにDreibein(ドライヴァイン)34、および二連装銃架Zwillingssockel (ツヴィリングゾッケル)36に装着して対空火器、及び戦車、装甲車等の車輛搭載火器Panzermantel für(パンツァーマンテル・フュール)MG 34として使用された。
1936年にMG34の部隊配備が始まり、ドイツ軍は20年以上前に構想が生まれた“一機種で様々な用途に用いられる汎用マシンガン”を遂に装備するに至った。
しかしMG34は、そのほとんどのパーツが高品質鋼材からの高精度削り出しによるもので、その生産性は悪く、量産には向かなかった。また高精度ゆえ、泥や砂塵などにまみれた過酷な環境での作動性能はややデリケートとなるという問題も抱えていた。
さらにそのバレル交換機能も、使用方法によっては問題があることが指摘された。MG34のバレルはバレルジャケット内に収まっており、交換する場合は、バレルジャケットとレシーバーを180°回転させ、バレルジャケット後面を開き、銃口側を上に傾け、熱くなったバレルを後方に引きだすという手法が必要だった。MG 34を単体で使用している状態であれば、容易にバレル交換が可能だが、銃本体を大型三脚ラフェッテ34に載せている場合、銃口を上に傾けることがかかなり難しい。
また対空火器として使用する場合、航空機の高速化に対応するためには、900発/分の発射速度では遅すぎた。


