2025/10/09
【NEW】無可動実銃に見る20世紀の小火器 MG42
ドライゼ/ラインメタル
話は少し過去に遡る。1841年、Johann Nikolaus von Dreyse(ニコラウス・フォン・ドライゼ:1787-1867)が開発したブリーチローディングライフルであるZündnadelgewehr(ツュントナーデルゲヴェーア:ニードルファイア銃)がプロイセン軍に採用された。この時代の主流はマズルローダー(前装銃)であり、1866年の普墺戦争ではこの銃がプロイセンの勝利に大きく貢献したといえる。これによりドライゼは銃器メーカーとして大きく発展したが、その後の時代の変化への対応が遅れ、金属薬莢時代になると、それまでの優位性を失ってしまう。
プロイセンが中心となって新たにドイツ帝国が成立したのが1871年だ。そしてこの国は軍用ライフルとしてマウザーGew 71を採用した。この時、ツュントナーデルゲヴェーアは過去の軍用ライフルとなったのだ。そんな1871年からちょうど30年後の1901年、ドライゼはRheinmetall (ラインメタル)に買収され、その一部門になってしまう。
1900年代前半、ルイス・シュマイザーはそんなドライゼにベルクマンから移籍する。そしてドライゼブランドでセミオートマチックピストルを開発すると共に、マシンガンの開発もおこなった。ベルクマン時代にシュマイサーが開発したマシンガンの改良は息子のフーゴ・シュマイサーがおこなっており、ルイスはこれとは異なる新たなマシンガンの開発に挑戦している。この時、ルイス・シュマイサーに師事したのがLouis Wilhelm Stange(ルイス・シュタンゲ:1988-1971)だ。
シュマイサーは新型マシンガン、ドライゼ モデル1907を開発、そして1912年にその改良型であるモデル1912が少数ながらドイツ軍に採用された。
この新型マシンガンは、ベルクマンのマシンガンに外観は似ているが、ロッキングシステムが大きく異なっていた。発射時にバレルとボルトアッセンブリーがショートリコイルし、その時、ボルトアッセンブリー後部の回転レバーが上方向に動き、これによってボルトのロックを解く。またバレルの後退時にボルトの後退エナジーをより高めるアクセルレーターレバーも組み込まれていた。
戦争が始まるとラインメタルは2つの改良型を製造している。それがラインメタル(ドライゼ)モデル1915とモデル1918だが、このモデル1918は第一次大戦でドイツが使った水冷式マシンガンの中では最も軽量な11.4㎏であった。ルイス・シュマイサーは1817年に他界していたため、このモデル1918はシュタンゲが中心になって改良したものだ。
ゾロトゥルンMG 30
第一次大戦で敗北により、ドイツはベルサイユ条約による厳しい軍事制限が加えられ、機関銃の保有数にも制限が加えられた。その中にはマシンガンの新たな開発禁止という項目があり、また自国軍のための小火器生産はSimson & Co.(シムソン)一社のみとされた。
しかしラインメタルは1929年にスイスの弾薬メーカーであるPatronenfabrik Solothurn(パトローネンファブリク ゾロトゥルン)を買収、同社を小火器メーカーWaffenfabrik Solothurn(バッフェンファブリク・ゾロトゥルン)として、ここでラインメタルの小火器開発を再開させた。そしてルイス・シュタンゲが開発したライトマシンガンMG 29(S2-100)を製作している。
このMG 29は量産されなかったが、その改良型であるMG 30(S2-200)がオーストリアとスイスで採用された。またハンガリー軍にもSolothurn 31.M Golyószóró(ゾロトゥルン31.ゴリショーゾロー)として採用されている。このGolyószóróはマシンガンという意味だ。
これら一連のゾロトゥルン マシンガンは約8.5㎏から9.5㎏という重量で、ライトマシンガンとしての使いやすさを実現している。
ラインメタルMG 13
またラインメタルはドイツ国内でのマシンガン開発も秘密裏に再開させ、戦争末期にシュタンゲが開発したラインメタル モデル1918を、ベルト給弾からボックスマガジン給弾方式に変更したGerat 13(ゲレート13)を製品化した。ボックスマガジンとしたのは、ベルサイユ条約によるマシンガン配備数制限を回避するためだ。ボックスマガジンならマシンガンにカウントされない。
1932年、ドイツ軍はこれをMG 13として新規採用した。この名称は、この銃が1913年にすでにあったものであるように偽装し、新規開発であることを連合国の監視から隠蔽することを目的としたもので、ドイツ軍はこれにより、新しいMG 13を装備することができた。
第一次大戦中にドイツ軍で計画されたEinheitsmaschinengewehr(汎用機関銃)プログラムのプランは、15年以上が経過しても生きていた。そのため新たに採用したMG 13がこれに適合するか、その確認がおこなわれたが、この銃は軽量マシンガンとして開発されたもので、汎用として使うことは様々な部分で難しいという判断に至った。


