2025/09/04
無可動実銃に見る20世紀の小火器 200 M1A1パラトルーパーカービン
M1カービンの量産
アメリカ軍はM1カービンの大量生産を急いだ。もはやいつ参戦してもおかしくない状況となっている。そして量産準備を進めている間に、日本軍が真珠湾を攻撃、これを受けて、アメリカは遂に第二次世界大戦に参戦した。
そのためM1カービンは、下記の11社によって量産がおこなわれた。それぞれのメーカー名と、それぞれの本来の製造品名、そして各メーカーが製造したM1カービンの生産数を記しておく。
・Inland Manufacturing Division インランドマニュファクチャリングディビジョン、ジェネラルモータース子会社でステアリングホイール製造メーカー、2,299,039挺
・Winchester Repeating Arms Co. ウインチェスターリピーティングアームズ、銃器メーカー、847,894挺
・Underwood-Elliot-Fisher アンダーウッド エリオット・フィッシャー、タイプライターメーカー,545,616挺
・National Postal Meter ナショナルポスタルメーター、郵便料金計算機メーカー、412,778挺
・Quality Hardware & Machine クオリティハードウェア&マシーン、部品製造メーカー、359,666挺
・International Business Machinesインターナショナルビジネスマシーンズ、いわゆるIBMで当時は事務用計算機メーカー、346,500挺
・Saginaw Steering Gearサギノーステアリングギア、ジェネラルモーターズ子会社の自動車ステアリングシステムメーカー、293,592挺
・Standard Products スタンダードプロダクト、銃器部品メーカー、247,155挺
・Rock-Ola ロック=オーラ、ジュークボックス、ピンボールマシンメーカー、228,500挺
・Saginaw Grand Rapids サギノーグランドラピッズ、業種不明 223,620挺
・Irwin-Pedersen アーウィン・ピダーセン、銃器製造メーカー、3,542挺
これまで銃器生産の経験のないメーカーが多数のM1カービンを製造している。この数字を合計すると5,807,902挺だ。しかし、M1カービンは第二次世界大戦中に6,221,220挺が製造されたともいわれている。先ほどの生産数にM1A1の140,882挺、M2カービンの220,300挺を加算しても数字が合わない。したがってこれらの製造数は必ずしも正確ではないのだろう。それでも、それぞれのメーカーは概ね上記のような数のM1カービンを製造したと捉えていただきたい。
実際にはこれらのメーカーすべてがM1カービンを完全な形で量産させたわけではなく、ほとんどのメーカーは特定の部品のみを製造し、それ以外はここに挙げた他社からパーツの供給を受けたり、あるいは多数の下請けメーカーが製造した部品を組み込んで完成させ、出荷している。これはすなわち、M1カービンは完全な部品互換性を持ち、他社で製造したパーツをそのまま組み込むことができたということだ。
上記の製造メーカーの中で、アイリッシュ・ピダーセンの生産数が2桁違いで少ないのは、同社が生産したM1カービンをアメリカ政府が承認しなかったためだ。その製品は銃としては完成しており、機能するものの、一挺ずつ擦り合わせによって組み上げられるという昔ながらの手法で製造されていたらしい。そのため使用されているパーツに他社製との互換性がないため、軍の検査基準に合格しなかった。結果として同社は1943年3月にM1カービン製造メーカーとしての契約を打ち切られている。
M1カービンを開発した人物だとされているデビット・マーシャル・ウィリアムス(David Marshall Williams:1900-1975)に関しては2016年10月号の本連載で解説している。諸説あるものの、M1カービンの実際の開発者はこの人物ではない。


