2025/09/04
無可動実銃に見る20世紀の小火器 200 M1A1パラトルーパーカービン

M1ライフルとM1911A1の中間に位置する個人防衛用火器がM1カービンだ。この銃は第二次大戦中にもっとも多く製造されたアメリカ軍の小火器となっている。小型軽量で操作性が高かったことから、空挺部隊もこれを活用、そのため、さらに小型化すべくM1A1パラトルーパーカービンが作られた。
*それぞれの画像をクリックするとその画像だけを全画面表示に切り替えることができます。画面からはみ出して全体を見ることができない場合に、この機能をご利用ください。

ピストルの限界
第二次大戦におけるアメリカ全軍の兵員数は16,112,556名であったと記録されている。戦争開始時においては334,473名であったため、15,778,083名も増強されており、これは実に48倍だ。
開戦時に、軍用ピストルの絶対数が不足することを認識したアメリカ軍は、M1911A1の増産を指示した。その結果、第二次世界大戦が始まる1939年まで製造されていたM1911A1は17,250挺であったのに対し、第二次大戦終結までに1,994,066挺もの数が製造されている。
その前の第一次世界大戦で製造したM1911は723,275挺で、リボルバーのM1917は318,432挺だった。第二次大戦開始時におけるM1911の残存数データを探したものの、見つかっていない。一方、M1917は約188,120挺が残っていたという記録がある。計算すると約59%だ。この値をM1911にも当てはめると、第二次大戦開始時には約426,000挺はあったということになる。
これらアメリカ軍の45ACPピストルすべてを第二次大戦に投入したとすると、その数は約2,600,000挺だ。これは第二次大戦の総兵員数の約16%に相当する。すなわち、第二次大戦に従軍した人の約16%がピストルを装備したという計算になるわけだ。もちろん正確ではない。38口径や380口径の銃は無視しているし、戦争中に損耗したもの も少なからずあっただろう。
当時のアメリカ軍でピストルを装備したのは、指揮官、将校、士官、下士官、機関銃手、砲兵、車両操縦手、戦車搭乗員、支援兵、航空機パイロット、および空挺部隊を含む特殊部隊と諜報局員などだ。
しかしながら、20世紀の戦場においてピストルはほとんど役に立たないといわれている。特別な訓練を受けていない普通の兵士では、25m程度先のマンターゲットにも当てることすら難しい。ましてや武器を持った敵と対峙した時、冷静な射撃は期待できないだろう。塹壕戦などの至近距離戦闘では、小型で取り回しが良く、連射できることから、上手く活用すれば有効な武器にはなるし、実際にピストルを用いて敵を倒したという戦闘の記録はある。しかし、その数はあまり多くない。
ピストルを近距離戦闘における有効な武器と位置付け、その活用技術の研究が本格化したのは、第二次大戦終結から長い時間が経ってからのことだ。それまでの軍用ピストルは、あくまでもそれを持つ兵士や士官の自衛のための武器にしか過ぎなかった。しかし、ライフルで武装した敵と遭遇した時、ピストルで勝てる見込みは低い。このことから、アメリカ軍の一部は1930年代初めの段階で、基幹ライフルを装備しない将兵には、ピストルより有効な自衛用火器が必要だと気付いていた。
武装した敵と遭遇した場合、素早くその敵を倒さなければならない。ピストルではそれが困難であるならば、もっと有効な武器を装備するしかないだろう。しかし、大きく重い軍用ライフルを装備することは、さまざまな理由で難しい将兵がいる。それならば、もっと小型で扱いやすく、特別な訓練なしに狙ったところに当てやすい銃を装備すればよいわけだ。
であるにもかかわらず、そのような銃の開発に向けて、軍が速やかに動き出さないのは、ピストルしか装備しない将兵が重武装の敵と遭遇する機会は少ないと考えられていたからだ。
一体だれがこの問題に気付いて最初に声を上げたのか、それについての記録はない。だが1938年には陸軍歩兵部隊の一部が、より効果的な武器の必要性を訴えた。おそらくスペイン内戦(1936-1939)の状況を分析した結果だろう。しかし、United States Army Ordnance Corps(アメリカ陸軍武器課)は動くことなかった。
その後の1939年、ドイツとソ連がポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発する。この時、ドイツは機甲師団を主力とする機動部隊と空挺部隊を活用し、敵の戦線を突破、包囲、分断する電撃戦を展開した。その結果、戦闘がおこなわれるのは常に最前線とは限らず、後方部隊が想定外のタイミングで攻撃を受けることが現実に発生するようになった。そしてそれを実行したドイツはフランスにも侵攻し、連合軍をダンケルクに追い詰め、西ヨーロッパの大陸から追い落としている。こうなると、最前線以外では戦闘はほとんど起こらないなどと暢気なことを言っている場合ではない。
1940年6月15日、陸軍歩兵部隊は改めて、新たな武器開発を要請、これを受けて、アメリカ陸軍武器課が遂に動き出す。同年10月、新たな銃器開発要請が主要銃器メーカーに対して発せられた。
ライトライフルの開発
新型銃の要求事項は以下の通りだ。
・重量を5ポンド(約2.27㎏)以下に抑えること。
・有効射程は300ヤード(約274m)で、現行のライフルと同等の精度を持つこと。
・32ウィンチェスター セルフローディング弾(32WSL)と同等の30口径、弾頭重量100~110grのフルメタルジャケット弾、初速約2,000fpsのリムレス弾を使用すること
部品点数は可能な限り少なくすること。
・容易なメンテナンスを可能とし、フィールドストリップに必要な工具は1つ(できれば薬莢)以下とすること。
・プローンで射撃する場合、リアサイトは目から2.5インチ以上6インチ以内とすること。
・サイトは2段階調整式のアパーチャーサイトとし、ウインデージ調整機能は不要。
・セミオート射撃が可能で、セレクターによりフルオート射撃も可能とすること。
・クリップロード可能なボックスマガジンを装備し、5発、10発、20発、50発のマガジンを用意すること。
・スリングまたは同等の装置で携行可能とすること。
・1941年2月1日までに提出し、同日に試験開始を可能とすること
これを受けて、各社は新型ライフル開発に着手した。またアメリカ軍はウィンチェスターに対し、既存の32WSL(セミリムド弾)を改良し、要求仕様に合致した弾薬を開発することを要請、ウィンチェスターはこれを受けて、弾頭重量110gr、初速1,900fpsの30カービン弾を開発した。但し、トライアルに用いる25,000発の納入はやや遅れて1941年5月1日にずれこんでいる。


