2025/09/04
無可動実銃に見る20世紀の小火器 200 M1A1パラトルーパーカービン
ライトライフル選定
この1941年5月1日から始まったトライアルに提出された銃は以下の通りだ。
・ハイスタンダード製 Carl Gustav Swebiliusデザイン
・スプリングフィールド造兵廠製ガスオペレーションモデル John C. Garandデザイン
・スプリングフィールド造兵廠製 Clarence E. Simpsonデザイン
・ベンディックス アヴィエーション コーポレーション(Bendix Aviation Corporation)製ガスオペレーションモデル George J. Hydeデザイン
・サベージアームズ製ロングリコイルオペレーションモデル John Pearceデザイン
・ハーリントン&リチャードソン製ブローバックモデル Eugene C. Reisingデザイン
・ウッドハル(Woodhull Corporation)製ブローバックモデル Frederick W. Woodhullデザイン、ウィンチェスター1905改造型
・オートオードナンス製リコイルオペレーテッドモデル
・ホワイト オートマチックガン コープ(White Automatic Gun Corp)製ガスオペレーションモデル Joseph C. Whiteデザイン、
・コルト製 Val A. Browningの試作モデル(案のみで現物は間に合わず)
フロントサイトはサイトガード付きのポストで、調整機能はない。
テストの結果、これらはすべて不合格となった。5ポンドという重量制限を達成できないものがほとんどであったことから、要求仕様は5.5ポンド(約2.49kg)に変更された。またフルオート機能と50連マガジンの要求は取り下げられ、セミオートのみでの再トライアルが1941年9月15日に実施されることが決まった。
ウィンチェスターのエントリー
当初ウィンチェスターはこのトライアルに参加する予定は全くなかった。同社は1930年代後半、アメリカ軍の新たな基幹ライフル開発を試みていた。1936年にはM1ガランドが採用され、その量産が1937年にスプリングフィールド造兵廠で始まったものの、様々な不具合が発生し、その配備は遅れていた。そこでウィンチェスターはこれに代わるより優れたセミオートライフル、30-06のM2を開発しようとしていたのだ。
しかし、その後にM1ガランドの量産上の問題点は解消され、1940年にはウィンチェスターでのM1ガランドの量産が始まっている。そのため、開発を進めていたM2ライフルは行き場を失った。しかし、この試作M2ライフルを見たアメリカ陸軍武器課小火器部門のRene R. Studler(ルネ・R・スタッドラー)大佐は、ウィンチェスターに対し、この試作銃に用いられた技術を転用し、ライトライフルを開発することを要請した。
最終的にウィンチェスターはこのトライアルに参加することを決め、動き出すのだが、そのとき既にサンプル提出期限まであと13日しかない状況だった。開発チームはM2ライフルを単純に縮小することを決め、これを実行した。
8月9日にこの再トライアル事前テストが実施され、ウィンチェスターが13日間で完成させた試作モデルと、ウッドハルコーポレーション製ブローバックモデルの改良型、そしてラッセル・J・ターナー(Russel J. Turner)製ガスオペレーションモデルが参加した。
ヨーロッパにおけるファシズムの台頭を受け、この時すでにアメリカはそれまでの孤立主義を改め、第二次世界大戦への参戦に向けて動いていた。1941年3月にアメリカは武器貸与法を成立させ、8月にはAtlantic Charter(大西洋憲章)を宣言している。参戦の機会を探っているアメリカは、ライトライフルの選定を急ぐ必要があった。
その後もテストモデルが集まってきた。
・オートオードナンス製リコイルオペレーテッド改良型
・ジェネラルモータースのインランドディビジョン製ガスオペレーションモデルGeorge J. Hydeデザイン(これはベンディックス アヴィエーションから引き継いだもの)
・ハーリントン&リチャードソン製ブローバックモデル改良型 Eugene C. Reisingデザイン
・スプリングフィールド造兵廠製ガスオペレーションモデル改良型 John C. Garandデザイン
・ラッセル・J・ターナー製ガスオペレーションモデル改良型
・ウィンチェスター製ガスピストンモデルの第二改良型
これらが最終的なエントリーモデルとなっている。そしてメリーランド州ハーフォード郡にあるAberdeen Proving Grounds (アバディーン性能試験場:APG)で、9月15日から25日まで再トライアルが実施された。ライトライフル選定小委員会は9月30日、ウィンチェスターの提出した試作ライフルに対し、小改良を加えることを前提に“Carbine, Caliber .30, M1”として採用することを決定した。
このトライアルで次点だったのは、ジェネラルモータース インランドディビジョンによるGeorge J. Hyde(ジョージ・J・ハイド)デザインのガスオペレーションライフルだった。もしウィンチェスターがこのトライアルに参加しなかったら、こちらがM1カービンとして採用され、量産配備されていただろう。


