2025/08/01
【NEW】無可動実銃に見る20世紀の小火器199 Steyr TMP

その名称はTaktische Maschinen Pistoleの略で、これはタクティカルマシンピストルを意味する。
TMP開発開始
1980年代後半、シュタイヤーは新たな製品として、小型サブマシンガンの開発に動き出した。この時、サブマシンガン市場は、ヘッケラー&コッホMP5が独り勝ちだったといえる。従来のサブマシンガンは近距離用銃弾バラマキ装置であったのに対し、MP5は100m程度までの距離であれば精密射撃が可能という精度の高さが評価されたためだ。
その背景には、1977年のルフトハンザ航空181便ハイジャック事件におけるGSG9の“オペレーション マジックファイア”、1980年の駐英イラン大使館占拠事件におけるSASの“オペレーション ニムロッド”という2つの事例があった。
これらの突入作戦でMP5が使われ、鮮やかにテロリストを排除したことから、MP5は特殊部隊が選ぶサブマシンガンという評価が定着、圧倒的な支持を勝ち取っていたのだ。
1970年代後半の段階でシュタイヤーがMP5に勝るサブマシンガンを開発していた、あるいはこれらのテロ事件発生直後からMP5を超えるサブマシンガン開発に動き出したのであれば、ある程度の勝算もあったかもしれない。しかし1980年代後半から動いても、もはや手遅れであることはシュタイヤーにもよくわかっていた。すでに高精度サブマシンガンを必要とする国や組織は、MP5を購入している。
そこでシュタイヤーが選択したのが、コンパクトサブマシンガンだ。要人警護などで護衛官が隠し持ち、緊急事態発生時に素早く取り出して圧倒的な火力と正確な射撃でテロリストを制圧する、そういった用途に使うものだ。
単に小さいというだけなら、ミニUZI、マイクロUZI、イングラムなどいくつか存在した。しかし、群衆の中に紛れ込んだテロリストをピンポイントで排除するには、高い射撃精度が必要だ。HK MP5のコンパクト仕様であるMP5 Kはまさにそれに相当する製品で、1976年には既に完成していた。そして要人警護で実際に使われてもいた。
だからといって何もしないわけにはいかない。MP5Kを凌駕する製品を生み出せば、置き換えられる可能性はある、おそらくシュタイヤーは第一ステップとして、そこに賭けたのではないだろうか。
要人警護は絶対に失敗が許されない世界だ。わずかな性能差でもテストした結果が良ければ、警護部隊はそれを選ぶ。特殊部隊の銃にもそれがいえる。但し、需要は限定的だ。良い物を作っても、売れる数はたかが知れている。それでも優れたコンパクトサブマシンガンをシュタイヤーが作ったという実績が重要だ。シュタイヤーはそう判断した。それに続く戦略もある…
もちろんこれは私の推測でしかない。ただこう考えないと、1992年にシュタイヤーがTMPを製品化した理由が見えてこない。シュタイヤーはこの時、高性能ピストルを作ろうとしていたのではないだろうか。

シュタイヤーは第二黄金期において、先進的なピストルを開発していた。1972年に試作モデルが完成したPi-18だ。のちにSteyr GB(GasBremse)と呼ばれる18連発のダブルアクション、ガスディレイドブローバックピストルで、極めて先進的な製品であった。AUGを開発する前、シュタイヤーはこんな凄いピストルを作っていたわけだ。
しかし、その時点でオーストリア軍の使用していたP38, M1911, FNハイパワーとの置き換えは時期尚早だった。
1980年代に入り、改めて軍用サービスピストルの更新が現実化したが、今度は突然現れたグロックに敗れている。その後のアメリカ軍XM9トライアルにエントリーするも、あろうことか途中で敗退してしまった。なんと二連敗だ。
GBは優れた高性能ピストルだったが、いくつかの不運が重なり、1988年には早くも製造を終えた。
TMPの開発はこのGBの退場時期と概ね重なる。シュタイヤーとしては、敗者のイメージが付きまとうGBを改良して市場に投入するより、全く新しいものを持って新たな分野で結果を出そうとしたのではないだろうか。
それがピストル並みにコンパクトで、圧倒的な火力を持つ小型サブマシンガンだ。そこからフルオートマチック機能を外せば、ピストル市場でも販売できる。1980年代という時代は、まさに高性能ピストルに注目が集まった時代だ。
当時流行った言葉に“Wonder 9”がある。DA/SAトリガーと他弾倉マガジンを装備した9mmピストルのことだ。シュタイヤーは新しいコンパクトマシンガンを開発し、そこからフルオート機能を外してスーパーピストルとして売ろうと考えたのではないだろうか。ワンダー9も裸足で逃げ出すスーパーピストルだ。そうすれば、サブマシンガンの販売数は限定的でも、じゅうぶんな数が売れ、採算が合う。これが第二ステップだ。
その開発に抜擢されたのは、Friedrich Aigner(フリードリヒ・アイグナー)だ。この人物についてはよくわからない。銃器専門学校を卒業したエンジニアで、AUGの9mmSMG仕様も担当したらしい。
実はアイグナーについて調べていたら、AUGの開発にも深く関わったという記述を見つけた。本誌2019年9月号でAUGについて書いているのだが、それを書くために色々調べていた時に、アイグナーの名前は出てこなかった。AUGが完成したのは1977年であり、今回のテーマであるTMPの開発スタートまで約11年の開きがある。フリードリヒ・アイグナーが何年に生まれたかについての情報もなく、これについてはなんともいえない。またAUGの9mmSMG仕様は1980年代後半に開発されている。
そこから現時点での私の推測では、アイグナーは1970年代の終わり頃にシュタイヤーに入社し、80年代後半にAUGの9mm仕様を設計、これを終えたところでTMP開発プロジェクトのチーフエンジニアに抜擢されたのではないか、と考えている。