2025/06/18
Walther P38 栄光の過去と現在
Gun Professionals 2014年9月号に掲載
1930年代後期にドイツで開発されたP38は、携行時の安全性と初弾発射までの操作を簡素化させた軍用拳銃だ。戦後も長らく最先端の自動拳銃という地位を保っていたが、1970年代にはこれを凌駕するモデルが次々と出現する。P38は何度か改良されたものの限界に達し、その需要は官民共に減少していった。
最新ハンドガンと比較すれば古さの否めないP38だが、状況次第では今でも効果的なツールとなる性能をもっている。
P38の略歴
ドイツの銃器製造会社として有名なワルサー社のルーツは、カール・ヴァルター氏(Carl Walther)が1886年にZella-Mehlis(ツィラミーリス)に設立したターゲットライフルの製作会社だ。1908年、カール・ヴァルター氏は長男のフリッツ・ヴァルター氏(Fritz Walther)と共に、ドイツ初の小型自動拳銃となるモデル1(.25 ACP)を完成させている。1915年にカール・ヴァルター氏が死去した後もフリッツ・ヴァルター氏は自動拳銃の研究を継続し、1929年にはダブルアクション/シングルアクション(以後はDA/SAと略す)のトリガーメカニズムを備えたPP(Polizei Pistole)を、1931年にはPPを若干小型にしたPPK(Polizei Pistole Kurz)を発表した。これらは市場で成功した最初のDA/SA自動拳銃であり、現在でも中型拳銃のスタンダードとして評価されている。
当時のドイツ軍の制式拳銃は、1908年に採用されたP08であった。ショートリコイル銃身をトグルロックで閉鎖するというユニークなメカニズムや、すり合わせられた各パーツの滑らかな動き、そして美しい仕上げをもつP08にはファンが多いが、構造が複雑で生産性が低いという欠点をもつ。過酷な環境下での確実な作動が求められる軍用拳銃としては、デリケート過ぎたのだ。
軍部がP08に満足していないことを察したワルサー社は、よりシンプル頑丈な9mmハンドガンの開発にとりかかった。試行錯誤の末に完成したのは、ロッキングブロックによる閉鎖機構とDA/SAトリガー、そして内装式ハンマーをもつ“AP”(ArmeePistole)だ。軍の要求を反映してAPのハンマーを外装式とした“HP”(Heeres Pistole)が生まれ、これが1938年に“Pistole 38”(略してP.38、後にP38)として採用された。
P38の製造はワルサーだけでは追いつかず、1942年中頃からマウザー(Mauser)とスプリーヴェルケ(Spreewerke)などでも製造されている。FNHやCZでも製造されたという情報もあるが、残念ながら確認できなかった。

戦後のP38
ツィラミーリスのワルサー工場は、1944年4月4日に米軍に投降した。銃器やプロトタイプは米軍に接収され、工場は後に進駐したソ連軍によって破壊されてしまう。銃器の設計図や資料を持ち出して脱出することができたフリッツ・ヴァルター氏は、西ドイツのウルム(Ulm)に新生ワルサーの工場を再建し、エアライフルの製造で再スタートを切った。1954年頃、後の国防省となる機関からの要求を受けたワルサー社は、生産体制を整えつつP38の改良に取り組んだ。戦中モデルと同様に鋼鉄製フレームでも少数製造されたが、最終的にフレームの素材にはアルミ合金が選択されている。1956年には数挺の試作品が完成し、その年の11月に先行量産が始まった。1957年4月27日に量産の認可が下りて5月から量産が開始され、1958年の初頭には10,000挺の西ドイツ軍用P1と1,500挺の民間向けP38が完成したという。
戦後のP38/P1ではファイアリングピンの形状やセイフティ機構などに改良が加えられたほか、戦中モデルでは一体型であったバレルは、ライフリングをもつバレルライナーをキャリアーまたはジャケットと呼ばれる外形部に圧入してピンで留めるという2
ピース構造となった。
また、プレッシャーの高い弾薬を使用した場合にスライド内のロッキングブロックが納まる部分に亀裂が入るという不具合への対策として、1968年6月から厚みを増加させたスライドが採用されている。その後も改良は続き、1970~1975年頃にバレルピン
を廃止するためにフランジつきのバレルライナーが採用された。
この頃、P1の改良型として“P4”が開発されている。銃身は15mm短縮されて110mmとなり、セイフティ兼ディコッキングレバーの機能は、ハンマーを安全にレストポジシに戻すためのディコッキング用に特化された。アルミ合金製フレームのロッキングブ
ロックが接触する部分に鋼鉄製の六角柱が組み込まれたのは、磨耗に対処するためだ。この補強インサートは、1976年以降のP38/P1にも採用された。P38/P1ではピラミッド型であったフロントサイト断面はスクエアポストとなってより正確なエイミングが可能となり、P38/P1の構造上の弱点であったスライドカバーが廃止されるなど改善の努力はみられるものの、P4は一部のLE機関に採用されただけで、製造数は約7,300挺と少ない。
ポストP38/P1スタイルのワルサーハンドガン
P38/P1とPPスーパー(9mmウルトラ)の長所を組み合わせ、携行性を重視した9mmルガーの自動拳銃として開発されたのが“P5”だ。開発は1975年後期に始められ、1977年の4月に完成したという。P5という呼称はP4と同様、軍/ LE機関のための制式名称であるが、ワルサーはそれを商品名として使用する権利を獲得している。
P5の特徴は3.5インチという比較的短い銃身と、上面の開口部が排莢口だけとなったスライド、そしてフレーム側に設置されたディコッキングレバー兼スライドストップだ。1987年から2004年に製造された“P5 Compact”(コンパクト)というバリエーションはP5より若干小型で、トリガーガード付け根にボタン式のマガジンキャッチをもつ。1988年~1990年には、6インチ銃身を備えた“P5 Long ”(ロング)も製造された。
1980年代に開発された“P88”はマガジン装弾数15発の多弾数オートで、閉鎖機構にはイジェクションポートを利用したティルティングバレル方式が採用されている。ディコッキングレバーを備えたDA/SAハンドガンであるP88は1987~1992年に製造され、“P88 Compact”(コンパクト、1992~2000年)などのバリエーションも作られたが、米国での販売価格が高過ぎてあまり売れなかった。
ワルサー社は、1993年にはエアガンメーカーとして有名なUmarex(ウマレックス)社に吸収されている。その後、ポリマー(合成樹脂)フレームとストライカー撃発方式をもった“P99”などが開発され、それなりに成功しているが、ウマレックス傘下のワルサー製品にP38の面影はない。