2025/06/06
HK4 Heckler & Koch
クールで都会的なヨーロピアンDAオート
HK4
Heckler & Koch
Text &Photos by Toshi
Gun Professionals 2015年11月号に掲載
H&K初のセミオートマチックピストルHK4は1967年に登場した。
マウザーHScのデザインを元に、コンバージョンキットで4種の弾を撃てる中型オートだ。
素晴らしいデザイン感覚と先進性に満ち溢れたモデルだが、使って見るといくつかの問題も露呈する。
しかし、それでもHK4の魅力はなぜか色褪せない。
H&K揃い踏み
遂に揃ったぞ。
昔から憧れていたH&Kの4大ヴィンテージ銃を遂に揃え切ったのだ。P9SとP7とVP70と、そしてご覧のHK4だ。
原稿書きの疲れを癒そうと行きつけのガンショップへ顔を出したら、それはあった。当然ながら、昔から何度も出会っているモデルではある。出会うたびに、コンディションが折り合わなかったり値段が折り合わなかったりで、流し続けていたのだ。
今回のはお値段が超お手頃だった。箱入りで、しかも.22LRのコンバージョンキットが付いて475ドル(+税)は今どき奇跡に近い。
とにかく、銃を見せてもらった。
コンディションは、自分基準では80%。スリ傷が少々目立つ。困った、どうしよう…そこでいったんショップ近くの図書館へ急ぎ、閲覧可能なPCで価格を調査。すると、やはり475ドルは超リーズナブルな価格である。
再び急いでショップへ戻り、二度目の検証を開始する。スライドにH&R(ハーリントン&リチャードソン)社のマークは無い。また、グリップのダメージがひどく、底部には割れまである。まあグリップについては、Ebayで代わりが見付かるだろう。
そして、.22コンバージョンキットの箱を開けて、一瞬、体が固まった。付属のドライバーツールが入っていないのだ。
気持ちが再び揺らぎ出した。欠品有り、道理でお手頃なわけだ。自分は長年、99%コンディションの完全ミント品を狙って今日までやり過ごしてきた。少々値が張っても、総てに納得のいく物のほうが後々所有する喜びが深いというのも知っている。
しかし、自分も歳を食ってきた。死ぬ前に一通りは経験しておきたいじゃないか、と。そんなワケで、購買心のテンションは辛うじて落ちず、めでたく購入に至った(長々とスミマセン)。
が、だ。その帰り道、自分は急に不安になった。欠品のドライバーは、キットの組み込みに不可欠な専用ツールじゃなかったっけ? だとしたら参ったな、タークさんに聞かなくちゃと思いつつ自宅で自分で調べたら、どうやらアレは単なるドライバーらしい。一安心だ。コレもいつかEbayとかで単品を見つけてコンプリートしよう。そして総てが揃った暁には、晴れてこの銃を記事にするのだ…と当初は考えたのだが、先ずは銃が買えた喜びで胸が一杯となり、この際ドライバーは欠品のまま速攻でいっちゃおうと気が変わり、今回のリポートと相成りました。

四種の“4”
ハイな気分のまま原稿を続けよう。
HK4は、4つの口径をコンバージョンで撃ち分けることができるユニークな中型拳銃として有名だ。.22LR、.25ACP、.32ACPそして.380ACPの4口径である。名称の“4”の由来はそこから来ている。
コンバージョンの考え方は昔から存在するが、一般的には“メインの口径にプラス.22LRのキット”の2本立てが相場だろう。それが一気に4本立てときたから、結構衝撃だったに違いない。HK4の以前だと、アストラのM4000をベースにしたTri-Conモデルの3本立て(.32と.380と.22口径)辺りがコマーシャルモデルとしては限界だった(ただしトンプソンセンター コンテンダーのような単発銃のマルチ版は除く)。コンバージョンの利点は使用用途に合わせられるほか、.22LRはエコノミーな練習機として重宝するし、例えばヨーロッパ諸国のように銃器の所持数に制限がある国では、限られた範囲で多種多様な口径を楽しみたいというシューターにとって渡りに船の好都合なシステムということになる。
HK4が登場したのは1967年だ。
H&K社の栄えある第一号ピストルがコレだった。そしてこのモデルは、マウザーの不朽の銘銃HScが元ネタとなっている。というのは、H&K社は元々、戦前のMAUSER社にいた技術者らが立ち上げた会社であり、その流れで出てきたのがこのモデルだからだ。設計は、H&K社の創業者であるAlex Seidelと、後にMP5を生み出すことになる伝説の技術者Tilo Möllerが担当した。ちなみに翌年の68年、本家(?)のMAUSER社も復活し、そのこけら落としに復刻版のHScを出している。
製造は1984年まで続けられ、途中、西ドイツの公用としてP11の名で採用もされた。
米国への輸入は70年代初期に始まり、当初はH&R社が代理店となっていた。H&R社の創業100周年(1871年創業)を祝う記念プロジェクトの意味合いもあった模様だ。スライドに同社のマークが入るヴィンテージ物は、今や希少の高額品である。
総製造数は、シビリアン向けが26,550挺(シリアル#10001〜36550)、P11が12,400挺(シリアル#40001〜52400)で、H&R社経由の米国向けが8,700挺(シリアル#001〜8700)の、トータル38,000挺と手元の資料にある。が、たったその程度の数とはやや信じ難い。もうちょい造ってたんじゃなかろうか。H&K U.S.A.が売った分を計算に入れてないとか…。
機能的にはDAでストレートブローバックの中型オートということで、PPK、HSc、そして後にはSIG P230やアストラのコンスティーブル等がライバルだった。PPKと違い、68年の米GCA法のサイズ規定に引っ掛からなかったのは大ラッキーだったと言えよう。
