2025/07/20
あの戦場を駆けた短銃身モデル──M1938モシン・ナガン騎兵銃
この1挺は戦うために作られてきた本物の銃だ。
数奇な運命に導かれ、今はこの日本という平和な地で静かに眠っている。
発射機構を排除され魂を抜かれても、その銃の魅力が廃れることはない。
時代と共に歩んだ歴史を、培われた技術体系を銃はその身を持って示してくれる。
その姿は銃に魅了された我々に新たなる知見をもたらすことだろう。
さあ、今回も無可動実銃のことを語ろう……。
設計者の名前が冠されなかったライフル
モシンナガンは、70年以上に渡ってソ連軍で使われ、伝説となったライフルだ。シンプルで信頼性の高い設計により、ソ連での製造数はAKに次いで2番目を誇る。20世紀初頭のソ連が参戦した3つの戦争の主力ライフルとなったモシンナガンは1890年に採用された。それまでの黒色火薬の大口径単発式小銃から無煙火薬を使用した小口径ライフルへと変わっただけでなく、それまでの外国製ライフルからロシア人による設計の国産ライフルとなった初のライフルでもある。


最初のトライアルではセルゲイ・モシンのモシン小銃が頻繁な装弾不良を起こしたことから、ベルギーのナガンの弾倉のアイデアを採用。このため、命名と権利について特許を持つナガンはソ連へ訴訟を起こした。この件はソ連が和解金を支払って解決したが、最終的にモシンとナガンの名前は冠されず、ナガンが自分の功績を宣伝したため「モシンナガン」の通称は西欧での通称となっている。
- 全長:1,016mm
- 口径:7.62mm×54R
- 装弾数:5発
- 価格:¥275,000
- 商品番号:【6894】
モシンナガンの最終形態
第二次世界大戦が勃発した時もモシンナガンはソ連軍の主要なライフルだったが、それまでにいくつもの改良が加えられている。特に1920年後半に行なわれた改良では初期型の構造や使用弾薬など基本的なことは変更せずに製造の簡略化とバレル長を10cm短くした。初期型がM1891と呼ばれるのに対し、この改良型はM1891/30と呼ばれる。
これが第二次世界大戦を通してソ連軍の代表的な小銃となり、さまざまなバリエーションを生むことになる。バリエーションとして有名なのはソ連が頻繁に宣伝に用いた狙撃型が有名であるが、もう一つ短縮型が1938年に登場している。それまでの歩兵、ドラグーン、コサックの3つの長さが存在したモシンナガンはM1891/30に統一され騎兵、通信兵、砲兵や後方部隊用により短いライフルが必要になった。それがM1938で、基本構造はM1891/30と変わらないが全長が1,230mmから1,016mmになり重量が4kgから3,5kgと小型・軽量化されている。


また突撃攻撃を想定していないため伝統のスパイク型銃剣も排除された。ところが第二次世界大戦で実戦を経験すると、平原だけでなく森林や塹壕、市街地などでも戦闘が行なわれ、全長1,230mm(着剣状態では1,660mm)もあるM1891/30では不便でありM1938にスポットが当たる。
最終的に1944 年1月にM1938に折り畳み銃剣を備えた改良型のM1944が、歩兵用として配布され、これをもってM1891/30とM1938の生産は中止された。全長は短くても300〜400mでの命中率は、フルサイズのM1891/30には劣らず、第二次大戦後の戦場のニーズにあっていたことから戦後も多くの戦場で活躍を続け、1949年までカービンサイズのM1944の製造が続けられたほどだ。
狙撃型のような英雄に使われた訳でもなく、また最前線での美談もないが、モシンナガンに続くSKSやAKが登場するまで、後方を支えたM1938は、M1891と同様にソ連軍を代表するボルトアクションライフルといえるだろう。


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TEXT:IRON SIGHT
この記事は月刊アームズマガジン2025年8月号に掲載されたものです。
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