2025/02/16
モデルガンに見るコンパクトオートの系譜 chapter.02
モデルガンに見るコンパクトオートの系譜
もともとモデルガンは小型のオートマチックピストルから始まった。すぐに大型拳銃も登場したが、大ヒットしたスパイ映画の影響もあって、コンパクト・オートに多くの人が飛びついた。マグナム・ブームやコンバット・シューティング人気で大型拳銃が主流になってからも、ファンには小型ならではの魅力で愛され続けている。
分裂
MGCは次のオートマチックも、コンパクトなFNブローニング380をチョイスした。今度は実銃の取材に基づき、リアルサイズで、リアルな外観と、リアルな操作方法にされた。
そこでMGCは悪用を避けるため、購入者に18歳以上という年齢制限を設け、住民票の提出を義務づけることにした。すると販売を請け負っていたアメ横の各ショップが猛反発、業界は分裂することになる。以降、MGCは基本的に直販のみとなり、アメ横のショップは中田商店が中心となり、日本高級玩具組合(N.K.G)を組織して、独自にモデルガンを開発することになった。これが1965年のこと。
N.K.Gグループは、第二次世界大戦中の世界の軍用銃を中心にモデルガン化することをコンセプトに、各社で分担してモデルガンを作った。
第1弾がCMCのコルト・ガバメント。リアルサイズ、リアル外観、そしてほぼリアルなメカニズムというリアル志向で、手動操作という仕様。撃ち合いゴッコなどには向かなかったが、リアル志向の人たちに受け、大ヒットとなった。
MGCも黙って見ているわけにはいかず、すぐに同じ年に手動式のガバメントを発売している。

こうして時代は大型化の方向へ動いていく。一方で、007映画は相変わらず高い人気で、新作が公開されれば、どの劇場も大入り満員という状況だった。だからPPKも相変わらず売れ続けていた。『007 /ゴールドフィンガー』(1964)、『007 /サンダーボール作戦』(1965)、日本が舞台の『007は二度死ぬ』(1967)あたりまではとにかく絶好調。
映画人気もあったが、PPKは価格も安かった。それが大量生産によってさらに価格が下げられた。特別セールなどでは送料込み1,980円などということもあり、当時の大型モデルガンが3,800円くらいだったから半額に近い設定。これならどうにか子供でも買うことができた。
しかも操作方法がわかりやすくて簡単。実銃の知識がなくても、扱うことができた。初弾を装填するとか、安全のためセーフティを掛けておくとかも必要なし。ダブルアクションリボルバーと同じ感覚で使える。撃ち合いゴッコにピッタリで、入門用として最適。


1966~1967年頃、大型化、リアル化の中でもMGCはコンパクトオートを忘れず、スパイの雰囲気を漂わせるイタリアのベレッタM-1934をモデルガン化した。PPKの前に007が使っていたということもあったのだろう。シングルアクションのハンマーで、トリガーも小さいものだったので指アクションにはできず、リアル路線で作られることになった。そして当時としては珍しく、手動では必要のないディスコネクターまでが再現されていた。これが後のブローバックモデルの発売に大きな意味を持ってくることになる。
ほぼ同時期、これに対抗してCMCもベレッタM1934をモデルガン化している。同じ仕様で、ディスコネクターも備えていた。ただブローバックモデルが作られることはなかった。
そしてこの時期、M1934の他にもボク的に注目のコンパクトオートが発売されている。それがMGCのHScだ。スライドとハンマーを交換するだけで、手動式にもなるし、指アクションにもなるという驚きのモデル。手動式では実銃どおりのメカニズムが再現されていたわけではなかったが、ちゃんとシングル/ダブルアクションを撃ち分けることができた。しかもディスコネクターも備えていた。
同時期に、N.K.Gグループのインターナショナル・ガン・ショップ(実際の製作は桜邦産業、後の国際産業)もHScをモデルガン化している。こちらは指アクションのみ。
何事もなければ、おそらくMGCのHScもブローバック化されていたことだろう。しかし時代はそれを許さなかった。

ブローバック
MGCは、1969年に火薬の力で自動装填、自動排莢を実現する、デトネーター方式によるブローバックシステムを搭載した最初のモデルガンMP-40を発売、大ヒットさせた。この方式はやがてハンドガンにも取り入れられることになる。その第1号がサブマシンガンのカートリッジを使う9mm口径のガバメント・ブローバックだった。
とはいえ、.45口径と同じ大きなスライドを、快調に動かすのは簡単ではない。しかも初めてのハンドガンでノウハウの蓄積もない。さらにベースのガバメントはショートリコイルが再現されていてバレルが動く上、ディスコネクターもなかった。それをブローバックさせなければならないのだ。反動は強烈だったものの、作動には多少の問題もあった。
第2弾として1971年に発売されたのが、前述のベレッタM-1934。こちらはなかなかの快調作動。ブローバックの面白さを世に知らしめた。

この衝撃は、業界にとっても、ファンにとっても、とてつもなく大きなものだった。いわばファーストインパクト。すべてのオートマチック・モデルガンはすべてブローバック化か? と思われた矢先、第一次モデルガン法規制が施行され、金属モデルガンは表面を白または黄色(特例として金色も可)にして、銃口を閉塞しなければならなくなった。
すると、デトネーター方式のブローバックモデルガンは紙火薬を使っていたため燃えかすや汚れが多く、銃口が閉じているとそれらがチャンバー内に溜まり、掃除なしではせいぜい1マガジンくらいしか撃てなくなってしまった。
それでも、法規制でモデルガン人気にブレーキが掛かったため、その状況を打破してくれる解決策はブローバックだと、業界を挙げてブローバックモデル開発に邁進することになる。
規制対象外となる長物のサブマシンガンも次々とブローバックモデルが登場し、ハンドガンでは動かしやすいコンパクトオート、ラーマ、PPK、FN380、コルト・ポケット32などが次々とN.K.Gグループから発売された。
しかしブローバックの本家MGCはこの流れに乗らなかった。密かに規制対象とならないプラスチック製モデルガンの開発を行なっていたのだ。


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TEXT&PHOTO:くろがね ゆう
この記事は月刊アームズマガジン2024年12月号に掲載されたものです。
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