2025/02/02
モデルガン全盛期の華麗なるカスタムガバメントの世界 chapter.03
モデルガン全盛期の華麗なるカスタムガバメントの世界

モデルガンのカスタム化は、弾丸が飛ばないので、もっぱらオリジナルの形状を好みに合わせてカッコよく改変することから始まった。そして光線を利用したシューティングシステムが登場すると、競技で好成績を収めるため、勝つための使い勝手を良くするカスタムへと発展していったが、快調ブローバック作動もまた重要な要素だった。
※モデル名などは、基本的にはメーカー表記に準じていますが、メーカー自身の表記にも揺らぎがあるため、本稿ではその時に参考にした資料に従って表記し、あえて統一していません。
シューティングブーム
MGCは創立20周年となる1980年に、1980年から1981年にかけて発売する予定のモデルガン「ニュー・モデル5」を発表した。
その中にニューガバメント45(GM5)があった。それはマークIVシリーズ’70のコマーシャルカバメントで、リアルサイズ、リアルメカ、そしてマルシンが最初に採用して以来、大型オートマチックモデルガンでは当たり前になりつつあったショートリコイルの再現などをセールス・ポイントとしていた。そこからショートリコイル・ガバとも呼ばれた。もちろんキャップ火薬1発で快調作動する。それまでのガバメントの集大成だ。

実際の発売は1982年になってから。最初は従来と同じデトネーター方式ブローバックだったが、1983年には最新の閉鎖系CP方式ブローバックへと変更され、技術提携していたWAもすぐにGM5ベースのコンバットカスタムを発売した。そして、この時点でMGCがフルサイズのカスタムを、WAがコマンダー・サイズのカスタムを発売するという棲み分けができていたようだ。ただ、まだカスタムはコスメティックなものが主だった。
1983年9月、MGCは満を持して「シューター・ワン」を発売する。そして大きな人気を得つつあったエアソフトガンに対抗するため、弾が飛ばない安全性をアピールして、モデルガンによるシューティングを一気に推し進め、全国あちこちでシューティングマッチを開催した。

シューター・ワンでは、大人気となっていたサバイバルゲームはできないが、標的のゾーンを狙って撃つコンバットシューティング(戦闘的なイメージを避け、プラクティカルシューティングと呼ばれるようになりつつあった)にはピタリとハマった。日本GUN界のカリスマ、イチロー・ナガタさんがたびたび専門誌で紹介していたIPSC系の競技が、ほとんどそのままシューター・ワンで再現できた。これが人気にならないわけがない。たちまちモデルガンによるシューティングブームが起きた。
少しでもすばやく撃ち、少しでもすばやくリロードしなければ試合で勝つことはできない。ホルスターも重要になってくるし、銃を使いやすくするカスタム化も大きな意味を持ってくる。

オートマチックでは光線の発光機を兼ねるドットサイト(スコープ)を搭載しなければならならず、他もノーマルのままでは勝てないから、カスタム化は必須だった。カッコいいカスタムガバメントで目立って注目を集めるのもありだったが、それより勝つためのカスタム化の方がもっと重要だった。こうして新たなカスタムブームが起きた。
一方で、競技の中から浮かび上がってきた問題もあった。モデルガンにありがちな不発や暴発だ。初心者には難しい手入れやチューニングをしっかりしなければならない。いかに快調に作動させるか、そういうノウハウも重要になってきた。しかし初心者を増やすためにも、最初のハードルは低くしなければならない。

そこでWAが開発したのが、改造防止のため分解できないセンター・ファイアー方式。不発・暴発が激減した。これはモデルガン製造協同組合でも認められ、MGCでも早速採用されることになった。そして10月末には、CP方式、センター・ファイアーという究極のブローバックとも呼ぶべきモデルガンが一斉に発売されることになる。
技術革新が怒濤のように相次いで行なわれた。ある意味モデルガンにとって最も激動の時代だったのかもしれない。

そしてイチローさんがこの期間に専門誌で紹介したカスタムガバメントには、ホーグロングスライドカスタム、ビアンキカップスペシャル、ナイゴードロングスライドカスタム.45、ボーランドスーパーカスタム、クラークボーリングピンモデル(通称ピンガン)、グレイガンIPSCスペシャル、ボブチャウスペシャルⅠ&Ⅱ、ザ・ランダル.45カスタム、ウィルソンコンバットカスタム、ワトソンコンバットカスタムなどがあり、その多くはモデルガン化されて市場を賑わせた。
形態は機能に従う。どれもセンスが良く、カッコもよかった。機能を突き詰めた華麗なるカスタムガバメントの数々。みんなが憧れたが、限定生産の上、3万円から5万円もしたから手に入れるのはなかなか難しかった。

すぐにMGCやWAからもカスタム用のパーツが発売された。それだけでなく、JACやショップ独自のカスタムパーツも発売され、カスタムガバメントはますます盛り上がっていった。それらのパーツの組み合わせによって、自分だけのオリジナルカスタムを簡単に作ることもできた。
MGCは、1984年11月にモデルガンによるシューティング・マッチ、賞品総額100万円の「ジャパン・ビアンキ・カップ」を開催することを宣言、全国で地区予選を開始した。

本選会ではビアンキ社のジョン・ビアンキ社長を招き、イチローさんもアメリカから駆けつけるなど、華々しく開催された第1回ジャパン・ビアンキ・カップだったが、それ以降、エアソフトガン人気に押され、モデルガンシューティングは次第に勢いを失っていく。カスタムガバメントもエアソフトガンへと移って行った。
しかし時代が変わっても、プラットフォームが変わっても、カスタムガバメントは色褪せることなく、これからもきっと生き残り続けることだろう。

TEXT&PHOTO:くろがね ゆう
この記事は月刊アームズマガジン2025年1月号に掲載されたものです。
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