2024/02/11
アイヌ犬を猟犬にするまでの困難な道のり「イチ ~アイヌ犬との4ヵ月~」【Guns&Shooting】
イチ
アイヌ犬との4ヵ月
救世主
そんなとき、SNS で知り合ったアイヌ犬を飼っている人がメッセージをくれた。
「よいトレーナーがいます」
紹介してくれたのが山下國廣先生だった。獣医であり、ドッグトレーナーであり、日本犬の扱いにも長けているという。
「メールでの指導も受けていると聞いたことがあるので相談してみては?」
北海道に住んでおり、山下先生のいる長野県に通うことは叶わない。ところがメールでの指導ができるときいて、一気に興味が湧いた。先生の経歴などを調べているうちに、わらにもすがる思いで、その日のうちに長文の相談のメールを書いた。
メールはすぐに返ってきた。曰く、本来は対面で指導をしたいが、どうしても困っている人に対してはメールでの指導もしているとのことだった。さっそく半年間の契約をして、すぐに支払いも済ませた。助けが欲しかった。
その日から山下先生との文通生活が始まった。
垂れ流すようにその日のイチの様子を伝え、悩みを書いた。それに答えるように、毎日A4用紙1~2枚分の返答をいただいた。その中身は驚くものばかりだった。内容はここで記すことはできないが、ぼくの中の常識はいくつもひっくり返った。
和犬は洋犬と比べて飼いにくいという話はよく聞く。噂話のように「1人にしかなつかない」だとか「我が強い」だとか……。しかし「だからこのように向き合うべき」という話は決して多くない。
また、犬のしつけにも一貫性がいる。いろんな方針が混ざると決してうまくいかない。あるときは褒め、あるときは叱り、あるときは無視して――では犬を混乱させるばかりで、効果がないどころか逆効果になりかねない。
山下先生の最初の言葉は「他の人のアドバイスなどは絶対に試さないでください。それを約束してくれるなら指導します」だった。
犬のしつけというと「オスワリ」と言われたら座るようなものをイメージするが、実際には日々の行動すべてがしつけの対象であり、犬の一挙一動を観察し、望ましい行動を強化し、望ましくない行動を減衰させていく必要がある。
またしつけは徹底的に「褒めて育てる」方針である。猟犬を扱う人の中でも「しっかり叱る」を方針としている人も多い。実際のところ叱ることが効果的な場面もあるというが、下手な叱り方では副作用も多いとも言われている。そこで褒めて育てるのだが、これは言葉ほど優しくない。褒めることと甘やかすこととは違う。
徹底的に観察し、少しでも良い行動を取れば褒めるし、そうでないときに褒めてはならない。言葉で言うのは簡単だが、実際にやると根気がいる。
まず即効性はなく、効果は時間をかけてジワジワと出てくる。そして隙なく褒めてやらねばならない。気分次第で褒めたり褒めなかったりすると、犬が混乱する。四六時中犬を見て、よい振る舞いを褒めてやる。これにもコツというか、テクニックがある。
山下先生がやるのは犬の指導ではない。飼い主の指導である。犬は褒めて育てるのだが、飼い主であるぼくのことは叱る(というか、ダメなことはダメだというハッキリ言ってくれる)。
噛み対策
細かい指導の内容は伏せるが、噛み対策については、現在のイチの状況をふまえて「問題はない」と判断してくれた。若さゆえのもので、成長と共に抜けてくるだろう、と。その代わり「噛まれても無視しなくてはいけない」ということで、散歩はどんな日も長靴を履くようになった。そして長靴はアッという間に穴が空いた。
他の指導の効果も相まって、生後半年を過ぎた今ではずいぶんと噛む頻度が減った。成長と共に減ったこともあるが、実際にはイチとの向き合い方の変化が大きい。
外での吠え対策
これは涙なくては語れない苦労があった。まず、山下先生の最初の提案は鳴いても鳴いても放置すること。目も合わせず、「鳴いてもムダである」と覚えさせること、だった。しかしそれが難しい事情があった。宿泊業を営んでおり、客室からイチのいる場所が近いため、過度な吠えはクレームになってしまう。
そこで系統的脱感作法という行動療法をとった。これは人間でも使われるもので、短く説明するならば、低刺激に慣らし、徐々に高い刺激に移行する段階的なトレーニングである。
まず、イチを庭に繋ぎ、ぼくが一緒に時間を過ごす。イチが落ち着いたら、一歩離れて、すぐ戻ってご褒美をやる。つまり1歩離れても鳴かないことを褒めてやるわけだ。これを数日繰り返し、2歩、3歩と距離を伸ばす。各工程を1~3日程度かけて、かたつむりのような遅々とした足取りで難易度を上げていった。
鳴いてしまったら、翌日は距離を短くし、またトレーニングのやり直し。毎日毎日、休むことなくこの訓練を繰り返した。数週間かけて、10秒ほどなら姿を消しても鳴かないようになった。
そこからは秒数を伸ばしていく。今日は10秒だけ姿を消す。翌日は15秒、数日後には30秒……と。結果的に1ヵ月以上かけて10分ほどならぼくの姿が見えなくても落ち着いていられるようになった。
と、文章で書けば簡単なことだが、実際には本当に大変だった。急に難易度を上げると、耐えきれずに鳴いてしまう。鳴いたら姿を見せるわけにはいかない。なぜなら「鳴けば戻ってくる」と覚えてしまうからだ。
悲痛に鳴くのを聞きながら、ジッと待つ。心は痛むし、いつ鳴き止むかも分からない。数秒でもいいので鳴き止んだ瞬間に姿を見せる。そして難易度を下げて、また訓練をやり直す。3歩進んで2歩下がる、というトレーニングだった。
その苦労も報われて、いまでは外にいても鳴くことはほとんどなくなってきた。
初めてイチが外で寝た日、ぼくは喜びのあまり晩酌の量が増えた。
急激な成長
山下先生の理論はいつも整然としていて、全面的に信頼していた。しかし前述の通り、とにかく時間がかかる手法ではあった。
前述の外での吠えの改善にも時間はかかったし、呼び戻しや「マテ」などの成長もジワジワとしたものだった。
「段々良くなってきている気がする」「前より、少し落ち着いた気がする」という感じだ。
ところが、生後半年を過ぎた頃、驚くことが次々と起こった。
呼び戻し、マテ、オスワリなどといったコマンドが一気に上達した。例えば「マテ」は庭など、落ち着いた環境ならばできていたが、散歩中などの刺激が多い場面ではまだまだ待ちきれなくなることが多かった。
ところが、試しに人通りの多い場所で「マテ」をかけたところ、ちゃんと待っていたのだ。呼び戻しも、よっぽどなにかに惹き付けられている状況でなければすっ飛んで戻ってくる。
そして気付けばぼくのことを噛むこともなくなった。以前は「飼い主を見たらまず噛んでみる」というくらい、噛むのが当たり前だったのだが、いまはペロペロと舐めることの方が多い。甘えるために柔らかく噛むことはあれど、血が出ることはない。噛んでいたのが懐かしいと思うほどだ。
――と、思ったらダメなときもあったり、相手によって興奮してじゃれ噛みが復活したりするので、まだまだ一進一退で油断はできないが、とにかく「褒めて伸ばす」いう方針の威力を実感している。
トレーナーの力
ここまで長々と苦労話とトレーニングの話を書いたのにはわけがある。
きっとぼくのように猟犬を飼ってみたいけど、はたして猟犬を扱いきれるだろうか? 凶暴で手に負えなくなったら困るんじゃないかな? しつけってどうすればいいの? と悩んでいる人もいると思うのだ。
犬の性格も十人十色で、犬それぞれ。ある犬でうまくいった指導方法が、あなたの犬で通用するとは限らない。また、犬の指導方法も数十年前と、いまとではまったく違う。研究も進み、当時は良しとされていた理論が、いまではまったく覆されているものもある(オオカミを研究したアルファ論・リーダー論など)。
そして、もう1つ強調したいのが、犬の役割が「猟犬だけ」であることは少なくなっているのではないか、という点もある。町の中で飼っていて、普段は家族と過ごし、週末は一緒に山に行って猟犬として活躍する。そういう飼い方をする人も多いだろうと思うのだ。
その場合、普通の家庭犬としての振る舞いも教えつつ、猟犬としても活躍できるようにしつける必要があると思う。猟だけできればいい、というわけにもいかないはずだ。
大物猟用の犬となると、和犬を選ぶ人も多いと思うが、やはり和犬は難しい。飼い始めてすぐの頃、トレーナーの指導を受けるようになるまでは「やばいぞ、どうなるだろう?」と不安もあった。やっぱり頼る人がいると楽になる。
ご自身の住んでいる地域で和犬や猟犬の経験があるトレーナーさんがいるなら、そういうところに駆け込んでみるなり、頼る人がいないなら、ぼくのようにメールでの指導に挑戦するのもいいと思う。
いずれにせよ、犬が若いほどトレーニングはスッと入る。正直に言えば、飼ったその日から――それどころか、飼う前からトレーナーさんに相談しておけばよかった、と思うほどだ。
これからの猟生活
これまでは四つ足猟に関しては、ほぼ単独忍び猟だけにこだわってきた。必ずひとりで山を歩いて、ひとりで獲物を下ろしてきた。これからは犬を連れていくことになる。犬を置いていっては恨まれそうだ。
犬がいれば簡単に獲れるというもんでもないだろう。むしろ邪魔になる場面だってあるはずだ。またゼロから獲り方を学ぶ覚悟で取り組んでいる。
一銃一狗という言葉がある。
銃を1挺、犬を1頭。それで獲物を追うというスタイルの猟法だ。このスタイルでどこまでがんばれるか? また模索模索の猟生活になりそうである。
TEXT&PHOTO:武重 謙
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この記事は2022年10月発売「Guns&Shooting Vol.22」に掲載されたものです。
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