2025年8月号

2025/07/01

【NEW】無可動実銃に見る19世紀の小火器 198 ウィンチェスターモデル1873

 

 

フロンティアスピリッツに溢れる西部開拓時代に、幅広く活用されたウィンチェスター モデル1873は、 “The Gun that Won the West”として広く知られている。しかし、この銃は本当に“西部を征服した銃”だったのだろうか。

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The Gun that Won the West

 ウィンチェスター モデル73を表す言葉として、“The Gun that Won the West”(西部を征服した銃)というフレーズを聞くことは多い。事実、ウィンチェスター モデル73は西部開拓時代に高い人気を誇った。
 この銃は1873年に製造を開始し、1919年までの間に720,610挺が製造され、多くの開拓民達がこの銃で武装したことは確かだ。そのため、“この銃を使って合衆国西部を入植者達の土地にした”という意識が生まれても、おかしなことではなかったかもしれない。
 現代の視点からみれば、西部開拓は“先住民族を排除し、その土地を奪うという侵略行為”という側面があり、必ずしもそのすべてを肯定的に捉えるわけにはいかない。しかしこの言葉は、その事実に気付くよりずっと昔に生まれている。

 1919年、Winchester Repeating Arms Companyは、この“The Gun that Won the West”という言葉を初めて、自社の広告に用いたといわれている。ちょうどモデル73が製造を終了する年だ。これ以降、この言葉はモデル73を表すフレーズとして、広まっていったようだ。
 1952年に出版されたウィンチェスター社の歴史全般を解説した本、“Winchester The Gun that Won the West”のタイトルにも、このフレーズを少し変えたものが使われている。
 もっともこのフレーズは、必ずしもモデル73だけを指すものではない。西部開拓時代を象徴する、もう一つのアイコニックな銃である、コルト シングルアクションアーミーリボルバー(SAA)こそが、西部を開拓した銃であるとする意見もある。
 また1955年に公開された西部劇のタイトルは、そのままズバリ、“The Gun that Won the West”であったが、この映画のポスターに描かれている銃は、スプリングフィールドM1873であった。
 西部劇などを観れば、コルトSAAとウィンチェスター モデル73のいずれもが盛んに登場する。しかし、そのコルトSAA 1stジェネレーションの生産数は1873年から1940年までの間に357, 859挺であった。冒頭に述べた通り、ウィンチェスターモデル73はコルトSAAより約18年短い期間に、倍以上の挺数を製造しており、生産数から見る普及度という意味ではウィンチェスターの圧勝だ。

 

▲Winchester Model 1873
この無可動銃は1889年に製造されたモデルで、第三世代改良型だ。オクタゴンバレル(八角形銃身)に、銃口まで伸びたマガジンチューブ、ケースハードン仕上げのレシーバーという仕様になっている。

 

ライフルとしてのモデル1873

 ウィンチェスター モデル1873は、“ライフル”、“カービン”、そして“マスケット”の3機種が存在する。24インチバレルはライフル、20インチバレルがカービンで、30インチバレルはマスケットだ。但し、マスケットはごく少数しか作られなかった。その他、特注モデルとして、12インチから36インチまで様々な仕様で作られている。いずれにしても、大きな括りとして、ウィンチェスターモデル1873は“ライフル”のカテゴリーに入る銃だ。それゆえ、モデル1873は、“レバーアクションライフル”と呼ばれている。

 

▲Rocky Mountainタイプのフロント&スポーティングリアサイトを装備している。


 しかし、モデル1873は、今日私達が“ライフル”というカテゴリーで認識している多くのモデルと比べ、明らかに低威力な銃だ。モデル1873の基本的な使用弾は.44 WCF(Winchester Center Fire)で、これはモデル1873の登場と併せて開発されている。 

 ベースとなったのは1860年に開発された.44 Henry弾(別名.44 Henry Flat)だが、これはリムファイア弾だった。ウィンチェスターのモデル73の前作であるモデル66はこの.44 Henryを使用する。これをセンターファイアに変更し、併せてパワーアップした弾薬が、.44WCFなのだ。
 またこれは、ウィンチェスターリピーティングアームズとして最初に開発した弾薬でもある。200grのフラットポイント鉛弾頭と40grの黒色火薬を組み合わせたもので、使用する銃のバレル長で変わってくるものの、標準的な初速は1,245fpsとされている。 

 ウィンチェスターはこの弾薬を販売すると共にリローディングキットを製品化した。弾薬の入手が思うようにいかない西部の開拓地において、これは重要なことだっただろう。
 このウィンチェスターリピーティングアームズの弾薬製造事業は、親会社であるOlin Corporationにより1944年に銃器生産部門から分離され、現在はWinchester Ammunitionとして事業を発展継続させている。

 

このモデルは.44WCF(.44-40)ではなく、.38WCF(.38-40)弾を使用する。この弾薬は.44WCFをベースに開発されたもので、.38WCFという名称ではあるが、実際の弾頭径は0.4005インチだ(.44WCFは0.0427インチ)。弾頭重量は180grとやや軽く、それなら弾速が上がると思うのだが、記録にある実際の初速は1,160fpsと.44WCFより遅い。.44WCFをネックダウンして.38WCFとすることの優位性はほとんどなく、何のために開発されたのか、疑問に思ってしまう。
しかし、コルトSAAには、この.38WCF仕様もあり、当時はある程度普及した弾薬であったようだ。
ウィンチェスターモデル73オリジナルモデルには、.44WCF、.38WCFの他、.32WCF(.32-20)、.22RFといったバリエーションがある。

 

.44-40

 ウィンチェスターモデル1873は登場と同時に多くの人気を集め、これによって.44WCF弾の人気も高まった。それまでの連発ライフルの代表的機種は.44 Henry弾を使用するウィンチェスターモデル66であったが、その初速は1,125fpsだ。.44WFCの方が、弾速が上がり、弾道性能も向上している。このことが、人気を集めた大きな理由だ。
 これを受けて、コルトは自社の新型リボルバーである.45Colt口径のシングルアクションアーミーのバリエーションとして、.44WCF仕様のフロンティア シックスシューターを製品化した。またS&Wもモデル3リボルバーの.44WCF仕様を追加している。他にもレミントン モデル1875や、マーウィン&ハルバート(Merwin & Hulbert)などにも.44WCFは採用された。
 弾薬メーカーであるUnion Metallic Cartridge(ユニオン メタリック カートリッジ:UMC)は、この.44WCF弾の製造販売を開始する際、弾薬の製造供給を始めたウィンチェスターをライバル視し、その名を冠した弾薬を製造したくないと考え、弾薬名から“W”を外し、.44CF弾と称した。その後、この名称を.44-40に変更している。これは、.44口径弾を40grの黒色火薬と組み合わせたことから来たものだ。最終的には、.44WCFではなく、この.44-40の名称が広まって定着した。
 レバーアクションライフルとリボルバーが同じ弾薬を使用するということは、西部の開拓地で暮らす人々にとって利便性が高く、これによって、ウィンチェスターモデル1873とコルトSAA等は共に人気を集め、普及していった…とよく言われる。
 しかし、ライフルがリボルバーと同じ弾薬を使用するということは、そのライフルの威力は極めて限定的であるということだ。そのライフルは、今日でいうところの“ピストルキャリバーカービン:PCC”に相当する。
 

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