ミリタリー

2026/02/07

令和7年度 遠洋練習航海 Part.2

 

防衛大学校や一般大学を卒業し、幹部候補生学校へと入校した若者たちは、約1年をかけ、海上自衛隊の幹部としての知識や技能を学ぶ。そして卒業すると、3等海尉の階級が与えられ、幹部自衛官となる。しかし、実務経験がないばかりか、海自の要の装備である艦艇での生活をしたことがない。そこで、練習艦「かしま」「しまかぜ」を使い、約5カ月間に及ぶ「遠洋練習航海」を行う。前回に引き続き、奮闘する“実習幹部”たちを軍事フォトジャーナリストの菊池雅之が追った!

 

パナマの大西洋側の玄関口であるガトゥン閘門に差しかかる。今回の遠洋練習航海の航程の中における山場の一つとなるミッションがパナマ運河通峡だ

 

 

練習艦「しまかぜ」。もともとミサイル護衛艦として就役したが、練習艦へと艦種変更。人材育成という新たな任務に就き、こうして世界を巡っている

 

 

「かしま」と「しまかぜ」を繋いでいたロープが解かれ、いよいよグアテマラから出港。まずは「しまかぜ」から動き出す

 

海自における別れの挨拶である「帽フレ」。舷側に整列する登舷礼を実施する実習幹部たちは、グアテマラに別れを告げる

 

「しまかぜ」を先頭に「かしま」が続く。その横をグアテマラ海軍の哨戒艇BH-656「グクマツ」とGC-654「ツァコル」が行く

 

「かしま」後部はヘリ甲板となっているが、ヘリは搭載していない。その代わりに小型ドローンを運用し、撮影などの任務に就いた

 

グアテマラ出港の朝。自衛艦旗が掲揚される。甲板に整列し、旗に向けて敬礼をする幹部・曹士たち

 

 2025年9月29日、本航海における9番目の寄港地であるグアテマラを出港した。
 出港直後「日グアテマラ親善訓練」が行われた。訓練と言っても、グアテマラ海軍には小型舟艇しかなく、大掛かりな戦術訓練は行えない。そこで通信訓練と陣形を整えて写真を撮影するPhotoEXを行った。訓練に参加したのはBH-656「グクマツ」とGC-654「ツァコル」の2隻だった。「かしま」には、グアテマラ海軍の若手士官らが乗り込み、この訓練を見学するとともに、海自の編成から日本の安全保障まで、ざっと簡単ではあったが学ぶ機会も設けられた。
 訓練終了とともに、グアテマラ海軍舟艇が「かしま」後部に横付けされ、若手士官らはとはここでお別れ。短い時間ではあったが、実習幹部と交流を果たした。
 グアテマラ出港翌日から、実習幹部たちの訓練がすぐさま再開された。午前中は操艦訓練、午後は応急部署や座学など、1日中みっちりと学ぶ。
 まもなく、今回の遠洋練習航海における最後の山場がやって来る。
 それがパナマ運河通峡だ―。
 大西洋と太平洋を繋ぐこのパナマ運河は、交通の要衝であるとともに、アメリカにとって軍事的にも極めて重要な存在だ。第2次世界大戦当時、帝国海軍は、大西洋側の米海軍艦艇が太平洋へと進出できないようにするため、このパナマ運河を破壊する計画を立てた。潜水空母「伊400」を使い、太平洋側のミラ・フローレス閘門を破壊するというのがその作戦内容だったが、結局中止となる。
 この重要な運河を抜ける体験は、実習幹部たちにとってこれ以上ない教科書だ。
 というのも、実習幹部の中には、航空機のパイロットや職種によっては陸上勤務が主となる者もおり、そうなるとフネに乗ることはほとんどなく、海上自衛官人生でパナマ運河を訪れることはない。また艦艇勤務となったとしても、パナマ運河を行き来するような長期航海をする可能性は多くはない。
 だからこそ、この貴重な経験をものにしようと、10月1日夜、実習幹部たちは実習員講堂に集合し、事前研究会が行われた。実際の作業は個艦の幹部や乗員が行うので、実習幹部たちは主として見学するだけとなるが、しっかりと知識を詰め込んでおく。

 

実習幹部用の居住区内。さすがに半年近く暮らすスペースだけあり、生活感にあふれている

 

「かしま」乗員らによる有志の大太鼓の練習風景。寄港地にて、音楽隊とともに演奏することもある本格派

 

課業外は、艦上体育が許可される。甲板をひたすら走るだけでは飽きてしまうので、右回り、左回りと日によって変わる

 

実習幹部専用の食堂があり、セルフサービスで盛り付けて頂く。基本的に好きなだけ食べられるが、トンカツや焼き魚などは一人ひとつなど制限がある

 

食事をとる女性実習幹部。今回は約30名が乗り込んでおり、性別の差はなく同じカリキュラムを受ける

 

実習幹部居住区にある洗濯室。基本的に毎日使えるが、真水の残量によっては許可されない日もある

 

理髪室も完備。ただし床屋さんはいないので、実習幹部同士で切り合う。プロ並みに切れる人もおり、いつでも予約でいっぱい

 

若手海曹士たちには食器洗いが任されている。和気あいあいと楽しそうに仕事をしていた

 

実習幹部用の浴室。大きめのバスタブとシャワーが並ぶシンプルな作り。蒸気の熱で焚き、追い焚きも可能なのでいつでも熱々お風呂

 

 翌2日、パナマ運河の入り口となるパナマ沖に錨を降ろして仮泊した。通峡は午後となる。仮泊中に現地のパイロット(水先案内人)が「かしま」へと乗り込んできた。彼らはデッキチェアやクーラーボックスなどを持ち込んでおり、この道中がかなりの長時間となることを予想させる。
 13時を回る事、いよいよ「かしま」は出港。隣で仮泊していた「しまかぜ」を追い抜く。
 大西洋のカリブ海側から入った場合、まずガトゥン閘門を通る。運河の両脇にはレールがあり、その上を機関車が走る。「かしま」と両機関車はロープで繋がれており、引っ張ってくれる。「かしま」側は微調整を行い、運河の内壁に船体をぶつけないように注意を払う。一気に通峡とはならず、ミラ・フローレス閘門を出たところで「かしま」は仮泊して、数時間後到着の「しまかぜ」を待つ算段だ。
 ガトゥン閘門へ到着。艦首及び艦尾側の門が閉じ、ものすごい勢いで注水される。こうして水位をあげ、「かしま」は運河を“登る”。ちょうど同じ水位となったところで、門が開き、緑豊かなジャングルの中へ。幅43㎞もある人工湖であるガトゥン湖へ。16時をまわるころ、再び錨を降ろす。ここで夕方まで時間調整を行う。ちなみに「しまかぜ」の姿は見えない。

 

パナマ運河を進む「かしま」。両岸の機関車が引っ張る形で、狭い運河の中を進んでく

 

ガトゥン閘門に到着。すると前方及び後方の門が閉じ、注水を開始。徐々に水位が上がっていく

 

すっかり日が落ちたガトゥン湖。ここで「かしま」は錨を降ろして、時間調整。周りはジャングルが広がり、人の営みは見えない

 

太平洋側の玄関口となるミラ・フローレス閘門。ここを通過した時には日付は変わっていた

 

 ガトゥン湖を出発すべく、錨を揚げる頃には、21時を回っていた。もう周囲は真っ暗。それでも旗甲板は、実習幹部たちで溢れていた。メモ帳にペンを走らせる勉強熱心な者もいれば、観光気分で浮かれ気味な者も…。
 先程とは逆の要領で、今度は下る形で、ペドロ・ミゲル閘門、ミラ・フローレス閘門を抜けていく。
 23時半頃。最後のミラ・フローレス閘門に到達した。首席幕僚・大矢1佐も旗甲板にあがり、その様子を見守る。すると実習幹部に、「今日中に太平洋に出られると思うか?」と聞く。すると周りにいた実習幹部たちから「出られる」「出られない」などさまざまな意見が出る。これは面白いと、私も腕時計とにらめっこ。最後の門が開いたのは23時54分であったが、ここから出口までは10分くらいかかり、結果、日付を越えて3日となった。よって「出られない」が正解だった。
 ここで錨を降ろし、またまた仮泊。「しまかぜ」を待ち、翌4日にパナマ沖を出港し、太平洋へと出た。ここから今度はアメリカ大陸に沿って北上していく。と言っても、陸地が見えることはない。
 パナマを出てから、時折激しい雨と風が船体を打ち付ける。天気がそこぶる悪くなり、揺れた。気象幕僚濱田1尉によると、「サンディエゴ入港までずっと天気が悪いです…」とのことだった。ただ雨が降るだけならば良いが、揺れるのは困る。私は船酔いが心配となり、何回か酔い止め薬を飲むはめに。
 実習幹部たちは、もう揺れには慣れたもので、何ともなく、日々の訓練をこなしていった。残りの航海の終わりが見えてきたからか、少々浮足立っている。それもそのはず、そろそろ配置が決まる頃であるからだ。当然ながら、全員が希望の配置となれるわけではない。パイロット希望の者が艦艇へ、はたまた艦艇希望の者が陸上配置へ、というのはよくある話し。自分の配置が気になり、訓練に身が入らず、注意される者も増えた。だが、自分の自衛官人生の一生を左右する岐路に差し掛かっているわけであり、これも致し方ないこと。
 渡邉司令官は、「私には、君たちの配置を決める権限はないから、聞いても無駄だぞ」と冗談交じりに実習幹部に話す。これは事実であり、決めるのは海幕。練習艦隊司令部は、決められたものを、ただ実習幹部へと伝えるだけ。
 数日間、青空を見ることはなく、航海は続く。厚い雲が覆うものの切れ間から青空がのぞくまでに天候が回復した10月13日、練習艦隊は、西海岸有数の大都市であるサンディエゴ沖に仮泊した。この街には、空母も母港とする巨大な海軍基地があるが、目指すのはダウンタウンの目の前にある岸壁だ。
 翌14日、「かしま」「しまかぜ」は予定通りその岸壁へと入港した。
 私は、ここで取材終了。さすがに1カ月も過ごした「かしま」を離れるのは寂しい。渡邉司令官をはじめ、池田艦長や幹部・曹士に別れを告げ、後ろ髪引かれる思いで、一足早く帰国した。
 その後、練習艦隊は、サンディエゴを出港し、最後の寄港地となるハワイ島のヒロを目指した。その道中、大掛かりな射撃訓練が行われた。
 かくして11月11日、練習艦隊は横須賀のH岸壁へと入港した。帰国行事は翌12日となる。ここで当直以外の者は、久しぶりの日本を堪能した。外泊も許可されており、横須賀に近い場所に家があるものは一旦帰宅することもできた。
 そして晴れ渡る空の元、帰国行事が行われ、ともに切磋琢磨してきた仲間との別れとなる。実習幹部たちは、本物の“幹部”となり、日本全国へと散っていった。(了)

 

サンディエゴ沖で仮泊をするため、前甲板では運用員たちが錨を降ろす作業を開始

 

夜間に突然、「発光信号を送れ」と命令が下る。これはいついかなる時も迅速に任務遂行できるようにするための「指定作業」と呼ばれるもの

 

こちらも「指定作業」として、突然舷外放水が命じられた。火災が起きた際に即座に対応できるよう訓練するためだ

 

練習艦隊司令部の中には音楽隊が編成されている。遠洋練習航海の度に編成される臨時音楽隊だ。実習員食堂が彼らの合奏訓練場

 

両艦をロープでつなぎ、それを通じて荷物や人員を送るハイラインを実施するため、近接する「かしま」と「しまかぜ」

 

サンディエゴの高層ビル群が迫る街のど真ん中の岸壁へと入港した。ここが北米大陸最後の寄港地となった

 

 

Text & Photos:菊池雅之

 

この記事は月刊アームズマガジン2026年3月号に掲載されたものです。

 

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