2026/01/13
戦場が求めた理想と現実 トカレフSVT1940自動小銃
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この1挺は戦うために作られてきた本物の銃だ。
数奇な運命に導かれ、今はこの日本という平和な地で静かに眠っている。
発射機構を排除され魂を抜かれても、その銃の魅力が廃れることはない。
時代と共に歩んだ歴史を、培われた技術体系を銃はその身を持って示してくれる。
その姿は銃に魅了された我々に新たなる知見をもたらすことだろう。
さあ、今回も無可動実銃のことを語ろう……。
ライフル開発におけるソ連の挑戦
1920年代にロシア内戦を経験したソ連では陸軍の機械化された機動戦を主体とした戦術が生まれ、前線の兵士の火力アップのために、自動小銃の開発が始まる。約15年間の開発プログラムの結果、1930年にデグチャレフ設計が採用され、続いてシモノフAVS-36、そして1938年のトカレフSVT-38へと続く。SVT-38でのフィンランドとの冬戦争での戦闘経験がAVS-36のアップグレードに繋がりSVT-40が誕生する。
SVT-40は先進的な自動小銃であったが、まだ多くの課題を残していた。特に複雑な製造工程と日常的なメンテナンスが必要であり、配備と運用には時間を要した。そこに第二次世界大戦が勃発し、大量の銃器を早急に造る必要性からモシン・ナガンやPPSh41に取って代わられてしまう。それでもSVT-40は約140万挺も製造され、第二次世界大戦中に製造された自動小銃ではM1ガーランドに次ぐ生産量であり、紛れもなくソ連を代表する自動小銃であったのだ。
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多目的小銃の先駆け
ソ連のSVT-40は画期的な小銃であることは間違いない。1940年の段階で自動小銃を実用化できたのは限られた国だけである。SVT-40のボルトは、ティルト・ボルト(ティルティング・ボルト)閉鎖方式を採用している。この構造の利点は、剛性が高くシンプルな構造で、製造が容易でメンテナンス性に優れている。欠点としてボルトの片側からの力と開閉時の衝突により、連射精度に多少の影響を与えるが、ボルトアクションに比べれば短時間でより多くの弾丸を発射することができ、効果的な火力を発揮した。しかし、過酷な戦闘環境においては故障率が高く、モシン・ナガンより構造が複雑なため、専門的な訓練を受けていない兵士が効果的なメンテナンスや修理を行なうことは困難であることから、大戦中に大量生産されることはなかった。多くのSVT-40は主に下士官や特定の精鋭部隊の人員に支給されている。特に有名なのは狙撃銃として使用されたことで、最初からスコープでの運用が想定された設計になっており、反動と銃口炎を軽減するためのハイダーも標準装備されていた。新型銃ではあったが弾薬などは従来のモシン・ナガンと同一であり、兵站面では不具合はなく、機関銃不足の際はSVT-40を軽機関銃化する計画まであった。
SVT-40は1940年4月から1942年中頃までの2年ほどの期間しか生産されなかったにも関わらず約140万挺も生産された。SVT-40を生産する工場ではすでにそれ以前に採用された自動小銃の生産経験があったため、生産は順調に行なわれたからだ。この時期にドイツからの侵略がなく、緊張した情勢のままであったらSVT-40の配備は順調に進み、世界一の生産量にもなったであろう。SVT-40は戦時中、敵国のドイツで高い評価を受けており、G43小銃はSVT-40を参考にしたものである。戦後は中間弾薬(短小弾)のSKSに取って代わられSVT-40は姿を消してしまったが、SVT-40はソ連の銃器開発に果たした役割は大きい。ソ連の理想に工業力が追い付いていない時代にSVT-40が出来ただけでも評価されるべき小銃である。
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TEXT:IRON SIGHT
この記事は月刊アームズマガジン2026年2月号に掲載されたものです。
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