2025/12/14
【実銃のお話】.45ACPの120年
.45ACPが登場して、今年はちょうど120年にあたる。
このアイコニックなカートリッジの歴史をたどってみたい。
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1911年に採用された最初の1911。これはコルトではなく、スプリングフィールド造兵廠が製造したもの。
アメリカ軍用拳銃口径
アメリカ合衆国最初の軍用拳銃はバージニア州のRappahannock Forge(ラパハノックフォージ)で製造されたモデル1775で、これは.62口径フリントロックのマズルローダーピストルだった。1775年から1783年まで続いたアメリカ独立戦争で使用されている。
1805年にはHarper's Ferry arsenal(ハーパーズフェリー兵器廠)がその改良型としてモデル1805を製造し、合衆国軍が使用した。口径は.54で、これもフリントロックのマズルローダーだ。
その後アメリカ軍は様々な場所で作られたフリントロックピストルを使用している。その最終型がモデル1836で、1842年にはパ−カッションロックのシングルショットであるモデル1842が採用された。これも口径は.54だった。
黒色火薬を使うこの時代は、その火薬の特性から弾速を上げることが難しく、また基本的に球形弾だったため、大きな径の重い弾で威力を確保するしかなかったのだ。
そして1847年、コルト ウォーカーが登場する。これはいわゆるパーカッションリボルバーで、その口径は.44となった。1848年には、同じ口径のコルト ドラグーンリボルバーがモデル1848として採用されている。
少し口径が小さくなったのは、.54口径のままではリボルバーのシリンダー径が大きくなり過ぎるためだ。必要とする威力を維持しながらも、シリンダーに6発を収めるため、この実寸で0.454インチ(11.5mm)という口径が定められた。そこにはこの銃を生み出すことに大きく貢献した、テキサスレンジャーのサミュエル・ウォーカー大尉の実戦経験が反映されている。
1851年、アメリカ海軍は銃をより小型にすべく、.36口径のコルトM1851ネービーを採用したが、陸軍は.44口径を維持し、1860年にはM1860ア−ミーを採用した。
1870年には初のカートリッジリボルバーとして、S&Wモデル3が使われるようになる。口径は.44 S&Wアメリカンだが、1875年にはGeorge W. Schofield(スコーフィールド)少佐の改良を盛り込んだ.45口径の.45スコーフィールド仕様が加わった。
一方、1873年にコルトシングルアクションアーミーがアメリカ陸軍に採用され、この銃に使用する.45コルト弾(11.43×33mmR)も併せて軍用カートリッジとして採用されている。そしてこの.45コルト弾がアメリカ陸軍の主力カートリッジになった。
この.44から.45(約11.5mm)という大口径の使用は別にアメリカ独自のものではなく、当時ドイツは11mm、オーストリア11mm、フランスも11mm、イタリアは10.4mm、イギリスが.455、ロシアは.44と欧米の主要国はすべて同様であった。
この状態はそれからしばらく続いたが、1890年代に入るとアメリカ陸軍は軍用リボルバーの小口径化に向けて動き出した。これは欧州諸国のトレンドに基づくもので、軍用ライフルの連発化が影響している。兵士の武装としては威力の大きなライフルが基本で、リボルバーは補助兵器に過ぎず、それならばもっと小型化するべきという流れだ。
同時期に無煙火薬の実用化と普及も進み、小口径化しても威力の低下は少ないということもこの傾向に拍車をかけた。
アメリカ海軍は1889年にコルト初のダブルアクション、スイングアウトリボルバーであるモデル1889 .38口径を採用しており、陸軍もそれに倣ってその改良型であるモデル1892を採用した。当時はダブルアクション、スイングアウトリボルバーの黎明期であり、これらはその当時、数回のアップデートを加えて改良されている。
海軍、陸軍が共に採用したこのコルトの最新型リボルバーだが、使用する.38ロングコルト弾は、かなり低威力であった。
既存の.45コルト弾は、弾頭重量250grで弾速850fps、銃口エナジーは約400ft.lbsだ。これに対して新しい.38ロングコルト弾は、弾頭重量150grで弾速708fps、銃口エナジーは167 ft.lbsでしかない。その後に無煙火薬が使用されるようになると、弾速は750fps、銃口エナジー201ft.lbsとなった。
銃の威力を判断する要素として銃口エナジーは一つの指標となる。.45コルトと比較すると、.38ロングコルトはかなりのパワーダウンだ。これは現役カートリッジでいえば90grの.380ACP弾と同程度でしかない。このことが後に大問題に発展する。
第二次世界大戦中に多くのメーカーで製造されたが、これはコルト製だ。
.38ロングコルト弾の力不足
アメリカは1898年の米西(アメリカ−スペイン)戦争に勝利し、その結果としてスペインの植民地であったフィリピンを自らの植民地とした。これにフィリピンは激しく抗議し、1899年2月、米比(アメリカ−フィリピン)戦争が勃発する。3月には首都マロロスが陥落したが、フィリピン側はゲリラ戦でアメリカに対抗した。この時、フィリピンに住むイスラム教徒であるモロの抵抗にアメリカ軍は手を焼くことになる。モロはスペイン統治時代においてもフィリピン政府とは関係が悪かった。そこにアメリカが現れ、モロが暮らすミンダナオ島を支配下に置こうとしたため、モロとのゲリラ戦が始まったのだ。
1902年、米比戦争が終結し、アメリカはフィリピン平定を宣言したが、モロを中心としたゲリラとの戦いはその後も1911年頃まで続いた。
ゲリラ戦を仕掛けてくるモロの戦士に対し、アメリカ軍は.38口径弾で反撃しても、彼らは倒れることなく突っ込んでくる。そんな事例が何件も発生したらしい。これは単に.38ロングコルト弾の威力不足の他に、モロの戦士特有の戦闘方法も絡んでいた。
彼らは,イスラム教徒であると同時に土着民族であり、戦(いくさ)の前に、ある種の薬物を使って昂揚感を得ていた。トランス状態になれば、麻酔を使っているのと同様、肉体の損傷に対する痛みを感じない。銃で撃たれてもそれが致命傷でない限り、そのまま突撃をおこなえたのだ。もちろん致命的な器官が破壊されれば、人間は機能を維持できなくなり、行動不能に陥る。しかし、.38ロングコルト弾でそれを瞬間的に引き起こすほどのパワーは無かった。
このことはアメリカ議会でも問題となる。そして.38ロングコルト弾は軍用としての能力が適切なのかどうかを検証することになった。
トンプソン・ラガーデ レポート
ジョン・T・トンプソン大佐(Col. John T. Thomson)と、ルイス・A・ラガーデ少佐(Maj. Louis A. La Garde)は、当時のピストル弾である.30ルガー、9mmパラベラム、.38ロングコルト、.38ACP、.45コルト、.455ウエブリー、.476エレーについて、これらを生きた動物と死んだ動物、および人間の死体の様々な部位に撃ち込んで、それぞれの効果や衝撃度を観察し、それをレポートにまとめた。1904年に提出されたこの報告書はThe Thompson-LaGarde Reportと呼ばれている。
このトンプソン・ラガーデ レポートは当時できる範囲においてかなり詳しく各弾薬の特性を調査したものだ。開発されてまだ数年しか経過していないX線写真を用いるなど、最新の技術を投入している。一方で、生きた動物を撃って死に至るまでを観察するなど、現代では批判を免れない方法を用いたり、被弾時の衝撃を見るために人間の死体を吊り下げて、それがどの程度揺れるか、といったこれもまた確実に問題視されることもおこなっている。特にこの死体吊り下げテストは果たしてそれで判断するのが妥当なのか疑問に思える要素だ。
どうであれこのレポートの結論は、
・ピストル弾にはライフル弾のような爆発的な破壊力を求めることはできず(手に持って使える大きさに留める限り)、ピストルを使う場合は兵士が正確な射撃が可能なように(致命傷を負わせる部位は小さいため)、じゅうぶんな訓練をおこなうことが重要であること
・近距離戦闘であってもじゅうぶんなストッピングパワーを得るには、.45口径以上であるべきというものであった。
具体的には、テストした弾の中でもっとも効果的なのは.475エレー鉛弾(288.1gr, 729fts, 340ft.lbsであり、これに次いで.45コルト鉛弾(250gr, 720fps, 288ft.lbs)だとしている。そして.45口径未満の各弾薬はどれも必要とする威力はないとも述べている。これがその後の.45口径化を決定づけた。
但し、この部分はかなり問題があると思える。なぜならば、弾頭部が完全に被覆されていない銃弾の戦争での使用禁止は、1899年のハーグ条約(Hague Convention of 1899)で戦時国際法に定められており、被覆なしの鉛弾は使えないはずだからだ。
20世紀初頭の段階では、ハーグ条約はアメリカ軍の中では順守するつもりがなかったのだろうか。トンプソン・ラガーデ レポートでは、鉛弾のみならず、ハーグ条約で禁止されているホローポイントやカップ形状の弾頭まで使われ、中にはテスト中にジャケット弾の先端部をヤスリで削って鉛のコアを剥き出しにしてテストするなど、かなり無茶をしている。
そして結論に至る前のテストの途中記述には、“マンストッピングパワーを得るためには、口径を大きくすることが重要で、弾速を上げても効果はない”という現在の認識とはだいぶかけ離れたことも述べている。
いずれにしてもこのトンプソン・ラガーデ レポートが1904年に報告されると、アメリカ軍は.45口径のセミオートマチックピストルを採用する方針を定めた。
.45ACPの誕生
これを受けて、ジョン・M・ブラウニングとコルツ パテントファイヤーアームズマニュファクチャリングは、共同で.45口径弾を開発した。1905年に作りだしたのは、弾頭径0.451インチ、ケース(薬莢)長0.898インチのリムレス ストレートウォールカートリッジだ。当初は200grのブレットを900fpsで撃ち出すものを作っている。この時の銃口エナジーは360ft.lbsだ。そして、この新しい.45口径カートリッジは、.45ACP(Automatic Colt Pistol)と名付けられた。
今年はそれからちょうど120年にあたる。
この.45ACP弾は、その後に展開されたアメリカ軍用ピストルトライアルのテストカートリッジとして採用され、コルトはもちろん、サベージやDWMも.45ACPで試作品を提出した。そしてコルトとサベージは、過酷なテストを競い合い、最終的にコルトとブラウニングが開発したセミオートマチックピストルが新しいアメリカ軍用ピストルModel of 1911として採用された。
これが1911年3月29日のことだ。.45ACP弾も同じ日にアメリカ軍が正式に採用している。
このピストルがM1911であり、その民間市場向け製品がコルト ガバメントだ。
第一次世界大戦における主要交戦国でセミオートマチックピストルを使用したのは、アメリカとドイツ、そしてオーストリア=ハンガリー帝国だ。そしてアメリカ軍のM1911は非常に高い性能を発揮した。この戦争にアメリカ軍は723,275挺のM1911を投入した。
優れた性能を発揮したものの、改良すべき箇所がいくつも見つかったため、1924年に改良型が作られ、アメリカ軍は1926年にこれをM1911A1として採用した。
続く第二次世界大戦でアメリカは、M1911A1を1,994,066挺製造している。
.45口径最盛期
第二次世界大戦を通じて、アメリカは他の交戦国で.45口径クラスの銃を使用している国がほとんど無いことに気付いた。ほとんどの国は、7.62mmから9mmまでを使用している。同盟国である英国も、1928年に.455から.380口径に移行を開始していた。戦後の復興に向けて、有り余ったM1911A1を供与した国は.45口径を使用したものの、それらの国は.45口径を望んだわけではない。
アメリカ軍は第二次世界大戦後に、欧州諸国にならって9×19mm弾を使用する軍用ピストルの採用に動き出す。この時、ダブルアクションやアルミフレームの採用による小型軽量化など、ピストルの大幅な近代化が計画されていた。しかし、朝鮮戦争の勃発や、新型ピストルへの移行に掛かるコストの大きさ、そして使用可能なM1911A1が大量に存在することなどから、新型ピストル採用計画は頓挫した。
1950年代から60年代においては、.45口径のM1911A1は前時代的であるという主張はあったものの、その一方で、.45口径に絶大な信頼を寄せる意見も多くあったし、民間市場でもコルトガバメントの人気は圧倒的だった。当時リボルバーが主流のアメリカでも、セミオートならガバメント.45口径一択であるという声が大きかった。またガバメントを改造し、より実戦的にするカスタムも1970年代には盛んになった。.45口径の1911、およびガバメントカスタムこそ、最も実用的な戦闘ピストルであるという主張を、元海兵隊将校で、その後にアメリカン ピストル インスティテュート(のちのガンサイト アカデミー)を設立したジェフ・クーパーがおこなったことの影響も大きい。.45口径と1911は前時代的であるどころか、最先端のコンバットピストルであるといわれるようになっていく。この1970年代が.45ACPカートリッジの最盛期だった。但し、これはアメリカにおいての話だ。他国で.45口径に人気が集まった事例はなく、また戦後に軍用として積極的に.45口径を採用した国もない。
使われ続ける.45ACP
1970年代末、アメリカ軍も老朽化したM1911A1を9×19mmを使用する新型ピストルへ更新する動きが始まった。アメリカ軍にM1911A1が納入されたのは1945年が最後で、それ以降は一挺も新規納入されていない。新型9mm ピストルの選定は1985年にベレッタ92B-F(92F)をM9として選定する形で決着し、M1911およびM1911A1は74年間に及ぶアメリカ軍サービスピストルの座を降りた。それは45ACPカートリッジも同様だ。
但し、.45ACPがこれで一気に衰退してしまうわけではない。アメリカ海兵隊(USMC)はM1911A1をクァンティコにあるPrecision Weapon Section(PWS)で改造し、MEU(SOC)ピストルとして使用し続ける。それは1985年に始まった。
2003年に海兵隊特殊作戦軍第1分遣隊(Det One)が新設された時、キンバーのICQBを採用している。もちろんこれも.45ACPだ。海兵隊の1911へのこだわりは強く、2012年にはコルトのM45A1を新規採用してる。これは近代化改造された.45ACPの1911であり、コルトの1911がアメリカ軍に納入されたのは66年ぶりとなった。
アメリカ軍のM9採用と前後して、リボルバーを主に装備していた警察組織も一気にセミオートマチックピストルに移行するようになっていた。そんな時期に当たる1986年に起こったFBIマイアミシュートアウトは、9×19mmカートリッジのパワーへの不安を一気に現実のものとする出来事だ。
この事件は銀行強盗を繰り返す2人の容疑者とそれを追い詰めた8名のFBI捜査官との間で銃撃戦となり、FBI捜査官は何発も容疑者を被弾させながらも反撃され、捜査官2名が死亡、5名が負傷している。これがきっかけでFBIは10mmオートを一時期採用、それが.40S&Wや、.357SIGといったパワフルなカートリッジの誕生に繋がっていく。
1990年以降、.40S&Wがアメリカの警察組織や民間市場で急速に普及した理由は、9×19mmは威力不足なのではないかという不安感がその背景にあったからだ。一方、そういった新しいカートリッジではなく、信頼の.45ACPを使い続けることへのこだわりも根強くあった。.45ACPのデューティガンを装備するポリスオフィサーは少なからず存在したし、SWATなどの特別武装部隊では.45ACPの1911カスタムを使用するケースが多くみられた。また民間にも、依然として.45口径に絶大の信頼を寄せる人達がたくさんいた。
そのような中、.45ACPが復権に向けて大きく動いた時期もある。世界的な潮流に乗って9×19mmを採用したアメリカ軍の中で、その威力に不満を抱く声はずっと絶えなかった。
そして1989年、USSOCOMが主導し、OHWS(Offensive Handgun Weapon System:攻撃用ハンドガンシステム)の選定が動き出した。これは.45ACPを使用し、サプレッサーとレーザーエイミングモジュールを組み合わせた特殊部隊用ピストルを選ぼうというものだ。ヘッケラー&コックとコルトがこのプログラムにエントリーしたが、コルトは初期段階で敗退し、最終的にヘッケラー&コックMark 23 Mod0が1996年に納入された。ところが、この銃は大き過ぎて使いづらく、実際の運用は限定的なものに終わっている。
その後2005年にUSSOCOMが再び主導して、陸軍の一般部隊を含め既存のM9から.45ACPの新型ピストルへ移行するジョイント コンバットピストル(JCP)のプログラムが開始された。まさに.45ACPへの回帰を目指すものだったが、すぐに陸軍がこのプログラムから離脱し、特殊部隊専用ピストルの選定であるコンバットピストル(CP)のプログラムに変容した。主要ガンメーカーは製品サンプルを提出したものの、短期間でこの計画自体が中止となっている。
2011年にアナウンスが開始され、2015年から本格化したXM17モジュラーハンドガンシステム(MHS)には、明確な口径指定がなかった。そのため、.45ACPでのエントリーも可能であったが、このコンペティションに.45ACPでエントリーしたメーカーはない。
実質的に現在、.45ACPを復権させる動きはない。その背景として2014年にFBIが“9×19mmカートリッジに回帰する”と発表したことが大きく影響していると思われる。優れた弾頭を撃つ9×19mmカートリッジは、.40S&Wや.45ACPより優れた結果を示す、とそこで述べたことで、.45口径のノックアウトパワー神話が崩壊してしまった。9mmは.45口径よりリコイルが軽く連射しやすく、より多くの装弾数が得られるという利点があった。そこに加えて9mmの方が優れた結果を出すとしたら、わざわざ.45口径を選ぶ意味はない。
このFBIの発表後、それまで人気のあった.40S&Wは急速に衰退し始めた。.45ACPもその勢いを失っていると言わざるを得ない。それらに替わって人気を集めているのが9×19mmだ。
かつて各メーカーの製造するコンバットピストルのラインナップには、9×19mmと.40S&Wがあり、少しだけ大型化したバリエーションに.45ACP仕様が用意されている場合が多かった。それが今では9×19mmだけで、.40S&Wや.45ACPは用意されていないというモデルが増えている。その一方で1911クローンの多くは、そのほとんどが.45ACP仕様をラインナップさせているのが現状だ。だが、それらはもう軍用として使用されることはない。警察官が公務で使用するものでもない。勝敗にこだわるスピードシューティングに用いるものでもない。あくまでも“楽しみ”としての射撃に用いるものだ。
登場から120年が経過し、.45ACPはそういう“穏やかな弾”となっている。しかし、それを持つ者の身に危険が迫る状況が生まれたら、.45ACPは瞬時に牙を剥き、戦闘態勢に入るだろう。これは軍用弾だったのだ。戦い血は今でも変わらずその中に流れている。
Text by Satoshi Matsuo
Photos by Yasunari Akita, Hiro Soga, Toshi, Turk Takano, Masami Tokoi/Terushi Jimbo
この記事は月刊アームズマガジン2025年12月号に掲載されたものです。
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