2025/08/03
オールドモデルガンアーカイブ:革命を起こしたモデルガン 前編
今モデルガンは、撃って遊べるものから飾って楽しむものまで、高いレベルのいろんなタイプがある。しかしここにいたるまでには、様々なチャレンジや失敗、発明や工夫があった。そんな中から、あらためて歴史を変えたエポックメイキングなモデルガンを振り返ってみよう。
MGC
シュマイザーMP-40(1968)
ブローバック革命
MGCのMP-40(MGCの表記)が発売されたのは1968年。純国産のモデルガンが登場してからわずか6年後のこと。実銃の取材・採寸はもちろんのこと、製造方法も一部に実銃と同じプレス加工を使い、とにかくリアルで模型としての完成度が高かった。
しかもそこに、玩具用紙火薬を使い、まるで実銃を撃ったかのように空薬莢をまき散らしながら、安心・安全に連射できるブローバックと呼ばれる機構が組み込まれていた。
この、まさに夢のような作動システムは、設計を手がけた小林太三さんが、エンジンのピストンとシリンダーの関係を参考に考案したデトネーター方式と呼ばれるもの。それが、映画『007は二度死ぬ』(1967)の日本ロケで、プロップガンを作って欲しいという要請によってMP-38を手作りした時に、初めて組み込まれた。そしてTVドラマ『ザ・ガードマン 東京警備指令』や東芝のTVコマーシャルでも使われるなどして進化を遂げ、さらなる改良が加えられて、一般市販されるMP-40に組み込まれることになった。
MP-40は、発売当初はMGCライセンス(住民票の提出が必要)を持っていて、なおかつ18歳以上でないと買うことができなかったにも関わらず、大ヒット。発火全盛時代の象徴的存在となった。
DATA 主材質:スチール、亜鉛合金ダイキャスト、ABS樹脂(グリップ) 全長:850mm(ストック展開時)
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六研
ファースト・ドロー・スペシャル(1969)
高級カスタム革命
日本のガンブームの中心にあったアメ横の中田商店は、モデルガン人気が絶頂期にあった1968年(1969年とも)にモデルガンの製造をやめた。モデルガン関連の業務は新会社TRC(東京レプリカ・コーポレーション)に引き継がれ、設計や原型製作などを手がけていた六人部登さんは独立して、トイガンの設計や、1挺1挺機械加工で作る高級カスタムモデルガンを製造・販売する新会社、六研を立ち上げた。
六研は最初、TVの『コンバット』で人気だったトンプソンとM1カービンの全鉄カスタムを作った。そして次に最初のハンドガンとして、コルト・シングル・アクション・アーミー(SAA)を、真ちゅうで作って発売した。真ちゅうは機械加工がしやすいうえ、特に仕上げをしなくても磨いただけで金色に輝き美しかったことから選ばれた。
価格はカートリッジが6発付いて32,000円。当時の大卒初任給とほぼ同じ金額だ。亜鉛合金製の量産モデルガンとは1ケタ違う高級品。それでも、初回ロットの50挺はすぐに売り切れてしまったらしい。そして3ロットまで雑誌広告に掲載されているので、少なくとも150挺は作られたのだろうと推測されている。
このモデルにより、ハンドガンの高級カスタムは金色に輝く真ちゅう製というイメージが出来上がった。
六研では、真ちゅう製のカスタムSAAを3回(3タイプ)作っているという。最初のファーストモデル、六人部さんが社長、国本圭一さんが副社長でスタートしたウエスタン・アームズ(WA)で作られたSAA、そして再び六研に戻って作られたセカンドモデル。
しかし1977年の第二次モデルガン法規制の材質制限により、六研の真ちゅう製カスタムは作ることができなくなってしまう。わずか9年間だったが、それでもこの六研のモデルガンが高級カスタムのジャンルを作り出し、一時代を築いたことは間違いない。

DATA 主材質:真ちゅう(機械加工磨き仕上げ)、ウォルナット(グリップ)
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※モデル名などは、基本的にはメーカー表記に準じていますが、メーカー自身の表記にも揺らぎがあるため、本稿ではその時に参考にした資料に従って表記し、あえて統一していません。
TEXT&PHOTO:くろがね ゆう
この記事は月刊アームズマガジン2025年9月号に掲載されたものです。
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