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2025/05/27

昭和大好きかるた 時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る 第28回「ふ」

 

時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る

 

第28

プラモデル

 

 令和となってはや幾年。平成生まれの人たちが社会の中枢を担い出すようになった今、「昭和」はもはや教科書の中で語られる歴史上の時代となりつつある。
 でも、昭和にだってたくさんの楽しいことやワクワクさせるようなことがあった。そんな時代に生まれ育ったふたりのもの書きが、昭和100年の今、"あの頃"を懐かしむ連載。 

 第28回は、軍事フォトジャーナリストの菊池雅之がお送りします。

 

 


 私が小学生の頃、プラモデルが大流行しました。もちろんアニメ『機動戦士ガンダム』のプラモデル、通称“ガンプラ”に端を発した一大ムーブメントです。

 

プラモデルの大流行

 

 実際のところ、まさにブームに乗った世代は、私より少し上となるはず。というのも、私が小学校低学年の時には、すでにガンプラは社会現象となっていました。


 その騒動の理由は、どこに行っても買えないほどの人気となっていたからです。


 とは言え、今のように転売ヤーがいたわけではありません。みんな自分が欲しいから買った結果、品切れ続出のブームとなっていたのです。手に入れるには、早朝から、デパートや模型店に並ぶしかありません。長いこと待って整理券を入手したのち、はれて購入となります。大人気はやはりガンダムでした。


 私のようなおこちゃまは、のこのことお昼頃に行き、残っていたガンプラをようやく買っていました。最初に何を買ったのか、記憶を辿ってはみたものの思い出せません……。


 ただ、私はモビルアーマー派で、グラブロとかザクレロを作っていました。最近まで実家の自分の部屋に飾ったままになっておりました。

 

今度はこれをつくるつもり。やっぱり漢はステルス機だぜ!!

 

世代を超えた人たちが交流した”プラモ屋”

 

 私が小学生から中学生頃まで通っていた模型屋さんがありました。


 そこは、プラモだけでなく、エアガンやNゲージなども取り扱っており、夢のような場所でした。店長が座るレジの前にちょっとしたテーブルとイスがあり、そこは常連さんの席でした。年齢で言えば、大学生ぐらいの方々が多かった記憶があります。


 店長は愛想がいいわけではなく、かまってくれる感じではなかったのですが、常連のお兄さんには少し可愛がられていました。お金がなくて工具が揃えられなかったので、そのお兄さんたちにいろいろ借りた思い出があります。


 ある日、この模型店には似つかわしくないおばあさんが入ってきました。
 入るなり、店長に「外のプラモデルは買えますか?」と質問してきました。お店の入り口付近には、常連さんたちが作ったプラモデルがショーケースに入れられて飾られていました。どうやらお孫さんに欲しいとねだられたようです。


 店長は少し戸惑いながら「あれは売り物じゃないんですよ…」と答えます。「ちなみにどれですか?」と聞くと、「あの白いやつ…」と、おばあさんはガンダムを指差します。


 すると常連席から「それ僕が作ったやつです」と一人のお兄さんが名乗りを上げました。で、「差し上げますよ」とあっさりと快諾。


 ここでおばあさんは「いいえ、買わせて下さい」と全力で首を振り、その申し出を固辞します。


「いやいや、大したもんじゃないし、家にいっぱいあるからあげます」


「それはいけません」


「あげます」


「いけません」


 応酬が始まり、「大人って面倒臭いなぁ…」と見ていた私。するとおばあさんは、財布から1万円を出し、お兄さんに無理やり手渡します。


「これはさすがに貰いすぎです」と焦るお兄さん。すると店長が「なら他にも作ってあげればいいじゃん。1万円分」と提案。そのお兄さんも「そうですね。では1万円分作ってお返しします」と、ここで契約が締結しました。


 そのお兄さんが新しいプラモを作ると、店長からおばあさんに連絡が入り、店に取りに行く関係となり、おばあさんもすっかり常連となりました。


 この世代を超えた交流を私も真横で見ており「なんかいいなぁ」と、感じたものでした。


 最後は、おばあさんも「孫と作ってみる」と何かを買っていった記憶があります。

 

 

 コロナ禍、外出制限の中、私も久しぶりにプラモを作りました。それは知り合いから頂いた航空自衛隊の「ブルーインパルス」でした。


 その時、突然、あの模型屋さんでのエピソードが脳内に蘇り、SNSに書き記しました。すると、大バズし、なんと朝日新聞社から「記事にしたい」と連絡が入りました。私は電話取材を受け、1時間ぐらいしっかりとお話し、驚くべきことに後日、しっかりと記事になりました。

 

今回の記事の元にもなったXのポスト朝日新聞の記事も閲覧可能です。


 その自分の記事を読みながら、模型店の事が気になり、私は40年ぶりに行ってみました。
 残念ながら、そこに模型店はありませんでした。店のあった一角はすっかり様変わりし、新しい街になっていました。


 しかし、記憶の中で、あの時の店、常連のお兄さん、そしてあのおばあさんは、鮮明に生きていたので、不思議と寂しくはなかったです。
 

 

TEXT:菊池雅之

 

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