2025/05/15
絶版モデルガンに見る第二次世界大戦マイナー&じゃないほう拳銃 Part2
絶版モデルガンに見る第二次世界大戦マイナー&じゃないほう拳銃
かつてトイガンの花形だったモデルガンは、メジャーな人気の銃を中心に、マイナーでレアな銃も作られた。今回はすでに絶版となってしまったモデルガンの中から、第二次世界大戦で使われた各国のマイナーな拳銃、主流じゃないほうの拳銃をピックアップしてみた。
アメリカ軍
ハドソン「コルト・リボルバーM1917 Cal.45」

ハドソンのM1917が発売されたのは、モデルガンが二度目の法規制を受けた1977年。当時は、どんな銃なのか知らない人も多かった一方で、モデルガンはよりマニアックにリアル化が進んでいたのも事実。すでにMGCやCMCは「フルメカ、フル機能」へ舵を切っていた。
M1917の原型を手がけた六人部さんがハドソンの社長と話している中で、ハドソンはそれまでの流れを変え、売れ線路線から、独自路線で行くことになったという。そして次のモデルはM1917に決定したらしい。
六人部さんは土浦の自衛隊武器学校にあった同系統リボルバーのオフィサーズを取材してメカニズムの参考にし、外観は資料書籍の写真を参考にし、サイズは手元にあった実銃用のハーフムーン・クリップと、グリップから割り出していったという。
結果、おそらく量産モデルガンで初めてコルトのセーフティ(ハンマーブロック)を再現し、クレーンの固定をロックスクリュー付きにし、ハンマーやトリガーの軸(スタッド)を別部品にしてフレームにはめ込むなど、高級カスタム・モデル並みの仕様となった。
銃に詳しい人ほどすぐに飛びついたが、M1917自体を知らない人も多く、じわりとしたヒットになったという。売れ線ではない、じゃないほう拳銃として、おそらくハドソンとしては想定内だったに違いない。





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ハドソン「コルト・オートポケット32・モデルM」

(Photo by Keisuke.K)
通称32オート、別名コルトポケット、またはM1903オート。ハドソンのモデル名にあるモデルMは、第二次世界大戦中、アメリカ合衆国政府の発注によって作られた一連の32オート(.380口径のM1908もあった)を指すらしい。
このモデルガンが作られたのは1971年の第一次モデルガン法規制のちょっと後になる1973年。ちょうどその頃、モデルガンの海外への輸出が本格化し、ハドソンにも32オートを作ってほしいというアメリカからのリクエストが入ったのだという。
アメリカではメジャーな銃だとしても、日本では知らない人も多いモデルで、発売当時は誰もがなぜ?と思った。それにはアメリカからのリクエストという事情があったのだ。
モデルガンは、アメリカでは主に展示用だったから、外観はかなり正確に再現されていた。そのためアメリカ側から基本データの提供があったという。
一方メカに関しては省略もあった。ハドソンのカタログに書かれているように「当社のモデルは廉価にするため、グリップセーフティを外観のみにしてある」という仕様だった。ただ、バレルとフレームの嵌合には実銃どおりのバヨネット形式が採用されていたが。
そんなわけで、日本国内での広告は小さな扱いで、積極的にPRされることもなかった。日本では注目率も高くなく、販売数もそれほどではないマイナー銃となってしまった。

(Photo by Keisuke.K)


(Photo by Keisuke.K)

※販売目的の所持禁止。 |
※モデル名などは、基本的にはメーカー表記に準じていますが、メーカー自身の表記にも揺らぎがあるため、本稿ではその時に参考にした資料に従って表記し、あえて統一していません。
※寸法などのデータは当時のメーカー発表によるもので、実測値ではありません。また価格は発売当時のものです。
TEXT:くろがね ゆう/アームズマガジンウェブ編集部
この記事は月刊アームズマガジン2025年4月号に掲載されたものです。
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