2025/04/13
20世紀を彩った推しモデルガン Part 2
20世紀を彩った推しモデルガン-1970年代-
これまでに発売されたすべてのモデルガンの中から、推しモデルガンを選ぶ、というのは超ムズカシー! 60年以上の歴史があるわけで、技術的にも大きく進化しているから、単純に同じ基準で選ぶことができない。そこで、モデルガンの歴史を10年ずつに分け、それぞれの量産モデルガンの中から、自分なりの推しモデルガンを選ぶことにした。あなたの選択と同じものがあるか、チェックするような気持ちで読んでいただければ幸いだ。
※モデル名などは、基本的にはメーカー表記に準じていますが、メーカー自身の表記にも揺らぎがあるため、本稿ではその時に参考にした資料に従って表記し、あえて統一していません。
1970年代(1970~1979年)
推しモデルガン
ベスト・エポック・リボルバー
「MGC製ハイウェイパロールマン41」(1972)
ベスト金属リボルバー
「WA製ニュー・モデル・スーパー・ブラックホーク」(1978)
モデルガンの法規制が二度にわたって行なわれたのが1970年代だった。
1回目は1971年10月20日に施行され、金属製ハンドガンは銃腔を金属で閉塞し、表面を白または黄色(特例的に金色も可)にしなければ、所持できなくなった。
これでモデルガンをやめたという人もいた。銃口が開いていないため、発火ガスが吹き戻って次弾が誘爆したり、発火時の燃えカスや汚れがたまってすぐに手入れが必要になったりした。特にMGCが開発したデトネーター方式ブローバックは、汚れに大変敏感で、オートマチック・ハンドガンは10〜20発程度しか連射できなくなってしまった。
それに対して、長物は発火ガスが抜けるため快調に作動し多弾数を撃つことができたので、特にサブマシンガンは人気となった。



そんなところへ1977年12月1日、2回目の法規制が施行された。今度は金属製モデルガンすべてを対象に、銃身分離タイプが禁止された。長物も銃身基部に大きな超硬材インサートを鋳込まなければいけなくなったので、ストレートに発火ガスが抜けなくなった。しかも、一定以上の硬さを持つ金属の使用が禁止されたので、スチールプレスのサブマシンガンは作れなくなってしまった。ただ、ここで言う禁止とは、販売目的での所持ができなくなったということで、それまでに入手したものは所持するだけなら問題なかった。そのため駆け込みで、法律の施行までに金属モデルガンを手に入れようとする人が続出した。
そんな1970年代にはモデルガンが大きく進化し、名銃がいくつも登場したため、推し選びに悩みに悩むことになった。結果、その後の時代の流れを先取りしていた2機種を挙げることにした。もちろんどちらも大ヒットしている。
1つはMGCがいち早く開発に取り組んで実現させた初のプラスチック製リボルバー、1972年発売のハイパト(ハイウェイ・パトロールマン41)。その後に与えた影響を考えるとベスト・プラスチック・リボルバーと呼んでいいのではないだろうか。頑丈にできていて、多くの人がボロボロになるまで遊び倒した。ここからプラスチック・モデルガンの時代が始まったといっても過言ではない。

もう1つはWA(ウエスタンアームズ)の金属製リボルバー、ニューモデル・スーパーブラックホーク。スーパーブラックホークは当時漫画や映画の影響で大ヒットになり、各社で競作になったが、最新モデルのニューモデル・スーパーブラックホークを作ったのはWAだけ。1978年の発売当時、詳細がわからなかった内部メカも実銃に忠実に再現されていた。しかも量産モデルでありながらカスタムモデルガン並みのタイトな公差で作られ、発火モデルでありながら並外れた美しい仕上げが施されていた。撃たなかった人が多かったとも言われている。後の発火機構を持たないレプリカモデルにつながるスペックを持つモデルガンだった。



TEXT&PHOTO:くろがね ゆう
この記事は月刊アームズマガジン2025年3月号に掲載されたものです。
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