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2024/09/17

昭和大好きかるた 時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る 第10回「こ」

 

時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る

 

第10回

コンビニ

 

 令和となってはや幾年。平成生まれの人たちが社会の中枢を担い出すようになった今、「昭和」はもはや教科書の中で語られる歴史上の時代となりつつある。
 でも、昭和にはたくさんの楽しいことやワクワクさせるようなことがあった。そんな時代に生まれ育ったふたりのもの書きが、”あの頃”を懐かしむ連載。
 第10回は、刃物専門編集者の服部夏生がお送りします。

 

 

 今回も当方の連投で失礼させていただく。
「こ」で始まる懐かしいものはたくさんある。
 その中から小学生の頃に夢中になった『コロコロコミック』をいったん選んだのだが、同誌は今も月刊で発行されており、往年を振り返る連載がある。そちらに任せた方がいいだろう、ということで、別のテーマで書くことにした次第である。

 

商店街にできたピッカピカのお店

 

 僕が生まれ育った街は、巨大な団地と古くからの住宅街が混在しており、二つの地域の境目を長大な商店街が貫いていた。
 アーケードが設けられた昔ながらの商店街である。精肉店や青果店、お好み焼き屋にうどん屋、夜になるとネオンが点るスナック、そこだけ妙にお堅い空気が漂う地方銀行の支店…。およそ日常生活で必要なものは、商店街でほぼ揃った。
 僕がガンプラをはじめて買ったのも、柔らかい本をはじめて買ったのもその商店街だったし、名古屋のソウルフード、スガキヤラーメンが一角にできた時は、小遣いを握りしめて駆けつけた。
 同級生にも、商店街の店の子どもがたくさんいた。年間通して半袖半ズボンで登校していた定食屋のセガレは健康優良児的な内容で賞状をもらっていたけど、冬はマジで寒そうだったから羨ましいとは感じなかった。

 

今でも元気な商店街は全国にあって、歩くだけでも楽しい。ここは大阪のとある街の商店街、お好み焼きもめっちゃ美味しかった


 前回書いたように、僕は小学生時代、米国で数年暮らしていた。
 帰国してバブル直前の日本の変わりっぷりに驚いたことはすでに書いたが、商店街の変わりっぷりにもびっくりさせられた。
 中心部となる四つ角に、ピッカピカのお店ができていたのだ。
 円の中にKの文字が入ったそのお店はサークルKという名称で、コンビニエンスストアという業種なのだ、とクラスメートが教えてくれた。
 中に入ると心躍る商品がぎっしりと棚に置かれていた。しかも朝早くから夜遅くまでやっているという。
 綺麗だしなんでも揃うしいつでもいける。
 これって、理想郷じゃね?
 興奮した僕には、既存の個人商店に思いを馳せる想像力はなかった。

 

数十年ぶりに再訪して入ったコンビニ

 

 中学は地元、高校も自宅に一番近いところにいったから、僕は毎日その商店街を通り抜けたし、時折コンビニに入って飲み物を買った。
 商店街は少しずつ、本当に少しずつ変わっていった。商店街以外の場所にもコンビニがいくつもでき、国道沿いに全国チェーンの小綺麗なお店が建つ。そのたびに、優しいおばあちゃんがやっていた駄菓子屋や、無口で怖いおじいちゃんがやっていた玩具店がなくなっていった。
 仕方ないな。
 心の奥がちくりとしたけど、僕は自分にそう言い聞かせた。
 大学生になって名古屋を離れた。両親は郊外の戸建てに引っ越したから、生まれ育った地域とは疎遠になった。就職で東京で暮らしはじめた頃になると、商店街のこともすっかり忘れてしまった。
 何十年かが経ってフリーランスになった。子どもたちが進学で家を出たこともあり、年老いた両親のそばにいた方がよかろうと昨年、名古屋に拠点を移した。そのタイミングで久しぶりに生まれ故郷を訪れた。
 商店街は健在だった。馴染みの店があったところは、ことごとく看板がなくなりシャッターが降りたままになっていた。
 僕が生まれ育った団地は再開発の波に呑まれる格好で、大学のキャンパスに姿を変えていた。巨大な団地がなくなり住民が激減したわけだから、商店街が廃れるのは必然だ。
 仕方ないな。
 ほぼ40年ぶりに同じ感想を抱きながら、荒物屋のオオタくんや、洋菓子店のアズマさんはどうしているかな、と思った。そして、顔見知りなら子どもでもツケにしてくれた文具店のおばさんや、パンクした時に油まみれの手で応急処置をして、いいからいいからとお金を受け取らなかった自転車屋のおじさんの顔を思い起こした。
 商店街の人たちとの間にやり取りをするたび、彼らの存在が少しずつ、僕の心の中で場所を占めていった。そこに歴史が生まれ、言葉を交わすたびに思い出が積み重なっていった。
 あの頃、ちくりと痛みを感じていたのは、そんな「いつもの感じ」がなくなっていくことが、寂しかったからだ。そのことにようやっと気づいた僕は、蛍光灯の明かりに照らされた商店街のことを、心から懐かしいと感じた。
コンビニは健在だった。
 でも看板は、サークルKではなく誰もが知る巨大ブランドに変わっていた。
 仕方ねえよな、今度は口に出して言いながら、そのブランドのアプリをレジで提示してがっちりポイントを貯めて、外に出た。耳鼻科のビルがマンションに変わっているのを眺めながら飲んだ缶コーヒーは、自分のことを暗喩するかのように甘かった。

 

コンビニエンスストアが日本に登場したのは1969(昭和45)年とされており、70年代後半から80年代に急速に発展した。一般社団法人日本フランチャイズチェーン協会が公開する資料によるとコンビニの店舗数は約5万6千店(2023年12月末現在)、コロナ禍からの脱却が進んだ結果、23年の売上高は前年を上回り、過去10年間最高を記録。社会に不可欠な存在となっている


 昭和を懐かしもう、というテーマのこの連載だが、無闇に昭和がよかった、なんて思っているわけじゃない。どっちかと言えば、ろくでもない時代だった。いじめだって差別だって、ひどいもんだったと思う。でも、人と人のつながりから生まれた「良きもの」も確かにあった。
 子どもの頃、当たり前のように受け取っていたものの尊さを、失ってようやく気づく。
 それもまた、仕方のないことなんだろう。
 コンビニのレジのおばちゃんの愛想良さに、あの頃の人たちの面影を感じながら僕はクルマに乗り込んだ。

 

TEXT:服部夏生

 

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