その他

2024/09/03

昭和大好きかるた 時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る 第9回「け」

時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る

 

第9回

ケンメリ

 

 令和となってはや幾年。平成生まれの人たちが社会の中枢を担い出すようになった今、「昭和」はもはや教科書の中で語られる歴史上の時代となりつつある。
 でも、昭和にはたくさんの楽しいことやワクワクさせるようなことがあった。そんな時代に生まれ育ったふたりのもの書きが、”あの頃”を懐かしむ連載。
 第9回は、刃物専門編集者の服部夏生がお送りします。

 

 

 両親は、クルマに乗っていなかった。生まれ育った団地は、徒歩3分のところに地下鉄の駅があったし、近所に商店街もあった。栄という東海地区最大の繁華街も自転車を20分ほどこげばいけたので、困ることはなかった。だから、クルマが欲しいと思ったことはなかった。
 そんな子ども時代の僕にとって、クルマはリアルな持ち物ではなく、夢や憧れの対象だった。

 

サバンナとケンメリ

 

「オレの母さん(名古屋では『倒産』と同じアクセントで発音する)のクルマ見たってよ(名古屋弁で「見てよ」の意)」
 小学生低学年の頃の話である。
 下校の途中で、クラスメートのオノくんが僕に語りかけてきた。なんでだよ、と聞くと、母親がずっと念願だったクルマを購入したのであり、それは「さばんな」というクールなクルマなのだ、とものすごい早口で教えてくれた。
 サバンナRX-7は、その頃、格好いいクルマとして人気だったし、僕も知っていた。団地の前にある公園の脇に停められていたオノくんちのそれは、シックなブラウンの車体にMAZDAのロゴが光っていて、想像以上にイカしていた。
「母さん、速くてカッコいいクルマ好きだで。オレが生まれた頃は『けんめり』にのっとったんだわ」
 感想を伝えると、オノくんは再び早口でそう語り、団地の駐車場に空きがなくて今は路駐しかできないのだ、と悔しそうに続けた。ふむふむと相槌を打ちながら「けんめり」って何だろうと思いを巡らせていた。そして、家に帰ってから、幼稚園の頃に買ってもらった自動車図鑑を広げて、日産スカイラインの4代目の愛称だと知ったのである。

 

1972(昭和47)年発売の日産スカイラインの4代目は、そのキャッチフレーズ「ケンとメリーのスカイライン」を略してケンメリと呼ばれて親しまれた。ちなみに、3代目は角ばった形状からハコスカと呼ばれていた。73年生まれの筆者が小学校に上がる頃は、5代目が登場していたが、まだまだケンメリは普通に街中で見ることができた。

 

 セリカにソアラ、ブルーバード、スタリオン…。それまで、カウンタックもファミリアも同列に憧れの対象だった僕だったが、オノくんの「ケンメリ」発言以降、国産のカッコいいクルマに興味を持つようになった。
 そんなタイミングで、父親の仕事の都合でまさかの米国暮らしが始まった。
 住んだところはバッファローというまあまあな田舎町だったので、クルマは生活必需品だった。それまでクルマを運転したこともなかった父親は、日本の道路だったら2車線を塞ぐのでは、というオールズモービルの巨大なセダンを手に入れると急に運転好きになり、週末になると家族でドライブに出た。米北東部の風景はとにかく退屈で、僕は後部座席で横になりながら空の様子をずっと眺めて過ごしていた。
 日本車の波はとうに押し寄せていて、至るところで走っていた。だけど、1980年代前半の米国のキッズたちは、なんていうか、てんでわかっていなかった。
「オーケー、ナッツ。トヨータは日本車だよ。それは認める。でも、ダッツン(日産の海外向けブランドDATSUNを彼らはそう呼んでいた)はアメリカ製だよ。そんなことも知らないのかい?  ニッサン!? 聞いたことねー。ミチビチ(三菱自動車)!? なにそれ知らない。アメ車サイコー」
 僕の拙い英語力では、それ以上言い返せなかった。今、思い出しても悔しいけど、カマロとかトランザムとかマスタングは、田舎町のメインストリートや小麦畑を貫くフリーウェイには恐ろしく似合っていてカッコよかったから、仕方ねえ今日はこれくらいにしといてやる、と口の中でつぶやいて、みんなと一緒にスクールバスに乗り込んだのである。

 

燃費はリッター数キロだったと思う。ちなみに、今回クルマの名称がたくさん出てきたが、若い方で興味を持った方がいたらぜひ調べていただきたい。どのクルマにも豊かなバックストーリーがある

 

クルマを慈しんでいたあの頃

 

 米国で数年過ごして帰国すると、日本は行く前よりもずっとキラキラしていた。懐かしさもあったと思う。でも、1980年代後半からはじまるバブル景気の浮かれた空気感が、子どもにもわかるくらい、はっきりと街に現れていた。
 ちょっとの間いなかっただけだったのに、クルマもすっかりデザインが変わってしまっていた。そんな中、オノくんちのサバンナは健在で、駐車場に停められていた。ピカピカだった車体はちょっとすすぼけていたけれど、シュッとしたシルエットは、変わらず格好良かった。でも、中学生になって金髪&ボンタンで見事に不良デビューしたオノくんと、クルマについてしみじみ語り合う機会はついぞ訪れなかった。
 僕がトンチキなUSキッズたち相手に地団駄踏んでいた頃から40年。
 今や日本車は世界でしっかり認知されている。そして、テスラをはじめとした新興勢力が、世界を席巻している。時代の移り変わりの早さに驚くばかりである。
 僕たちが生まれ育った団地も、再開発でなくなってしまった。
 でも、ティアドロップのサングラスをかけ、ロングヘアーを靡かせながら颯爽とRX-7に乗り込んでいたオノくんのお母さんの姿は、今だって鮮明に思い出せる。
 そういえば、ケンメリを調べてカッコいいや、とため息ついていたあの頃は、休みになると総出でクルマを洗車する家族がたくさんいた。当たり前の風景だったけれど、自分たちが頑張って手に入れたものを慈しみながら扱うその姿が、今となっては、とっても尊いと感じる。

 

 ホビージャパン社の通販サイト「ポストホビー」を見ていて、子ども時代のことを思い出して、そんな感慨にふけってしまった。
https://www.posthobby.com/SHOP/list.php?Search=旧車
https://www.posthobby.com/SHOP/list.php?Search=スカイライン

 

TEXT:服部夏生

 

※当サイトで掲示している情報、文章、及び画像等の著作権は、当社及び権利を持つ情報提供者に帰属します。無断転載・複製などは著作権法違反(複製権、公衆送信権の侵害)に当たり、法令により罰せられることがございますので、ご遠慮いただきますようお願い申し上げます。

Twitter

RELATED NEWS 関連記事

×
×