2024/06/11
昭和大好きかるた 時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る 第3回「う」
時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る
第3回
う
ウイッキーさん
令和となってはや幾年。平成生まれの人たちが社会の中枢を担い出すようになった今、「昭和」はもはや教科書の中で語られる歴史上の時代となりつつある。
でも、昭和にはたくさんの楽しいことやワクワクさせるようなことがあった。そんな時代に生まれ育ったふたりのもの書きが、”あの頃”を懐かしむ連載。
第3回は、軍事フォトジャーナリストの菊池雅之がお送りします。
軽快な音楽に乗せ「グッドモーニング!ミスター・トクミツ!!」で、始まる私の小学生時代の朝のルーティン。それは、日テレで朝7時より放送していた情報番組「ズームイン!! 朝!」(※)のワンコーナー「ウイッキーさんのワンポイント英会話」を見ることだった。
このコーナーを担当していたのがウイッキーさんだった。きっとアラフィフ世代にとって、ウイッキーさんの認知度は80%以上じゃなかろうか。そう自信を持って言えるのは、私の小学生時代のクラスメイトは、ほぼ全員がズームイン朝を見ていたからだ。
※「ズームイン!! 朝!」:1979(昭和54)年から2001(平成13)年まで、日本テレビ系列で放送されていた朝の情報番組。「トクミツ」とは、初代メインキャスター徳光和夫のこと。「ウイッキーさんのワンポイント英会話」は番組開始から約15年間続いた人気コーナー。「ウイッキーさんに捕まっちゃって」は、遅刻の言い訳として一時期流行した
英語に触れるきっかけだった朝の番組
ご存じない方のために説明しておくと、ウイッキーさん(本名:アントン・ウイッキー・アンパラヴァナル)が、日本各所に出没し、街行く人に英語で話しかけて、使える単語や熟語を教えてくれるという、今風に言うならばアポなし突撃街頭インタビューだ。きっと、制約の多い現在では、このスタイルでの放送は難しいのかもしれないが、あの当時は、好意的に迎えられていたコーナーだったし、私も大好きだった。
コーナー最後は、ウイッキーさんが笑顔で手を振りながら「Have a nice day!」で締めくくる。これが週末になると「Have a nice weekend!」となる。朝食を食べながらだったか、歯を磨きながらだったか、よく覚えていないが、とにかく毎日見ていた。そしてウイッキーさんの別れの挨拶を一つのきっかけとして、次の朝の作業に入る。
ウイッキーさんは、英語に触れる第一歩だった。しかし「英語が話せるのはアメリカ人」と大枠でくくっていた私だったが、高学年になり、ウイッキーさんがスリランカ人だと聞いて驚いた記憶がある。
ウイッキーさんが生まれた1936年は、まだイギリス統治下だったので、ネイティブな英語に触れて来られたことだろうし、もしかすると生きていくために英語が必要不可欠だったのかもしれない。けれどもウイッキーさんが、ぺらぺらと英語を繰り出していくのを見て、漠然と、「同じアジア人である私もしつか英語が話せるようになるのかな」と期待した。そのために“努力が必要”であると痛感させられるのは中学に入り英語の授業がはじまってからだ。
私にとって、日本語が話せる外国人の存在も不思議だった。というのも、当時私の周りに外国人は皆無だった。だから、日本人以外の人が、どんな生活をして、どんなことを考えているかなど、察することも難しかった。でも、ウイッキーさんを見て、日本に住み、日本語を話し、日本を好きでいてくれる外国人がいることを知ることができた。
相手の文化に敬意を払うことを学ぶ
ちょっと話は脱線するが、その当時、多くのバラエティ番組でも今と変わらず外国人タレントが活躍されていた。
大人気だったのは、ギニア出身のオスマン・サンコンさんだ。天然キャラで、どちらかというと、イジられキャラでもあった。「1コン2コン・サンコン!」が持ちネタ。さらに「6.0の視力を持っていたが、日本で目が悪くなり今では視力1.2」とか、「ライオン見たのは日本の動物園が初めて。だってアフリカでライオンと出会ったらその瞬間食べられちゃう」など、ほんとかどうかわからないアフリカ小話をいくつも持っていた。
また、アメリカ人のケント・デリカットさんも見ない日はなかった。丸メガネが特徴で、それを顔の前後で動かすことで、凸レンズの効果により、目を大きく見せるのが持ちネタだった。今でも討論番組や政治番組に出演されているアメリカ人で弁護士のケント・ギルバートさんと「ちゃんとしたアメリカ人と冗談ばかり言うアメリカ人」などと比較され、それに対してデリカットさんは、「それはケント(見当)違いだよ」というダジャレで反論。こちらも持ちネタになっていた。
私が小学生の頃、こうしてすでに多くの外国人タレントがお茶の間を賑わせていたが、国籍を意識して彼らを見ていた記憶はない。もちろん肌の色の違いは意識していたが、そこに差別や区別はなかった。むしろ、ウイッキーさんをはじめ、多くの外国人タレントに向けていた私のまなざしは、「英語がうまい」「日本語もしっかり話せる」、そして繰り返しになるが“日本を好きでいてくれている”と、尊敬に近いものだった。
今にして思えば、私にとってブラウン管を通じてではあったが、最初に出会った外国人が、こうして1980年代に活躍した外国人タレントの皆さんだった。
そして漠然と、「将来は、こうして海外で活躍する外国人の仲間に入りたいな」と思っていた。とはいえ、気持ちとは裏腹、英語の成績はヒドイ有様ではあったが、なんとか世界を飛び回る仕事についた。
私は、かつて見た外国人タレントのように、訪問先の国では、文化を知り、好きになろうと努力をしている。たどたどしい英語ではあるが、なんとかその思いは伝わっているようで、肌の色も言語も文化も異なる多くの友人を持つに至った。
そして、帰国する際、私は異国の友人たちに、「Have a nice day!」と右手を大きく振り笑顔で別れを告げる。あの日のウイッキーさんのように。
TEXT:菊地雅之
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