2024/05/28
昭和大好きかるた 時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る 第2回「い」
時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る
第2回
い
芋
令和となってはや幾年。平成生まれの人たちが社会の中枢を担い出すようになった今、「昭和」はもはや教科書の中で語られる歴史上の時代となりつつある。
でも、昭和にはたくさんの楽しいことやワクワクさせるようなことがあった。そんな時代に生まれ育ったふたりのもの書きが、”あの頃”を懐かしむ連載。
第2回は、刃物専門編集者の服部夏生がお送りします。
いきなりヘンテコなワードを出してしまって申し訳ない。
イチローが僕と同い年で同郷って話を書いてもよかったのだが、「芋」というワードを思いついて、感慨にふけってしまった。
1970年代の流行語「イモい」
1973年、すなわち昭和48年生まれの僕の小学生時代、「芋」はお手軽に相手をおちょくるワードだった。「イモ欽トリオ」というタレントたちが一世を風靡していたことも大きかったと思う。
インターネットを検索すると、田舎くさい、垢抜けないの意で、「イモい」という表現が1970年代後半から使われるようになった、と書かれているが、早い話「格好悪い」をカジュアルに言い換えたワードだったのである。今でも「芋ジャー」という単語にその空気感が残っているように思う。
「あいつ、芋っぽいよな」
昭和50年代は、アイドルの全盛期でもあった。次から次と登場する彼女たちを、僕たち男子は、無遠慮に批評した(現代のポリコレ的にはあんまり適切でないところは、お目こぼしいただきたい)。
アイドルのことを「かわいい」とか「きれい」って言うことは、あり得ないに近かった。そう言おうものなら、周りからめっちゃからかわれ、囃し立てられた。
要するに、この時代の一般的な男子小学生には、女子のことを「素敵」と言うのが、恥ずかしくて仕方なかったのである。なんで恥ずかしいんだろ?ふと気づいて、その先に、もやもやした気持ちがあるってことも感じたけれど、そう考えることすら恥ずかしかった。
「芋」は、そんな僕たちプリリルボーイズ(※)にとって、使い勝手のいいフレーズだった。
だって、小泉今日子だって中森明菜だって、渡辺満里奈だって、デビュー時は、高校生とかである。まだあどけない顔だし、垢抜けてもいない。とりあえず芋っぽい、と言っておけば、大体、当たっていた。芋芋唱えていれば、テレビに穴が開くほど、彼女たちの歌う姿を見ている気恥ずかしさも、拭い取れるような気がした。
※プリリルボーイズ:Pretty Little Boysの意。筆者が敬愛してやまない小説家・町田康が、超名作『くっすん大黒』にて披露した頭弱め男子の呼称。町田康がパンク歌手・町田町蔵時代に率いていたドンバ「INU」を代表するアルバム『メシ喰うな!』がリリースされたのは、1981(昭和56)年3月。当時、筆者はまだ7歳で、INUの存在は知らなかったけど、臓物を観客に投げるバンドがある(ザ・スターリンのことです)と聞いて「怖っ!!」と思っていました。
「芋」は若者たちに便利な言葉だった
「いや、オレは好きだよ。かわいいもん。性格も良さそうだし」
ある日、サトウくんは、決然として、そう言い切った。
いつものように芋を連発しながら、アイドル評論をしながら、学校から帰る途中だった。えー何いってんだよーと笑っていたけれど、サトウくんは自説を曲げることなく、ランドセルのストラップをギュッと握りしめながら、歩き続けた。
僕たちは、しばらく笑っていたけど、その日から、彼が推しているアイドルのことは、もう芋っぽいと言わなくなった。その子が誰だったかはすっかり忘れたけれど、あの時の、サトウくんの表情は、鮮明に覚えている。
もう少し大きくなった僕たちは、クラスの女子のことが、なんだかよくわからないけど、気になってきた。今までみたいに、いじわるしたりからかったりするのは、なんだかよくわからないけど、イケてないような気がしてきた。
挨拶みたいに使っていたフレーズは、アイドルだけじゃなく、彼女たちにも、言えない感じになってきた。笑顔が素敵だったミナミさんに、日直の仕事をサボっていることを注意された時も、「うっせ、芋っぽいこと言うなよ」って口元まで出かかったけど、「おっと、そいつを言っちゃあ、おしまいよ」ってハイヤーセルフが語りかけてきて、すんでのところで止まった。
もっと大きくなって、アイドルよりもクラスの女子の方が百万倍気になるようになってくると、それまでまるで刺さることのなかったラブソングの歌詞が、妙に沁みるようになった。そして、尾崎豊のアルバムの歌詞カードを熟読しながら、彼女たちのことを、ありったけの言葉を使って、表現するようになった。
いつの間にか「芋」というフレーズも使わなくなった。
昭和50年代に子ども時代を過ごした僕たちにとって、「芋」は「好き」へとつながる気持ちへの、もやもやした気持ちを、ひとまずやり過ごすための万能フレーズだった。
みんな薄々わかっていた。もやもやの中に足を踏み込まず、このぬくぬくした世界にい続けるのは、どうやら難しいことを。いつか自分の好意をちゃんと相手に言わなきゃいけなくなる時が来ることを。でも、怖くて足がすくんでいた。だから、仲間内で、ダチョウ倶楽部みたく「どうぞどうぞ」を無言でやっていた。そんな時に、自主的に故上島竜兵の役割を引き受けて、最初の一歩を踏み出したのがサトウくんだったのだ。
あの時、彼は、少し怒ったような、泣き出しそうな表情をしていた。がむしゃらな決意を表していたその顔は、今思い出しても、格好悪くて、格好良い。
恋とか愛って、おじさんになってもやっぱりなんだかよくわからない。昭和であろうと、令和であろうと、もやもやの中身なんて、結局、わからないままだ。自分の子どもたちに面と向かって愛とは、と聞かれても、口ごもってしまうはずだ。想像するだけで、格好悪くて、格好悪い。
もし昭和時代の僕が、そんな今の僕を見たら、きっとこう言うはずだ。
「ねえおじさん、そういうの、芋っぽいよ」
TEXT:服部夏生
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