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2024/07/23

昭和大好きかるた 時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る 第6回「か」

 

時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る

 

第6回

隠れ〇〇

 

 令和となってはや幾年。平成生まれの人たちが社会の中枢を担い出すようになった今、「昭和」はもはや教科書の中で語られる歴史上の時代となりつつある。
 でも、昭和にはたくさんの楽しいことやワクワクさせるようなことがあった。そんな時代に生まれ育ったふたりのもの書きが、”あの頃”を懐かしむ連載。
 第6回は、軍事フォトジャーナリストの菊池雅之がお送りします。

 

 

 当時の子どもたちの例に漏れず、私も“ファミコン”にハマった。
 説明するまでもないだろうが、任天堂株式会社が発売していた家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」(*)のことである。
 私の手元に来たのは、小学3年生の時だったと記憶している。すでに購入済みの友達は多かったが、だからと言って、我が家への導入が遅かったわけでもなかった。

 

*ファミリーコンピュータ:1983(昭和58)年に任天堂が発売した世界初の本格的な家庭用ゲーム機。14,800円という比較的廉価な価格設定に加え、全世界で4,000万本以上を売り上げた「スーパーマリオブラザース」などの人気ソフトを連発したことで、世界的なヒット商品となった。

 

口伝で受け継がれた裏技の数々

 

 さて、今回は、当時子供たちが血眼で探し出したり、攻略本を見て再現させたりと、熱狂していた、“隠れ〇〇”についてお話したいと思う。
 この〇〇に入る言葉は、“キャラ”や“コマンド”などだ。
 裏技などとも呼ばれるが、初期は“技”というほどではなく、何か特別な操作をすると、アイテムが出てきたり、ワープできる扉が現れたりする程度であったが、小学生を狂喜乱舞させるには充分だった。
 今のように、SNSがないので、ほとんど口コミに頼るしかない隠れ〇〇の数々は、魅力だった。
 有名なところでは「グラディウス」(*)というシューティングゲーム。これは当時大ヒットしたし、私も買った。とにかく画面が綺麗かつ繊細。そして主人公が乗る機体がパワーアップすると、英語が流れる。例えば「ミサイル」なら「ミッソー」と発音する、カッコイイ英語の数々。

 

*「グラディウス」:1985(昭和60)年に当時のコナミが発売。当初はアーケードゲームとしてリリースされたが、翌年にはファミコン用のゲームも発売された。惑星グラディウスを救うためのシューティングゲームは、細かな隠れ仕様があり、キッズたちは夢中になった。


 もともとゲームセンターで火が付いたゲームだが、小学生はなかなかそんな場所に出入りできず、その存在を見ることも難しかった。しかし、近所の駄菓子屋「チャンピオン」が、「グラディウス」を導入した。そこで中学生のお兄さんがゲームしているのを心ときめきながら後ろから眺めていた。
 だからファミコン版が出れば飛びつく。
 で、このゲームでの有名な隠れコマンドが、↑↑↓↓←→←→BAだ。ゲーム中にポーズボタンを押し、これを打ち込むと最強になる。スピードアップにミッソー、分身となるオプションまで付くという至れる尽くせり。
 なんで、こんなまどろこしいことをするかって?
 当時の我々は、この一見まどろこしい操作とともに現れる隠れ〇〇に憧れていたからだ。

 

ファミコンは、当時の子どもの家には必ずと言っていいほど置いてあった

 

 さらに「ボンバーマン」(*)。これは爆弾で敵をやっつけながら進むゲームだが、当時の私はこの隠れアイテムにも熱狂し、すべてを探し出したものだ。

 

*「ボンバーマン」:1985(昭和60)年末に当時のハドソンが発売。まさに爆発的なヒット作となり、シリーズ全体で1,000万本以上を売り上げたとされている。


 例えば敵をやっつける前にゴールとなる扉を触わる、敵を全滅させたあとに一周するなどのとてつもないまどろこしい操作を行うと、隠れキャラが現れる面があるのだ。で、そこで出てくるキャラが、「スターファイター」という別のゲームのキャラだったりする。
 こうしたゲームを超えたコラボを現出できたとなれば、もはや映画を2時間見終わった後の感動に近いものがあった。
 いろいろなゲームがある中で、私が特に好きだったのが、「アトランチスの謎」(*)。

 

*「アトランチスの謎」:1986(昭和61)年に当時のサンソフトから発売された。主人公のウィンが師匠を助け出す冒険の過程で、ワープをはじめとする複雑かつ多岐にわたる隠れ設定があり、これまたキッズたちを夢中にさせた。


 これは探検家がダイナマイトを武器に進んでいくゲームであるが、なんてことない空間でダイナマイトを爆破させると、別のゾーンへとワープできる扉が現れる。
 こんな隠し方されても、個人があてずっぽうなやり方で見つけられるわけがない。詳しい友人や攻略本を頼らなければまず無理。例え教えられてそこにあると知ってても、そうした扉が現れた時の高揚感は、今でも忘れられない。
 今の小学生と違い、娯楽の少なかった1985(昭和60)年頃のゲームにおけるこの隠れ〇〇の数々は、ただのゲームにとんでもない魅惑的なスパイスとなって、当時の小学生を痺れさせた。
 そう、もはや、これは麻薬である。

 

現実と空想の世界を繋ぐ隠れ〇〇

 

 そして私も大人になっていく。
 もともとゲームの才能は無く、私が高校生になるころには、「ストリートファイターⅡ」のような格闘ゲーム全盛となり、同級生にまったく歯が立たなくなり、ゲーム自体が面白くなくなってしまった。もともと外で遊ぶ方が好きだったこともあり、そこから今に至るまでほとんどゲームはしない人間となってしまった。
 しかしながら、あの麻薬は完全に断ち切れていないようで、ビルを歩いていて、不自然に広い踊り場や、路地の行き止まりなどを見つけると、「ここでしゃがんで地面を叩くと隠れ扉が現れるのでは?」とくだらない妄想してしまう私がいる。
 そんなわけはないといいつつも、各地を旅しながら、隠れ〇〇を探しながら歩いてしまう私が頭の片隅にいるのだ。

 

東松島で隠れアイテム(ブルーインパルスのイラストがあしらわれたマンホールの蓋)に鋭い視線を向ける筆者

 

TEXT:菊池雅之

 

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