2024/08/06
昭和大好きかるた 時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る 第7回「き」
時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る
第7回
き
金八
令和となってはや幾年。平成生まれの人たちが社会の中枢を担い出すようになった今、「昭和」はもはや教科書の中で語られる歴史上の時代となりつつある。
でも、昭和にはたくさんの楽しいことやワクワクさせるようなことがあった。そんな時代に生まれ育ったふたりのもの書きが、”あの頃”を懐かしむ連載。
第7回は、刃物専門編集者の服部夏生がお送りします。
子どもの頃の僕にとって、平日の17時近辺はテレビのゴールデンタイムだった。
小学生になるあたりまでは『トムとジェリー』をはじめとしたアニメ、小学校高学年からは『夕やけニャンニャン』。楽しかったし、人生にも多大な影響を与えてくれた番組ばかりである。
だが、時期に関係なく心待ちにしていたのはドラマの再放送だった。『スチュワーデス物語』や『スクール⭐︎ウォーズ』(*)といった大映テレビものにも心震わされていたが、何より楽しみにしていたのは『3年B組金八先生』だった。
*『夕やけニャンニャン』〜『スチュワーデス物語』や『スクール⭐︎ウォーズ』といった大映テレビもの:『夕やけニャンニャン』は1985(昭和60)年放送開始のバラエティ番組。この番組からアイドルグループのはしり「おニャン子クラブ」が誕生した。ちなみに後述する片岡鶴太郎とダンプ松本は、のちに仲良くなったらしい。『スチュワーデス物語』は1983(昭和58)年、『スクール⭐︎ウォーズ』は1984(昭和59)年スタート。それぞれ「ドジでのろまな亀」「悔しいですっ!!」といったインパクトある台詞と大袈裟な展開の連続で、大映テレビ制作ドラマの王道的作品。
あの頃のテレビ番組の空気感
ご存知の方も多いとは思うが、武田鉄矢演じる中学校教師、坂本金八と彼らの教え子をめぐるドラマである。いわゆる学園ものの王道だが、ストーリーが子どもの僕にとってはなかなかに衝撃的だった。同級生同士が将来を約束し合って妊娠に至ったエピソードの時は、家でも学校でも話題にできなくて、もやもやしたままテレビに観入っていた。
小学生だった当時の僕にとって、中学校は怖いところだった。昭和48年生まれの僕が小学生の頃は、中学校や高校での校内暴力が社会問題化していたのである。そして、僕が通うことになる予定の中学は、名古屋でトップ3の荒れた学校である、という噂がまことしやかに流れていた。だから三原じゅん子演じるスケバンの「顔はやばいよ、ボディやんなボディを」(*)という名台詞も超リアルに聞こえて、震え上がったものである。
*「顔はやばいよ、ボディやんなボディを」:『3年B組金八先生』は1979(昭和54)年からスタートした学園ドラマだが、政治家に転身した三原じゅん子が登場したのは第1シリーズ。ロンタイ姿が決まっていた。翌年スタートした第2シリーズでは、加藤優を演じる直江喜一や今は亡き沖田浩之といった芸達者が演じていて見応えがあった。
そして、第2シーズンのクライマックスが始まった。
これまたご存知の方も多いと思うが、加藤優という生徒が卒業を前に元いた中学校に乗り込んで放送室をジャック、なんやかんやあって逮捕されてしまうという衝撃的な展開である。当然、金八先生も駆けつけ「かとーーーうっ!!」と怒鳴ったり、警察に突撃したり、釈放された加藤たちを平手打ちして抱きしめたりと大活躍(事態を余計面倒にしちゃった気もしなくはない)する。
今観ると、中島みゆきのBGMも相まって、悲劇に終わった学生運動への反省的なテーマがあったと読み取れるのだが、子どもにとって大人の理屈に価値なんてない。ただただ手に汗握ってドラマを見守った。そして大団円を迎えた後、テレビを消し、「加藤たちは痛そうだなあ」という感想を抱いた。それくらい金八も警察も生徒たちをどつきまくっていた。だから、ドラマ終盤の生徒たちはボロッボロになっていた。
あの頃は、テレビの中で、バイオレンスが普通に描かれていた。
金八先生では、ほぼ毎回誰かが誰かをどついていたように思う。『スクール⭐︎ウォーズ』だって山下真司演じる”泣き虫先生”が、小沢仁志演じる不良生徒を川の中に沈めて大惨事一歩手前になっているし、『夕やけニャンニャン』に至っては生放送中にMCの片岡鶴太郎をダンプ松本が襲撃し、ガチンコの修羅場が繰り広げられていた。めちゃくちゃである。
現実の学校でも、教師が普通に生徒をどついていた。
小学校の時の担任は力任せに平手打ちした結果、ひとりの生徒を病院送りにした(さすがに大問題になった)。生徒だって黙っていなかった。恐る恐る入った中学校は案の定荒れていて、上級生たちはまあまあカジュアルに教師をどついていた。ただし首領は、武闘派の教師の返り討ちにあい「覚えてろよ!!」と、世界定型句選手権の日本代表候補くらいにはなれそうなセリフを吐いていた。
泥臭さの中に込められた真心
書いていて、なかなかタフな時代だったな、と自分でも驚いている。
そんなデストピアの只中にいながら、殴り合いの喧嘩すらしないまま大人になった僕は、有り体に言って超ビビリだった。だが一方で、暴力で物事が決まるのは、ものっすごく嫌でもあった。強い方が弱い方を力で理不尽に抑えつけることが納得できなかった。だから今でも小学校の担任のことを思い出すと気分が悪いし、大人が子どもに手をあげるのはダメ絶対!! だし、お笑いのどつき芸もはっきり言って好きじゃない。
だが、「かとーーーうっ」と甲高い声で叫んで平手打ちする金八と生徒たちの間には、誤解を恐れずにいえば、相手への信頼のようなものがあるように感じたし、彼らが本気でぶつかりあった先に生まれる強固な関係は、正直うらやましかった。
現実の中学校で大立ち回りを演じたワルの首領が卒業の日、お礼参りすると思いきや、武闘派教師と涙ながらに抱き合っているところを見た時は、学級委員(クラスのまとめ役である)ゆえに在校生代表として居合わせただけの僕にも、胸に迫るものがあった。
OKわかった。腕力のない俺は、相手と喧嘩では分かり合えない。その代わり、コトバで分かり合おう。
まだ子どもである。思いを言語化なんてできなかった。でもテレビや現実でのぶつかり合いを目の当たりにして、まとめ役としてクラスメートたちに話しかけ、トライアンドエラーを繰り返しながら、僕はそんな自身の考えを確立していった。
今回は単純に「昔は良かった」話ではない。
当時のテレビ番組も現代のコンプライアンスには引っかかるものが多いだろう。繰り返しになるが、個人的にも力で相手の意思を屈服させることを是とはできない。
でも、バイオレンスの表層(あえてそう表現する)を剥ぎ取った奥にあるテーマを、僕たちはぼんやりと読み取り、相手と真剣にぶつかって、時に悔し泣いたり、時に嬉し泣いたりしながら学び、どうにかこうにか社会に出ていった、ように思う。
昨今の暗いニュースを見ると、属人的なリテラシーを獲得していく上で社会が果たすべき「正解」なんてないように思う。でも、僕は、互いに胸襟を開き合うために努力を重ねていた「昭和」の市井の人々の泥臭さは、案外悪くないものだと感じている。
TEXT:服部夏生
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