実銃

2023/02/11

【前編】ハイレベルなプロフェッショナルツール「グロック19 Gen5」の軌跡を辿る【実銃】

 

 

 

 オーストリア軍のサービスハンドガンとして登場したGlockは、1985年に米国市場に入り、その後大躍進を遂げた。メカニズムはほとんど当時のまま小改良を加えて現在は第5世代に進化している。開発以来約38年の間に世界中の軍、LE機関、そしてそれらの中のエリート部隊の多くがGlockを選んできた。彼らにとってハンドガンは腰の飾りではない。その意味でGlockはハイレベルなプロフェッショナルツールだといえる。

 


 

 1980年代の始めに登場したGlock17は、今でこそオートマチックハンドガンの概念を覆した歴史に残るマスターピースの一つと評価されている。しかしデビュー当初はプラスチックガン、テロリストガンと非難、揶揄され、生き残りが危ぶまれたこともあった。P80としてオーストリア陸軍サービスハンドガンに採用された実績を背景に米市場に入ったモデルだったが、マスメディアの妙な活躍(?)により、世界のGlockになる足掛かりを作った。


 オーストリア陸軍サイドアームトライアルには多くのモデルが参加したそうだが、そのときGlockの見せたパフォーマンスは圧倒的で、他を寄せ付けることなく自国軍のサービスサイドアームとなった。ノルウェー陸軍がそれに続き、その後、スウェーデン陸軍が採用している。口径9mm×19でスタートしたGlockだったが発売以来、ニーズに合った口径のモデルが追加され、今日、ほとんどのポピユラーなオートマチックハンドガン口径をカバーしている。基本メカは登場から40年近くが経過した現在もそのままということから、初めから完成度が非常に高かったことが判る。使い良くするための改良が加えられ、オリジナルのGen1 から段階的に進化し、最新のGen5シリーズに至っている。


 誕生以来、Glockモデルが世界のセミオートマチックハンドガン界に与えた影響力は計り知れない。なぜGlockがこれほどまでミリタリー、法執行機関はもちろん、シビリアンにも好まれるのだろうか? 米国内70%前後のLEがGlock採用しているとなると、それは高い信頼性からきたものであろう。これがダントツでなければ米国LEに採用されるわけがない。それともう一つ、極めて重要なことだが、価格が同クラスのモデルより格段に安かった。シンプルな構造であることに加え、グリップフレームに射出成型によるポリマーを採用、徹底したコストダウンを図ったことが低価格につながった。それは同時に軽量化も図られるものだ。他のメーカーはまだメインパーツの加工を金属削り出しに頼っていた時代であり、Glockのコストは圧倒的に安い。もっともスタームルガーは当時すでにインベストメントキャステイング法を採用しており、これも削り出しより大幅な低価格化はできていた。しかしこれは例外だ。

 

 Glock 17が米市場に上陸したのは35年前の1985年のことだった。他社がポリマーフレームに手を伸ばし始めたのはその後だ。そしてGlockのパテントが失効するや、Glockのクローンモデル(またはGlock風モデル)が 続々と登場した。Glock社は良く言えば他社に軒先を貸した(先駆者であるがため、その優れたコンセプトはどうしても盗まれる)のだが、他社に母屋を取られること なく、それ以後も磐石の強みを発揮し、今日もってオートマチックハンドガン界の先頭を走っている。
 筆者がGlock 17について初めてリポートしたのは旧 Gun誌1986年7月号でのことだ。あれから34年2 ヵ月が経過した。今回のリポートは、Glockについて筆者の独自の見解を語らせていただくものだ。

 

 当初の企画は、現在ではほとんど眼に触れることがないであろう最初期のオリジナルGlock 17と最新の Glock 17 Gen5を比較するというものだった。しかし、そう簡単に事は進まなかった。Glock 17 Gen5の購入プランは数ヵ月前からあったのだが、LEの需要が多いためコマーシャル市場じゃほとんど影も形も見かけない。簡単にいえば、店頭に現物がないのだ。もちろん、 ディーラー、ガンショップはGlock製品をリストアップ している。しかし購入しようと打診しても回答は“在庫なし”なのだ。入荷予定と聞いても、まったくわからないという始末。Glockに限らず特定銃器の入手は最近難しい。需要が供給をはるかに上回っているからだ。新型コロナウイルスの感染拡大で経済活動中止、またはスローダウンで仕事を失う者が少なからずいる。それは治安の悪化につながり、不安からハウスプロテクション用に銃を買い求める者が急増した。さらに人種差別問題でデモが行なわれ、この問題に乗じて一部の暴徒が略奪行為を行なうに至っている。これらの事件は社会不安を煽り、かつ為政者が警察出動鎮圧命令を躊躇する状況を生み出した…こうなると市民は自らの手で自らの命、財産を守らねばならない。これまで銃を社会からなくそうと銃器規制(ガンコントロール)推進運動を展開してきた者ですら、慌てて銃器を買い求めはじめる。矛盾もいいところだが…やっと現実が見えたということか…日米のメディアの多くは、米国の状況をすぐ社会不安の少ない日本と対比させたがるが、両国にはいろんな違いがあって答えは簡単に引き出せない。もしそれを引き出したかったら、それぞれの国の歴史を知り、かつそれぞれの国に5-6年住んでみることだ。それも高級住宅街ではなく、庶民的なエリアでなくてはならない。

 

 余談はともかくGlock 17、19のGen5となると、現在どこのガンショップ、ディーラーにもほとんどないのだ。結局、入手できたのはGlock 19 Gen5だった。これさえ超ラッキーだった。Glock 17 Gen5 MOSという希望もあったのだが、そんな贅沢は言ってられない。 幸いGlock 19は初期のGen 2を持っている。但し、レーザーサイト組み込みのカスタムでこの部分はオリジナルではない。外見は若干違っても性能は19そのものだ。 締め切りも近づき、これ以上待てないとなったのでGlock 19 Gen5で話を進めることとした。

 

Glock 19 Gen5
スライドはnDLC フィニッシュとなっている。nDLCはNitriding Diamond-like-Carbonの略だ。パッケージにはマガジン3個、バックストラップ、マニュアル、セイフテイワイヤーロック、クリーニングキットが付いてくる

 

 Glock社のポリシーは常にミリポリ優先、コマーシャル市場は後回し…それもあってGlock 17 Gen5モデルがコマーシャル市場に回される数はかなり限定されているという。つい最近、フランス軍がGlock 17M Gen 5を採用した。コヨーテカラーのスライド、そしてグリップフレーム、さらにセレーションをスライド前部に付けるなど17オリジナルの面影は残しているものの格好よさでも秀でている。これが入手できれば言うことなしなのだが…。いずれにしてもG19 Gen5で勘弁していただきたい。まあ言い訳ではないが、G19はシビリアン市場、LE特殊部門にもっとも人気あるモデルなのだ…と付け加えておこう。

 

Gen5のフレーム下部に注目していただきたい。フレアマグウエルとなっている

 

2017年8月にGen5が発表された時はなかったが、その後スライド前部側面にセレーションが追加された

 

スライド先端の絞りは好評だ

 

リアサイトは基本的にはGen1と変らない

 

 


 

プラスチックガン

 

 1985年、ジョージア州アトランタ郊外のスマーナ(Smyrna)市に創立されたばかりのGlock USA社は、オーストリア本社から初代Glock17をまず限定数で輸入した。このモデルは構造、外見ともにオーストリア陸軍、ノルウェー陸軍の P80そのままで、違うのはスライドの刻印がGlock 17と入っているという部分だけだ。初期の米国輸入サンプルモデルの総数が一体、何挺であったか正確な数字はわからない。ただ当時、Glockが米国法執行機関に提出、評価を仰ぐためのサンプルも兼ねていたと聞いている。

 

 GlockUS社の経営責任者は、幸運にも筆者の知っているオーストリア出身のKarl F.Walter(カール・ワルター)氏だった。以前、シュタイヤーUSA社の創設経営に携わった人物だ。古い読者ならご記憶と思われるが、ミリタリー版AUG Gen1、Steyr SMGなどを旧Gun誌でリポートしたことがあった。これらのミリポリオリジナルモデルのリポートが可能だったのはカール・ワルター氏のおかげだった。
 筆者が入手した最初のGlockはその後に広く販売された市販型 Glock 17(いわゆるGen1)とは一部寸法で違いがある。これについては比較写真を参照されたい。
 

左が1986年のGlock17通称ペンシルバレル(細身のバレル)Gen1、右1987年から輸入されたGlock 17(太目のバレル付き)Gen1

 

マスメディアによって拡散されたGlock 17

 

 Glockほどメディアを賑わしたモデルは他に見当たらない。“プラスチック製で空港のX線も容易に通過するテロリスト御用達モデル”とメディアが騒ぎ立てたのだ。1970-1980年代といえばハイジャックが横行し、空港セキュリテイも武器、爆薬の機内持ち込みをどう防ぐか右往左往していた時代だった。ガンプロ読者には説明するまでもないことだが、Glockのスライドはスチール製でX線をスルーできるわけではない。ポリマーフレームとてX線に写るようにある種の物質が混ぜられていた。メディアの凄いところは、そんな事実はどうでもいいという姿勢だ。メーカーが説明したところで聞く耳をもたない。事実であろうが、まったくの間違いであろうが、注目を集めればそれで良いのだ。一般論としてメディア関係者は銃器の知識に疎い。米国の記者ならそんなことはないだろう…と思うかもしれない。ところがどっこいトンチンカンな記事も結構ある。もちろん、日本ほどではないが…付け焼刃で記事を書く。プラスチック製というだけで彼らにとってはじゅうぶんだった。後は勝手に想像を膨らませ、起こってもいないことをあたかも実際にあったかのように書き、不安を煽って発行部数、視聴率を伸ばすことに邁進する。当時、ワルター氏は各テレビ局から引っ張りだことなった。センセーショナルなテロリストガンという報道はGlockの知名度を一気に引き上げた。メーカーにとっては実にありがたい話だ。米国で無名だったGlockが、一週間後にガン愛好家だけでなく米国の一般市民の誰もが知る超有名メーカーになったのだ。メディアが否定的に扱ったプラスチックの新顔ハンドガンGlockは、あっという間に新しモノ好きにとってたまらない魅力あるモデルとなった。とにかく買ってみよう…この様子を見た他のメーカーは、羨ましいと感じたに違いない。市販製品がまだロクに輸入されていない時点で、既に市場はGlock 17購入で盛り上がっていたのだ。

 

 Glockの存在について、日本でこれを最初にリポートしたのは床井さんだ。旧Gun誌1984年5月号にGlockピストル詳細リポートを載せている。発明者であるGastonGlock(ガストン・グロック)氏を訪問、氏自ら実射するなどサービス満点のリポートだった。あの時、いったい誰が今日のグロック大成功を想像できたであろう?ガストン・グロック氏の思惑通りの結果だったということか?おそらく当時、Glockの存在を知っていた者は、ほとんどが「どうせ泡沫モデルの一つに過ぎない」と思ったに違いない。

 

 米国ガンライターの当時のGlock評価はだいぶバイアスが掛かっていた。それは1911系のデザインに程度の差こそあれ、それぞれ洗脳されていたからだ。ファイアリングシステムはハンマーが定番、フレームはスチール、譲歩してもアルミアーロイ製、すなわち金属でなければならない…とする固定観念派だ。これに対してGlock 17が採用したのはストライカー方式、しかもセイフアクションと命名したリボルバーに似た感じのSAともいえる新顔メカだった。パワーの大きいカートリッジを採用したショートリコイルブローバックでのストライカー方式はデザインが難しいといわれていた。ストライカースプリングを無闇に強くすることはできない。スライド閉鎖時におけるリコイルスプリングとの兼ね合いがあるからだ。Glockは解決策として、ストライカーの先端を舌の先のような尖った形状とし、プライマーペネトレーションを容易とし、イグニッションを確実なものとした。しかしこの舌先アイデアは、後発メーカーに真似されることはなかった。

 

 ではGeneration(Gen:世代)の移り変わりにおいて、なにがどう変化したのか一般論をベースに私見を交えながら述べてみたい。

 


 

中編はこちら

 

【実銃】ハイレベルなプロフェッショナルツール

「グロック19 Gen5」の軌跡を辿る【中編】

 

後編はこちら

 

【実銃】ハイレベルなプロフェッショナルツール

「グロック19 Gen5」の軌跡を辿る【後編】

 

 

 

TEXT:Gun Professionals テキサス支局/アームズマガジンウェブ編集部

 

この記事は月刊ガンプロフェッショナルズ2020年9月号 P.30~P.33をもとに再編集したものです。

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