ミリタリー

2022/11/05

【陸上自衛隊】第301電子戦中隊

 

電磁波領域の新たな戦いに臨む

 

 日本の防衛において注目される「領域横断作戦」のうち、電磁波領域の戦いを担う部隊の1つが、陸上自衛隊の電子作戦隊だ。今回は、その隷下部隊として熊本県健軍駐屯地に所在し、新装備「NEWS(ネットワーク電子戦システム)」が配備された第301電子戦中隊を取材。国土防衛の切り札と目されつつも、秘密のベールに包まれたこの部隊の一端をご紹介していこう。

 

国土防衛の切り札


 東アジアの緊張の高まりとともに、従来の陸海空だけでなく宇宙・サイバー・電磁波といった「領域横断作戦(Cross-DomainOperations)」の重要性が増していると言われている。その中で、日本国政府は平成30(2018)年に策定した防衛大綱において、電磁波の新領域を「死活的に重要」と位置づけ、強化に乗り出した。そして令和3(2021)年3月、西部方面システム通信群の隷下部隊として「第301電子戦中隊」を新編。翌年には東京・朝霞駐屯地に「電子作戦隊」本部を置き、九州や沖縄を中心に順次新設されている電子戦専門部隊を統べることになった。
 第301電子戦中隊は改編されてこの隷下に入り、同時に新設された第101電子戦隊とともに北海道(留萌)から朝霞、九州(相浦、健軍、奄美)、沖縄(那覇、知念)を結ぶ「NEWS(Network ElectronicWarfare System:ネットワーク電子戦システム)」の運用を開始した。さらに令和4(2022)年度末には高田(新潟)、米子(鳥取)、川内(鹿児島)の各駐屯地に、さらにその翌年には国境沿いに位置する与那国島と対馬にも配備を予定。台湾・尖閣諸島を睨む大幅な防衛体制強化が進行の途上にある。

 

見えない戦争の脅威に備える

 

 陸上自衛隊における電子戦部隊の任務は各国軍の電子戦部隊と同様、対象目標の電波収集や分析、さらに通信やレーダーの妨害、対電子戦などが主な任務と思われるが、具体的な任務内容については機密性が高いため公にはされていない。しかし、現代戦の様相などから察するに、ドローンによる偵察行動やサイバー攻撃などに対抗する能力の研究開発などにも注力されていることは間違いなさそうだ。平成27(2015)年末には中国軍に電子戦を担うと見られる支援部隊が新設され、南西諸島周辺や日本海上空では中国空軍の電子戦機や情報収集機、さらには無人偵察機(ドローン)などの飛行が度々確認されてもいる。

 

作戦地域において部隊が展開した際には、極めて貴重な電子戦装置を想定される脅威から防護しなければならない。降車したフル装備の隊員たちが、電子戦装置の周辺を警戒する

 

 また、昨今のウクライナ戦争では実弾が飛び交うような戦闘だけではなく、ロシア軍は電子戦や大規模なサイバー攻撃、宣伝戦などを繰り広げるのに対し、ウクライナ軍は西側諸国の武器弾薬支援だけでなく、高度な情報・通信ネットワーク等の支援を受けて善戦するなど、いわゆるハイブリッド戦争が本格的に展開されている。その枠組みは軍や政府を超えて民間、そして他国を巻き込み、民間のハッカー集団までもが報復攻撃に参加するという、戦史上類を見ない事態にまで発展している。それゆえに、こうした「見えない戦争」の脅威に備える陸上自衛隊電子作戦隊の存在感は、今後ますます強まらざるを得ないと言えるだろう。

 

第301電子戦中隊は、約100名の人員で編成

 

電子戦装置の周囲を警戒する隊員たち

 

88式鉄帽に防弾チョッキ2型を装着し、89式小銃を構えて電子戦装置の周辺を警戒する隊員たち

 

第301電子戦中隊長を今年7月いっぱいまで務めた駒形真一3等陸佐は、こう言う。「どこでどのような電磁波が利用されているか、平時から丹念に情報収集しているからこそ有事の際、新たに補足した情報から、相手の動きを推察することもできるわけです。この種の情報は、陸海空を問わず決定的な意味を持つので、各方面隊との連携や米軍との協力を強めながら、活用範囲を日に日に拡大させつつあります」


電子戦装置Ⅱ型

 

 

 

 73式中型トラックを改修した車輌(電源部はⅡ型~Ⅳ型まで共通コンポーネンツを使用している模様)と、アンテナ搭載トレーラーで構成される。トレーラーには折りたたまれた状態の特定、あるいはマルチバンド周波数帯(推測)の受信用と思われるアンテナが搭載されている。

 

電子戦装置Ⅲ型

 


 

 

 同様に73式中型トラックを改修した車輌に、折り畳み式のコミュニケーション用アンテナ(推測)が搭載されているようだ。筆者はアンテナ展開状態を奄美駐屯地で見学できたが、機密性が高いとのことで撮影はできなかった。

 

電子戦装置Ⅵ型(A)

 

 

 

 電子戦装置Ⅵ型は73式中型トラックを改修した車輌に電源部、大きな円筒状の空中線(アンテナ)を装備。通信機材やレーダーなどの電波収集に加え、妨害する機能も持つ。

 

健軍駐屯地広報館

 

 

 第301電子戦中隊が所在する健軍駐屯地の広報館を見学することができたので、併せてご紹介する。この広報館は長い歴史を持つが、平成28(2016)年の熊本地震で全壊したため、平成30(2018)年4月にリニューアル。駐屯地の歴史をはじめ各部隊の紹介、陸上自衛隊の紹介、国際貢献および災害派遣等の写真資料、制服等が展示されている。中でも、帝国陸軍の義烈空挺隊の展示が目を惹いたのでご紹介する。

 

義烈空挺隊とは

 

 「義烈空挺隊」は敵飛行場を強襲して施設や航空機を破壊することを主任務とした特殊部隊で、挺進第1連隊第4中隊を基幹とする136名と、彼らを九七式重爆撃機で空輸し飛行場への強行着陸を担う第3独立飛行隊の操縦士32名で編成。大東亜戦争末期の昭和20(1945)年5月24日、米軍に占領された沖縄本島・読谷の北飛行場および嘉手納の中飛行場の敵航空機を破壊すべく計画された「義号作戦」により、陸軍熊本健軍飛行場(後の旧熊本空港)から出撃した。

 

資料館には健軍にゆかりのある義烈空挺隊の絵画や写真などの資料が数多く展示
されている

 

奥山大尉

 義烈空挺隊の指揮官となった挺身第1連隊第4中隊長奥山道郎大尉(出撃時少佐、戦死後大佐に特進)は、三重県出身で陸軍士官学校53期。出撃時は26歳という若さであった。出撃時の写真が残っているのだが、生還が絶望的な作戦に臨みながら、爽やかな笑顔を振りまいていた奥山大尉の姿に、私は大きな感銘を受けた。

 

見上の写真が出撃時、九七式重爆の機上にて笑顔で手を振る奥山義烈空挺隊長(右)と諏訪部第三独立飛行隊長(左)

 

米軍占領下の飛行場に強行着陸

 

 健軍で諏訪部大尉率いる第三独立飛行隊と合流した義烈空挺隊は予定より1日遅れの昭和20年5月24日18時10分に12機の九七式重爆に搭乗して健軍飛行場を出撃。隊員は淡緑色の迷彩を施した軍衣に、百式短機関銃や擲弾筒、爆薬などを装備し、鬼気迫る姿であった。無線封止の中沖縄を目指したが4機が不調で引き返し、6機が北飛行場、2機が中飛行場に強行着陸を図った。22時11分、健軍飛行場に「只今突入」の暗号入電。次々と対空砲火で撃墜されるなか、一部の機体は胴体着陸。展開した義烈空挺隊の挺進兵は銃撃戦と爆破を繰り広げ、米軍側に対しては40機近い航空機が破壊ないし損傷、航空燃料7万ガロンが炎上、数十名の戦死傷者をもたらすなど奮戦した。一時的に基地機能を停止させることに成功したものの、翌日までに全員戦死を遂げたと言われている。
 義烈空挺隊の慰霊碑は昭和40(1965)年に旧熊本空港に建立され、昭和46(1971)年に移転(現在の阿蘇くまもと空港)した際、健軍駐屯地に移され今日まで管理されている。

 

義号作戦に使用された九七式重爆の模型

 

Text & Photos : 笹川英夫
取材協力:陸上自衛隊 第301電子戦中隊、陸上総隊

 

この記事は月刊アームズマガジン2022年11月号 P.126~127をもとに再編集したものです。

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