2022/09/17
【陸上自衛隊】第1空挺団の降下訓練に密着
我が国が誇る精鋭部隊の降下訓練に密着!
日本唯一の落下傘部隊として知られ、“精鋭無比”をモットーに陸上自衛隊随一の精強さを誇る第1空挺団。これまでに本誌でも何度かピックアップしてきたこの精鋭部隊を、今回の取材では降下して集結し、空挺堡確保の態勢をとるまでの訓練に初めて密着することができた。ここでは、同部隊による空挺作戦の一連の動きに、改めて迫ってみよう。
空挺部隊としての使命
千葉県の習志野駐屯地に所在する陸上自衛隊第1空挺団は、特殊部隊などはさておき、落下傘降下が可能な空挺部隊としては日本で唯一の存在だ。その役割は、侵略や大規模災害といった国家の危機に際し、もっとも困難かつ重要な場面において迅速に空中機動して落下傘等によって降着し、文字通り「身を挺して」あらゆる任務を果たす、というものだ。
「空挺」とは「空中挺進(英語ではAirborne)」の略語で、航空機を用いて部隊をすばやく機動展開させる戦術(空中機動)の1つである。作戦地域に展開する際は落下傘での降下、あるいは航空機やグライダーで着陸するという手法がとられる。
また、空中機動にはヘリコプターを用いて機動展開するヘリボーン(Heliborne、自衛隊ではヘリボンと表記)もあり、第1空挺団はそのどちらの戦術を用いた作戦にも対応している。
なお、航空機は車輌や船舶に比べ高速ではあるものの搭載力に限りがあるため、空挺作戦においては落下傘降下をはじめ高度な技能を持つ軽装備の部隊がその任にあたることが多い。もっとも、アメリカや旧ソ連/ロシアの空挺部隊のように、空中投下が可能な空挺戦車などの重装備を持つ場合もある。
そして、敵の支配地域に降下することも想定されるため、充分な補給がない孤立した状況下で一定期間作戦を遂行できる高い戦闘能力が求められ、必然的に空挺部隊は精鋭部隊として扱われる。それゆえ、一般的に特殊部隊には空挺部隊の出身者が多いとも言われている。
第1空挺団の沿革と編成
太平洋戦争において「空の神兵」と謳われたパレンバン空挺作戦など、日本では帝国陸軍の時代から空挺部隊が活躍してきた。戦後、警察予備隊、保安隊を経て陸上自衛隊が発足した後、昭和30(1955)年に臨時空挺練習隊が福岡駐屯地で創設。同年現在の習志野駐屯地に移駐し、空挺教育隊として改称された後、昭和31(1956)年には隷下に第101空挺大隊が編成。昭和33(1958)年には同隊廃止に伴い第1空挺団が新編された。
現在、第1空挺団は陸上総隊直轄の機動運用部隊の1つとなっており、隷下には団本部と団本部中隊、基幹となる3個普通科大隊、120mm迫撃砲RTを装備する特科大隊、後方支援隊、通信中隊、施設中隊、そして空挺教育隊がある。空中機動作戦においては、陸上総隊直轄の第1ヘリコプター団のCH-47JA輸送ヘリ、あるいは航空自衛隊のC-1、C-130H、C-2輸送機などに搭乗し、空挺作戦を行なう。
空挺隊員は全員が基本降下課程を修了した証である空挺徽章を持つのに加え、もっとも過酷と言われる空挺レンジャー課程を修了した隊員も多く、第1空挺団においてレンジャー徽章を持つ隊員の割合は、他の普通科部隊に比べて非常に高いという。部隊の性格としても奇襲を得意とし、近年注目される島嶼奪還作戦などにおいて切り札となることが期待されている。
降下訓練
空挺作戦には隊員の高い技量が求められ、落下傘降下は常に演練されなければならない。今回取材した降下訓練は第3普通科大隊第7中隊によって実施され、航空自衛隊のC-2輸送機から千葉県の習志野演習場に設定されたDZ(Drop Zone:デーゼーと発音)に降下。降着後、集結地点に設定された林に前進し、速やかに空挺堡確保の態勢をとるまでが訓練の内容となっていた。
陸自随一の“精強部隊”の実力を垣間見た
一連の訓練項目を見せていただいたところで、訓練は終了となった。肝のすわった人間でも尻込みしそうな航空機からの落下傘降下をやってのけ、重い装備を抱えて徒歩で速やかに集結し、空挺堡確保の態勢をとる…。一般人から見ればまさに離れ業と呼べるようなことを淡々と、的確にこなしていた第1空挺団の隊員たちの姿には、ただ頼もしさを感じるばかりだった。
さて、月刊アームズマガジン2022年9月号ではより多くの写真を掲載し、第1空挺団の訓練に迫っている。気になった方はぜひそちらも併せてご覧いただきたい。
Planning & Photos : 笹川英夫
取材協力:陸上自衛隊第1空挺団、陸上総隊
この記事は月刊アームズマガジン2022年9月号 P.134~145をもとに再編集したものです。