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2025/09/30

昭和大好きかるた 時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る 第37回「ゆ」

 

時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る

 

第37

UFO

 

 令和となってはや幾年。平成生まれの人たちが社会の中枢を担い出すようになった今、「昭和」はもはや教科書の中で語られる歴史上の時代となりつつある。
 でも、昭和にだってたくさんの楽しいことやワクワクさせるようなことがあった。そんな時代に生まれ育ったふたりのもの書きが、昭和100年の今、"あの頃"を懐かしむ連載。 

 第37回は、刃物専門編集者の服部夏生がお送りします。

 

 

 

 子どもの頃、UFOはものすごく身近な「あやしげなもの」だった。


 最初の出会いは、物心ついた頃にテレビで観たピンク・レディーの『UFO』という曲である。
 当時、お茶の間の圧倒的な人気を得ていたアイドルデュオに合わせて、天才・阿久悠が書いた歌詞は、宇宙人に恋をする女性の独白という、なかなかにファンキーなものだった。と言っても子どもにはそこら辺のことはよく分からなくて、頭の後ろから右手をヒラヒラさせて「ユーホゥ!!」と言ったりしながらクネクネする振り付けが、猛烈に妖しくて、超絶カッコよかった。


 訳のわからない衝動に駆られて、一所懸命に真似したことをよく覚えている。

 

 

キャトルミューティレーションって字面に震え上がりました

 

 小学生以降は、UFOはマジで警戒すべき「怪しい」存在となった。


 雑誌の特集によると、彼らは、少年たちに田んぼで捕獲されたり、夜空で怪しい光を放ちながら旅客機を追いかけたりしていた。
 テレビの特番によると、彼らは突如上空に現れ、人間や牛を怪しい閃光とともにさらい、搭乗員である宇宙人たちがチップ的な何かを体内に埋め込んだりしていた。


 あんた赤トンボか、つーか人間も酒か薬物かをやって夜道で気絶してただけじゃねーのか、あとさ、めっちゃ手間かけてチップだけ埋めるってコスパ悪すぎか。
 そんな皮肉めいたツッコミを思いつくのは、汚れつちまつた大人になつちまつたからである。

 

 キラキラした純粋な瞳を持った子どもだった当時の僕は、何の疑いもなく信じた。
 自分がさらわれてチップを埋め込まれたらどうしようと震え上がり、田畑が周囲にない都会に生まれた幸運に感謝したし、飛行機には今後乗らないでおこうと心に決めた。

 

 純粋とは、自分が選ばれし人間であると疑いなく信じることとほぼ同義である。
 なんで宇宙人がわざわざ自分を選んで人体実験する必要があるん? という根本的な疑問に気づくこともなくひたすら震え上がり、団地の狭い3LDKの片隅にあるトイレに夜行くときですら、怪しい光を見たらすぐ逃げられるよう最大限の警戒をしていたのである。

 

1976(昭和51)年発売のロングセラー「日清焼きそばU.F.O.」。うまいす

 

 やがてあまりにも胡散臭い話ばかりが跋扈するようになって、UFOの特集や特番は影を潜めるようになった。僕も、いつしかトレンディなあれこれにうつつを抜かすくだらない少年になった。


 さらに月日が過ぎ、物事を斜めに見るのがカッコいいと勘違いしたサブカル青年に成り下がった頃、久方ぶりにUFOと宇宙人に思いを馳せる機会が訪れた。
 とあるサブカル好きのミュージシャンが、エッセイの中で『宇宙人の死体写真集』という本を取り上げていたのである。詳細は忘れたが「宇宙人の死体写真集とうたっているのに、宇宙人の死体写真がぜんぜん掲載されていない!!」という文章で、僕はそんな怪しげな本があるんだと笑っていたのである。

 

 

わからない、のひと言に秘められた人類の叡智

 

 話はそこで終わらない。
 数年後、何の因果か僕はその本を出版した会社(正確には親会社)に勤めることとなったのである。しかも、僕にあてがわれた席は、まさに『宇宙人の死体写真集』の著者Nさんの真正面だった。さらに、僕の上司もそのエッセイを知っていて、Nさんのエピソードを教えてくれた。


「オーケンがぜひお会いしたいって言ってきても会わなかったんだぜ」


「え!? 内容に腹を立てていたんですか?」


「違う。誰だか知らないからだって」
 すげーや、と感心していると、上司は自分のことのように鼻の穴を膨らませた。 


「俺の見立てでは、Xより格上だね」
 お茶の間でもよく知られるUFO研究の第一人者の名前を出して、断言した。


「宇宙人はいるのかっていう討論番組に出た時も、みんな最後はXじゃなくて、Nさんに判断を仰いだらしいんだ」


 さらなる興味を感じた僕は、早速、会社の資料室に一冊だけ残っていた『宇宙人の死体写真集』を熟読した。確かに死体写真は(多分)掲載されていなかった。でも、怪しげなのも含めてさまざまな遭遇例を淡々と並べ、最後に「UFOが好きだ」と断言する文章は、シンプルに読み物として秀逸だった。


 一点だけ、気になることがあった。だが、その答えは本に書かれていない以上、本人に聞くしかない。
 Nさんはとっても無口な方で、いつも文献を調べるか何やら書き物をしていて、近寄るなオーラを全身から発していた。邪魔しちゃいけないという遠慮も一応あったが、好奇心が圧倒的な勝利をおさめた。


「すみません、お伺いしたいことがあるのですが」


「ん?」
 Nさんは分厚い洋書から目をあげて、分厚いメガネのレンズ越しにこちらをじっと見た。
 予想を遥かに超える威圧感にめっちゃビビったが、カラダ中の勇気をかき集めた。


「宇宙人っているんですか?」


 静寂が訪れた。
 同じフロアにいた社員たちが耳をそばだてているのがわかった。


「わからない」
 永遠にも感じる間を置いてから、Nさんはふっと笑ってそう言って、洋書に目を戻した。


 それだけだった。でも、十分だった。

 そうか、どれだけ調べてもわからないものはわからないんだな。

 

 んだよ結論づけられねえのか、という冷笑とともに、Nさんとのやり取りを忘れることもできただろう。
 でも、できるわけなかった。


 ほぼ間違いなく宇宙人はいるという科学者たちの推論を、Nさんが知らないはずはない。だが、考えてみれば、誰一人として、皆が納得する形で宇宙人に会っていないし、UFOを見ていないのである。


 結局、彼らは、僕が子どもの頃と同じく「未確認」のままなのである。
 妖しさや怪しさとは、未知なるものに対する我々の感情を表した言葉である。
 排除した方がいいのか、受け入れた方がいいのかすらわからない。そんな対象への恐れや憧れがないまぜになった思い。


 それは子どもだけが持ち得る感情ではないはずだ。異なるものに対するプリミティブな警戒心や興味は、人間ならば誰しもが幾つになっても持ち合わせているものだろう。
 平穏をかき乱すものの「正体」を突き止めようとするのは、好奇心を持つ人間なら当然の所業である。だが、簡単にはわからない。でもそこで諦めて遠ざけず、なおも調べようとする。少しだけわかる。またわからないところが出てくる。イタチごっこの如き繰り返しである。
 だが、そうやって人は「あやしさ」の正体を探り続けてきた。


 わからない。
 この一言には、そんな人類の叡智の真髄が詰まっているように感じた。


 ちょっと大げさではある。
 でも、自分も持っていたはずの、子どもの頃の初期衝動を保ち続け、未知なるものに取り組む人たちのことを、よーやるわくらいにしか思っていなかった僕にとっては、自身の薄っぺらさに気づいて、視座を幾分か変えるくらいの大事なやり取りだった。そして、大真面目にUFOを調べているNさんのことを尊敬したのである。なんであんなタイトルにしたんだ、というモヤモヤは残ったけれど。

 

『宇宙人の死体写真集』(グリーンアロー・ブックス)。「本書を手に取った方は、宇宙人との正しいつきあい方を真剣に考えてほしい」という実に深い言葉が沁みる。ちなみに『宇宙人の死体写真集 2』もあります

 

 とっくにその会社を辞めてしまった僕には、今、Nさんのことを知るすべはない。
 だが、もし会えたら聞いてみたいことがある。
「なんで、UFOに夢中になったんですか?」


 氏はこう答えてくれるんじゃないかな、と妄想している。


「地球の野郎どもに、飽きたからに決まってんだろ」

 

 

UFOが カジュアルに飛んでた 昭和時代
 

 

TEXT:服部夏生

 

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