2024/09/14
パーツが自由に付け替えられる架空銃の元祖「マスダヤ デタッチャブルSS-200」
架空銃の元祖「マスダヤ デタッチャブルSS-200」
マスダヤの「デタッチャブル」はエアガン好きの方や、私のようなアラフィフ/アラフォー世代の方なら、その製品名を一度は耳にしたことがあるかもしれないオールドエアガンの代名詞的存在である。今回、デタッチャブルシリーズの中でも後期に作られた「SS-200」が入手できたので、その特徴や時代背景の解説とともに、あらためて手にして感じたことを述べたい。
エアガン黎明期の傑作
エアガン黎明期の傑作であり伝説的商品としてその名を刻むデタッチャブルは、株式会社増田屋コーポレーションが製造・販売していたエアガンである。株式会社増田屋コーポレーション(以下マスダヤ)は創業1724年(享保9年)という老舗の総合玩具メーカーだ。今ではエアガンやモデルガンの製造を専業とするメーカーがほとんどだが、1970~1980年代はマスダヤだけではなくヨネザワ(後のセガトイズ)、グンゼ(現GSIクレオス)といった玩具やホビー系のメーカーがエアガンを製造・販売するのは珍しいことではなかった。東京マルイもその当時はプラモデルやラジコンを製造していた。モデルガンが大人志向だったのに対して、エアガンは子供向けというイメージが強く、それゆえにガンショップではなくおもちゃ屋で売られており「おもちゃっぽい」商品が多かったとも言える。当時、自宅近くのおもちゃ屋のショーケースの中にデタッチャブルなどのエアガンが並んでいたのをよく覚えている。エアガンは当時の子供たちの憧れであった。
しかし1980年代半ばのエアガンブームと、MGCやコクサイなどのモデルガンメーカーがエアガンの製造に本格着手したことによりエアガンのリアル化が急速に進み、こうした玩具メーカーのエアガンは1980年代後半から1990年代前半にかけて徐々に姿を消していった。マスダヤはツヅミ弾で発売されていたミニットマンやサンダーボルトをBB弾化したものの、BB弾時代になってから新規開発した製品はなく、昭和60年(1985年)に設立されたマスダヤの子会社であるポイントがエアガンの製造を行なった。ポイントはガスブローバックガンのPPKやライブカート式エアコッキングガンのUZIピストル、ライブカート式ガスガンのウインチェスターM1892などユニークな商品を発売したが、1990年代前半にはメーカーとしての活動を停止している。
玩具メーカーであるマスダヤが発売したエアガンの製品数はそれほど多くはない。電動式のシュマイザーMT-36やデタッチャブルの原型となったBSバファロー、デタッチャブルシリーズ、ファルコン、アセンブリー、ミニットマン(BB弾化してZAP20に名称変更)、サンダーボルト、ボルト888(サンパチ)Mk-Ⅱ、リコイラースペシャルなどである。いずれも実銃にはないオリジナルデザイン、今で言うところの架空銃がほとんどで、かなりおもちゃ然としていた。それらの中でもデタッチャブルシリーズは製品のユニークさと相まって抜群の知名度と人気を持つ。製造数も多かったようで、現在もネットオークションなどで入手可能だ。
デタッチャブルシリーズの特徴は、「デタッチャブル(detachable=取り外しできる、着脱できる)」という商品名のとおり、基本となるボディをベースに、バレルやストック、フォアエンド、スコープといったオプションパーツが自由に付け替えられることだ。今もバレルとストックを付け替えて遊べる銃を「まるでデタッチャブルのようだ」というのはこのモデルに由来している。デタッチャブルシリーズはSS-1、SS-2、SS-3、SS-4、SS-5、SS-100、SS-200の7種類ある。ちなみにSSは「シークレット・スナイパー」の略称で、子供心(大人も?)をくすぐるネーミングだ。
番号が高くなるにつれてオプションパーツが増えていき、値段も高くなる。ベーシックのSS-1は1985年当時の価格で2,000円だったのに対してSS-5は5,700円、SS-200は5,300円だった。SS-5はバレル2本、フォアエンド2個、バランサー、ストック、チークパッド、スコープ、さらに手帳のようなものが付属したデラックスセット。SS-100とSS-200の違いはサイレンサーの有無で、バレル3本、フォアエンド2個、スケルトンストック、スコープが付属している。オプションパーツは別売していなかったので、オプションパーツが欲しい場合は銃を買い足すか、最初から全マシのSS-5やSS-100、SS-200を買うしかなかった。当時の子供にとってはちょっと残酷な話。
オプションパーツが付け替えられると聞くと「スゲー!」と思うが、実際の商品を見ていただくとわかるが、ほとんどのパーツがABS樹脂製で各部の精度は出ていない。特にバレルは本体に差し込んでロックナットをねじ込んで固定するだけ。「え、チャンバーは? インナーバレルの内径は? センター出しは? 気密は? ホップの調整は?」ってそんな野暮がことを言ってはいけない。バレルはABS製の一体成型。ただのプラの筒だ。チャンバー側(そもそもチャンバーと思われる部分がないのだが…)に辛うじて位置決め用の溝と固定を確実にするローレットがあるだけ。しかし、今回手に入れたこのモデルはロックナットを絞めてもバレルがスポッと抜けてしまう。ロックナットを絞め過ぎるとネジ部分が割れそうだ。
レバー式のマニュアルセーフティがレシーバー(ボディ)右側にあり、しっかり機能している。ボディデザインはオリジナルながら秀逸で、フィンガーレスト付きグリップはちょっと小ぶりだが握りやすい。本体前寄りにVノッチタイプのリアサイトがついており、フロントサイトはバレル側に付属している。バレルやストックはロックナットで固定されるものの、スコープやフォアエンドはレールにスライドして差し込むだけでネジ等で固定されない。だから激しく振り回すと外れてしまう。スコープは倍率はなく、レティクルらしきものが付属するはずだが、ここで紹介するモデルのレティクルは欠損していた。
バレル後方のマガジンはリボルバーのシリンダーのような回転式で、装弾数は8発。ツヅミ弾の口径は7mm。次弾を撃つには自分でマガジンを回転させる必要がある。クリックは効いているが、指でマガジンは簡単に回ってしまう。このマガジンがチャンバーの役割を担っており、ピストンによって圧縮された空気がツヅミ弾を押し出す。ノズルはなく、現在のエアコッキングガンのようにシリンダーを後退させてピストンをコッキング、前進させてBB弾をチャンバーに送り込む構造ではない。シリンダーはレシーバー内に固定されている。気密なんてあったもんではない。
箱には22種のピストル、ライフルに組み立て可能と書いてあるが、実際に組み立ててみると30種はできる。市販の状態でこれだけスタイルチェンジできるのは驚きだ。現在の製品の常識では考えられないし無理だろう。当時付属していたツヅミ弾を別途入手して実射したところ、バレルが短いと5mくらいは飛ぶものの、長いバレルだと3mくらいしか飛ばない。精度や気密が確保されない構造からするともっと悲劇的な結果を想像していたが、思っていたよりも飛んでいる。まあ、飛んでいるといっても5mなのだが…。多少の経年劣化を考慮しても新品状態でもこんなものだろう。これで20mとか飛んだら逆に怖い。エアガンの高性能化が進むについてパーツが付け替えられる特徴が足かせとなり、すでに1985年くらいの段階で「オワコン」的な存在として扱われており、マスダヤがミニットマンやサンダーボルトとあわせてBB弾化しなかったのが納得がいく。
しかし、デタッチャブルの魅力は性能云々では語れない、子供にとっては夢のカタマリのようなエアガンである。エアガンがリアル志向になるとともに姿を消してしまったが、架空銃が受け入れられるようになった今の時代から見ると、非常に画期的でインパクトがある。正直、誕生が50年早かったのではないかと思っている。現在の技術や規格、素材で作ればもっといいもの、大人が満足できるものができるはずだ。私もあらためて遊んでみて、その魅力に再度気付かされた。
エアガン、ひいてトイガンの原点といっても過言ではないマスダヤのデタッチャブル。リアルじゃない、実銃にはない、こんなの使えないという声もあるだろう。考え方は人それぞれなので否定はしない。しかし、これだけは言いたい。所詮、エアガンは「おもちゃのてっぽう」なのだから。そして、エアガンだからこそできることがたくさんある。このデタッチャブルを見てそんなことを感じた。
TEXT:毛野ブースカ
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