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2025/07/22

昭和大好きかるた 時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る 第32回「み」

 

時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る

 

第32

味覚

 

 令和となってはや幾年。平成生まれの人たちが社会の中枢を担い出すようになった今、「昭和」はもはや教科書の中で語られる歴史上の時代となりつつある。
 でも、昭和にだってたくさんの楽しいことやワクワクさせるようなことがあった。そんな時代に生まれ育ったふたりのもの書きが、昭和100年の今、"あの頃"を懐かしむ連載。 

 第32回は、軍事フォトジャーナリストの菊池雅之がお送りします。

 

 

駄菓子屋でつちかった味覚

 

 昭和の小学生の社交場と言えば駄菓子屋でした。


 昭和50年代に小学生だった私にとっても例外ではなく、だいたい学区内に一件は駄菓子屋がありました。


 自転車を覚え、ちょっと遠出をして、違う小学校のテリトリー内にある駄菓子屋にいくと、何とも言えない疎外感を感じたものです。嫌がらせをされたとか、絡まれたとか、そんなことはなかったのですが、学区内の“自分たちの駄菓子屋”の存在は非常に重要だった記憶があります。


 あの頃、100円あれば何とか楽しめました。ゲームをしても10~50円、駄菓子は100円で何個買えた事か。むしろお菓子は、駄菓子屋で買うものというイメージすらありました。100円を超えるお菓子はかなりの高額商品と感じていたので、スーパーでお菓子を買うなどはまさに贅沢の極み。


 私の知る最安値は、5円で買えるチョコレートで、そのままズバリ5円硬貨の形状をしていました。「ごえんがあるよ」という商品名で、私は大好きでした。5円では買えないそうですが、現在も販売していることは非常にうれしい。パリパリした食感が大好きでしたが、そこは5円。あっという間に姿形が消えてしまうほど儚い駄菓子。


 もう一つ好きだったのが、粉末ジュースの類です。


 これは本来、水に溶かして、ジュースとして飲むものですが、私は、粉のまま舐めていました。コーラ味やクリームソーダ味などがあり、袋を破って、さらさらと口の中に流し込みます。信じられないと言う声が聞こえてきそうですが、私の友人たちも同じようにして食べてました。

 

昭和の時代には駄菓子屋が町内に一軒はあった

 

 これらチープな駄菓子が、当時の小学生の味覚を養っていきました。今でもチープなお菓子を食べると懐かしさを覚えます。それが良かったのか悪かったのか、正解は知りませんが、とにかく私は大好きです。

 

 

おばあちゃんの”味”

 

 当時、おばあちゃんの家に行くと必ず出てきたお菓子の中に、大好きなものがありました。
「ミックスゼリー」。色鮮やかな一口サイズの四角い寒天ゼリーです。


 子ども時代の自分にとっては高級品でした。かといって母親が買うことはなく、決まっておばあちゃんの家に行って食べることが出来るお菓子でした。


 どうやら、このような状況だった小学生は多かったようで、今でも里帰り先のお菓子、実家のお菓子などと認知されているようで、メーカーもそれを認めています。


 私の祖母はすでに亡くなり、久しく「ミックスゼリー」は食べていません。じゃあ「買えばいいじゃん」というお話なのですが、自分で買うお菓子ではない気がして、なかなか手を伸ばせません。


 私には二人の娘がおりますが、彼女たちが将来結婚して、孫を家に連れて来た時こそ、「ミックスゼリー」に手を伸ばす時だ、と勝手に決意しております。この、まだ見ぬ孫に「美味しい」と言わせるその時まで、買うのは控えます。

 

 

「ミックスゼリー」は今も、スーパーなどで手に入ります

 

 ただし、その頃はきっとおいしいお菓子が今よりも沢山出てきているでしょうから、孫たちが幼き日の私のように受け入れてくれるかは分かりません。


 味覚は千差万別。


 そう考えると、我々のような団塊の世代ジュニアの味覚統一に成功した駄菓子屋や当時のお菓子は偉大でしたね。
 

 

TEXT:菊池雅之

 

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