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2025/07/08

昭和大好きかるた 時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る 第31回「ま」

 

時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る

 

第31

マーガリン

 

 令和となってはや幾年。平成生まれの人たちが社会の中枢を担い出すようになった今、「昭和」はもはや教科書の中で語られる歴史上の時代となりつつある。
 でも、昭和にだってたくさんの楽しいことやワクワクさせるようなことがあった。そんな時代に生まれ育ったふたりのもの書きが、昭和100年の今、"あの頃"を懐かしむ連載。 

 第31回は、刃物専門編集者の服部夏生がお送りします。

 

 

 

 小学校の昼ごはんは、給食だった。
 場所は名古屋、時期は昭和50年代から60年代である。


 正直に言って、苦手なメニューが多かった。出された食事に文句を言っちゃいけないって親や教師から教わっていたけど、まずいものはまずかった。

 

 

苦手な食材をご馳走にかえる魔法のペースト

 

 中でも苦手だったのが、食パンだった。月1回、白米が出る「米飯給食」の時以外のほぼ毎日、正方形でなんの愛想もないパンが2枚、アルマイトの平皿の上に置かれていた。


 トーストも何もされないその食感は、ぼっそぼそだった。あんまりお腹の空いてない日には残したかったけど、当時、給食は完食しなければならないものだった。
 シチューとかのスープ系のおかずがある日はまだ良かったが、ない日は、さらにきつかった。


 そんな時に助けとなったのが、一緒についてくる「マーガリン」だった。牛丼屋のテイクアウトでついてくる紅生姜のパッケージみたいなやつに入ったマーガリンを塗って、牛乳とかと組み合わせれば、どうにか完食することができた。


 当時の名古屋のキッズたちの圧倒的一番人気の給食メニューは「カレーうどん」だったと記憶している。スパイスが適度に効いたカレーと、ソフト麺と呼ばれる茹でた後に蒸し上げたふわっふわのうどんとの組み合わせは。いくらでも食べられて、これと米のご飯が交互で出てくれたらいいのに、と思ったものである。


 だが、今、懐かしく思い出すのは、圧倒的にマーガリンである。


 食べにくいものをどうにか食べられるようにするアイテムである。もとから美味しいものとか、美味しいものをより美味しくするスパイスとかに比べて、なんていうか、ありがたさの格が違ったのである。

 

給食を配膳するのは生徒たちの役割だった


 前述したように昭和の給食は完食せねばならないものだった。


 少食の子とか、食べられないものがある子にとっては、ひたすら苦痛だったと思う。低学年の時の担任は、そういう生徒に昼休みの時間も使って食べろと強要していた。クラスメートが遊ぶ中、彼らは一人ぽつねんと食べられない給食を前に座っているのである。


 今から思えば、あらゆる意味で最低最悪である。
 隙を見ては誰かの悪口ばっかり言っていた僕も(やなガキだったのである)、そういうクラスメートのことはからかえなかった。


 椅子に座ってうつむきながらぎゅっと唇を噛み締めていた彼らの表情は、今でも鮮明に思い出せる。タイムマシーンが使えるんだったら、助けてあげたいと思ってるのに勇気を出せなかった当時の自分を、しっかりせい、とどついてやりたいものである。


 小学校3年生の時の担任の先生は、給食に関しては超リベラルだった。


「少なめに盛りなさい」
 給食をよそる係に、そう口酸っぱく言って、食べたい人はおかわりを何度でもしなさい、と告げた。そして、元気な女子がおかわりをするのを、僕みたいなトンチキがからかうと、誰だって好きなだけ食べていいんだ、と本気で叱った。


 一方で、どうしても食べきれない人は残してもよろしいとも言っていた。だから、あんまり人気がないおかずの日は、結構多めに残った。それが続くと、教頭とかから注意を受けることもあったみたいだけど、次の日も何食わぬ顔で、少なめに盛るように、と言い続けた。


 1年間だけだったが、3年生の給食の時間は、本当に楽しみだった。


 ご飯は食べなきゃならない。でも、各自が好きなように好きな分を食べていいんだよ。
 アラフィフ女性だったその担任は、僕たちにそう教えてくれたのである。

 

 

懐かしく思い出せるメニューの数々

 

 何から何まで超絶フリーダムだったアメリカでの2年間を経て、名古屋に戻ってきたら、給食は行く前とまるで違っていた。米飯給食は週1回あったし、友好都市であるメキシコシティの名物・タコスとかのスペシャルメニューが唐突に出されたりもした。


 全般に美味しくなっていたし、何よりも体が成長してお腹が空くので、何これお好み焼きとどう違うんだて、とか文句を言いながら、だいたい美味しく食べられるようになっていた。ありがたいことに食物アレルギーもなかったから、思い悩むこともなく完食していた。例外はあったと思うけど、クラスメートも概ねそんな感じだった。


 そんな時代になっても、マーガリンと食パンというオールドスクールなコンビは定期的に出てきた。生意気にも幾分か成長した舌には給食のマーガリンはちょっと油っぽいかなと思えたけど、ごく小さく切り口を入れて、パンをキャンバスに見立ててマーガリンの絵画を描いたりして、美味しく食べていた。

 

給食の時間は、キッズにとっては学校で一番楽しみな時間だった

 

 あれから、幾年もの月日が流れた。食べ物の好みはずいぶん変わったけれど、給食のことは懐かしく思いだすことができる。


 日本の給食は明治時代からの長い歴史がある。特に戦後から高度経済成長期にかけて、子どもたちに栄養価の高い食事をということで、さまざまに工夫を凝らしたメニューが開発された。パンは加熱調理が不要ゆえに調理の手間が少なく、なおかつ経済的ということで、主食として重宝されていたようだ。


 食パンにマーガリン、ソフト麺やレーズンパン、ホワイトシチュー、コールスロー、給食以外で見ることのなかった謎のゼリーに冷凍みかん……。限られた予算の中で最大限、栄養があって美味しいものを食べさせてもらっていたんだよな。そう思うと、3年の担任に加えて、給食づくりに関わった人たちすべてに感謝したい気持ちになるのである。


 皆さんの一番思い出深い給食メニューはなんですか。
 

 

マーガリン 塗ればご馳走に 早替わり
 

 

TEXT:服部夏生

 

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