2025/03/25
日本で初めて作られた沿岸砲台『観音崎砲台群』& 現在の軍港を眺められるクルーズ『YOKOSUKA軍港巡り』【かつて軍港の町だった地】
幕末の台場建設から始まり、その構想を引き継ぐような形で明治から昭和にかけて建設された『東京湾要塞』。
有名どころとしては『猿島』や『第二海堡』、ちょっとマイナーな場所として『千代ヶ崎砲台跡』『第三海堡』『走水砲台跡』『観音崎砲台跡』が現在見学することができる。
後編である今回では横須賀でもっとも気軽に見学でき、猿島よりラピュタを感じられるかもしれない砲台跡『観音崎砲台群』。そして、前後編では過去の軍港要素を紹介してきたが、今なお横須賀は国防の要所であるので現代の軍港を見られるクルーズを紹介していきます。
-
観音崎砲台群
千代ケ崎砲台の取材後、観音崎公園へと向かう。今回は時間がなかったので公園内の砲台跡のみを撮影してきた。
観音崎公園もとい『観音崎砲台群』は千代ケ崎砲台と同じく江戸後期から勧められた海防政策の一環として勧められ、明治政府へと引き継がれた『東京湾要塞』の一つになる。
観音崎砲台"群"と名のごとく複数の砲台によって構成されていて、中でも観音崎第一・第二砲台は西洋式の築城技術と建築資材によって日本で初めて作られた沿岸砲台でかなり歴史が古い砲台跡になる。


観音崎砲台群は現在『観音崎公園』として、一部を除き常に公開されている。かつての砲台跡に公園として整備され、砲台跡としての歴史だけでなく横須賀美術館や観音崎自然博物館といった施設。大部分が手つかずの自然が残っているなど散歩コースとしてもピッタリの公園だ。
ただ、ここ観音崎も例にもれず敵艦船からの視認性を低くするため山の中に作られており、それなりに歩くので注意。そして、普段は入れない弾薬庫などの部屋も入れるツアーが時々行われているので、詳しく見学したい方はそちらもチェック。




砲座の間に弾薬庫に繋がっているトンネルが設けられているのが特徴的




観音崎砲台群は全てが現存、見学できるわけではない。観音崎旧第三砲台・第四砲台は現在海上自衛隊の施設になっており、旧第三砲台に至っては現在でも礼砲台として現役で使われている。
大浦堡塁は現在慰霊公園としてモニュメントが建てられ、南門砲台は地形から砲台があった面影をうっすら感じられる程度になる。
ちなみに、砲台以外にも要塞時代の施設はいくつか現存している。弾薬庫は現在パークセンターとして活用され、軍事物資輸送の為に彫られた切通しも随所に残る。現在では立ち入ることができないが聴測所が海の上に現存していたりもしたり、他にも多々遺構が残る。


各所に休憩所もあるので散歩コースとして結構観音崎公園はオススメ。かなり自然に浸食されているので要塞めぐりというよりは、途中から古代遺跡巡りの様な気持ちになった公園であった。
ちなみに筆者は1時間ぐらいで見られるだろうと甘く見ながら向かった結果写真を撮って一部は行ってないとはいえ2時間以上かかった。

-
明治から今まで続く日米の軍港
【かつて軍港の町だった横須賀】として過去の軍港としての側面を紹介してきた。ここからは「現在の軍港の町」の姿を見て行こう。
今現在横須賀の防衛機能の多くは横須賀本港と田浦の船越地区に集約している。この地区の沿岸部の大半が海上自衛隊もしくは米海軍の基地となっている。そんな現代の軍港を海上から見て回れるツアーがある。それが『YOKOSUKA軍港めぐり(以下:軍港めぐり)』だ。
今回はこちらに乗船して今の軍港を見て行こう。


クルーズ時間はおおよそ45分。艦船の出入港にも左右されるが「汐入桟橋→横須賀本港→東京湾→船越地区→掘割水路→汐入桟橋」のコースを回るツアーになる。
このクルーズの面白いところは、乗船タイミングによって停泊している艦船が大きく変わるところにある。艦船は観光資源・定期便ではないので当たり前だが、任務や訓練などがあれば午前便で見られた艦船が午後には出港して停泊していないこともざらだ(その逆もまたしかり)。


今回乗船したのは9月13日の11時便。艦船としては普段横須賀を母港にしている艦が多く珍しい艦船は特に停泊していないが、丁度ツアーの団体客と鉢合わせたため平日ながらも多くの乗船客で賑わっていた。
物珍しい船が訪れていないときは乗船が始まるとおおよそ半々ぐらいの割合で船内とデッキに分かれていく。
船が回頭しクルーズが始まると右舷側(米軍基地側)の解説が主になる。なので、解説と共に目の前の景色を見たい方は右側に座るのがおススメ。


海上自衛隊で最も大きい艦船であり、横須賀地方総監部の顔ともいえる。
今後空母化に向けて改装が行われる予定であり、この姿で見られるのも残りわずか
横須賀本港と呼ばれるのが軍港めぐりの桟橋もあるここ。左右を海上自衛隊と米海軍の基地に挟まれた港だ。江戸時代末期には「横須賀製鉄所」が造られ日本の近代産業発展の地として、現在では米海軍第七艦隊と海上自衛隊の主要港として栄える。
クルーズにおいては一番の目玉になる場所といっても過言ではなく、一番軍港もとい横須賀らしい光景を見ることができる。

オレンジの船体に白い艦上構造物が特徴的。南極から帰ってすぐだと艦首はボロボロだが、ドック明けの為新品のような姿は地味にレア。
建造は文部科学省の予算によって行われ、運用は海上自衛隊が行う唯一無二の艦船。防衛省の表記では砕氷艦『しらせ』(JMSDF SHIRASE AGB-5003)になる

ステルス性を意識した船体と独特なマスト、そしてそのマストの上に生える棒『NORA-50複合空中線』が特徴的。右に見切れているのが護衛艦『むらさめ』


このアーレイバーク級は岸壁に停泊している物だけで本日は7隻見かけられた

二つの意味で珍しい艦船で、本艦は2026年を持って退役する予定であり唯一艦名が現役で変更された艦船(旧名:チャンセラーズビル)

横須賀を母港とする第二潜水隊群の司令部が米軍基地内にあるので米軍基地側に停泊している
横須賀本港を過ぎると東京湾へと出てくる(横須賀本港も東京湾ではあるけど)。沖に停泊している艦船や出入港する艦船、消磁所で作業する艦船などが停泊していると見ごたえがあるのだが、あいにく今日は特に動きは無い日であった。
現在JASTECや日産、住友重機が建つところもかつては海軍の土地であった。大日本帝国海軍で最初に設立された横須賀海軍航空隊が存在したが、現在では史跡は残っておらず貝山緑地に石碑が残るのみ。
そんなエリアを抜けると船越地区へとクルーズ船は入っていく。
ここには護衛艦隊群司令部等が入る「海上作戦センター」があり、港としては横須賀本港よりも小さいながら海上自衛隊として重要なエリアだ。

奥に見えるのが海上自衛隊の中枢を担う海上作戦センター

案内はされてないが、このふ頭は元々民間の所有であったが、防衛機能集約の為に防衛省が土地交換を行い整備され新設されたという珍しい経緯のふ頭
船越地区を抜け水路を通り横須賀本港へと戻る。この水路は『新井掘割水路』と呼び、明治時代に船越地区と横須賀本港のアクセスを容易にするため岬を開削して造られた水路になる。この水路建設によって生まれた人口島がクルーズで左手側にずっと見えていた吾妻島。
作られた明治から日本海軍が使用し、現在では海上自衛隊と米軍が共同で管理する土地になっているため100年以上もの間一般人が立ち入る事は不可能な島が吾妻島。


この日は全ての船が出船の向きで停泊しているので特にポイントが高い
(出船:船の艦首を海の方向に向けて停泊させる状態。迅速な出港ができるのがメリット。 対義語は入船 入港が早く終えられる)
掘割水路から横須賀本港に戻ると45分のクルーズも終盤、停泊する海上自衛隊の艦船を解説し終わるとターミナルは目と鼻の先になる。これで横須賀現在の軍港を巡る唯一無二のクルージングタイムは終わりだ。
ちなみに軍港めぐりは毎回乗船券に書かれた数字で抽選が行われ当選者はお土産売り場にある黒板で発表、商品の受け取りはチケットカウンターで行われる、忘れずに行こう。

今や昔からの軍港というイメージが強い横須賀だけど、その発端となった列強に対抗するために進めた富国強兵の政策以前から横須賀・浦賀という地は日本の要所として様々な役割を担ってきた。そのため、探してみると様々な年代の遺跡や建築が残るのがここ横須賀(最古の物だと夏島に残る貝塚で、その場から出土した縄文土器は9000年以上前の物とも)。
都内からおよそ1時間ちょっとで行ける普通の観光地とは違った経路を持つ今昔の「軍港」という観光地。是非とも訪れてみてはいかがでしょうか?
ちなみに要塞の一般公開は土日のみ行う場所が多いので平日行かれる方は注意です。
PHOTO&TEXT:出雲
取材撮影協力:横須賀市
横須賀市観光協会
横須賀市教育委員会
※当サイトで掲示している情報、文章、及び画像等の著作権は、当社及び権利を持つ情報提供者に帰属します。無断転載・複製などは著作権法違反(複製権、公衆送信権の侵害)に当たり、法令により罰せられることがございますので、ご遠慮いただきますようお願い申し上げます。