2024/10/22
.44マグナムの普及に一役買ったスタームルガー社の銃たち「RUGER .44MAGNUM」【中編】
RUGER .44MAGNUM
.44マグナムといえばS&Wモデル29 が真っ先に思い浮かぶ…のは日本での話だ。米国のシューターにとって、.44マグナムといえばスタームルガーとなる。スーパーブラックホークやレッドホーク、さらには.44マグナムカービンなど、幅広い製品を展開して.44マグナムの普及に努めたのは、スタームルガーだからだ。
Super Blackhawk
長い間、カートリッジリローディングの世界ではルガーリボルバーに対する信頼は厚く、その頑丈さは伝説/レジェンド扱いされてきた。オーバーチャージしてシリンダーが破裂したとかいうルガーリボルバーにまつわる悪い話は、この業界に少々足を突っ込んでいる筆者にも全く聴こえてこない。筆者はルガーリボルバーをいろいろ所持しているが、リロードするカートリッジとなるとマグナム系では、.357、.44、.454カスールに絞られる。しかしそれらの中でも主力は.44マグナムとなっている。
強力でありながら、何十発も撃って苦にならない大口径マグナムとなると、.44マグナムとなる。実際に.454カスール、.500S&Wマグナムを所持した上での話であり、誰かの意見の受け売りではない。
筆者が.44マグナムと馴染みが深くなったのは一時期、ハンドガンメタリックシルエット競技にハマったことと関係している。初期のカスタムクラスから、その後に追加されたプロダクションクラスでも.44マグナムを使っていたからだ。確かにハイパワーハンドガン好きにとって.500S&Wは魅力的だろうが、5発(シリンダーフルロード)も撃てば、激しいリコイルで大方のシューターにとっては“腹いっぱい”となる。それもあって実用マグナム口径の最大威力カートリッジとして選ばれるのは.44マグナムなのだ。
センターファイアマグナムリボルバーカートリッジの中で、かつて最も消費量が多かったのは.357マグナムであろう。既に触れたように1990年頃まで法執行機関のメインストリーム口径は.357マグナムだった。現在、その地位は9mm×19に奪われている。この傾向はシビリアン市場でも同様で、この20-30年間、.357マグナムの消費量は、法執行機関と同様、低迷しているに違いない。
1949年にスタームルガー社が発売したルガー.22オートの成功に続いて、同社は1953年にシングルアクションリボルバーである“シングルシックス” .22を発売した。当時はコルト社がシングルアクションアーミー(SAA)リボルバーの製造を第二次大戦への米国の参戦を受けて止めたまま、戦後の再生産を始めていなかったという背景も手伝って、ルガーシングルシックスは爆発的に売れた。
そして1955年、シングルシックスをスケールアップした.357マグナムリボルバー“ブラックホーク”を発売した。後々これに、.30M1、.41マグナム口径が追加されている。今回フォーカスを当てる.44レミントンマグナムカートリッジが登場したのも1955年のことだ。市販最強をキャッチフレーズとした新カートリッジの登場は、銃器界に興奮をもたらした。この新しいマグナムカートリッジを使うリボルバーをどこのメーカーが市販するのかで、市場は湧いた。そして老舗であるS&Wと当時は新興メーカーであったスタームルガー社の2社が名乗りを上げた。
1955年から1956年にかけて、S&W社はラージフレームであるNフレームを用いたダブルアクション(DA)リボルバー“44Magnum”を発売、これに続いてスタームルガー社は既に発売されていたシングルアクション(SA)リボルバー“ブラックホーク”のバリエーションとして.44マグナム仕様を発売した。同じリボルバーでもDAとSAだったこともあり、市場での競合は避けられた感じとなった。
スタームルガー社にDAリボルバーの製造経験がなかったこともあるだろうが、SAリボルバーの分野ではシングルシックスとブラックホークによってそれなりにルガーファンを持ち、“餅は餅屋”の諺に徹したということなのだろう。ちなみにコルトがSAAの生産を再開したのも1955年だ。そこにはスタームルガーの存在が大きく影響している。
1957年、S&Wは全モデルに固有のナンバーを与えた。ラージフレームであるNフレームは20番台が割り当てられ、44マグナムは“モデル29”となった。
1959年、“ブラックホーク”を改良強化し、かつトリガーガードをスクウエアバックとした“スーパーブラックホーク” .44マグナムが登場した。そして1974年、トランスファーバーを組み込むことによって、シングルアクションリボルバーの安全性を大幅に向上させた“ニューモデルブラックホーク”を登場させた。この時以後、これまでのモデルはオールドモデルブラックホークと区別されるようになった。ルガーはオールドモデルを無償でニューモデルに切り替えるサービスを行なっているが、今回誌面に登場させたブラックホーク口径.357マグナムは、コレクションとして保存しているためオールドモデルのままだ。
Redhawk
スタームルガー社の.44マグナムダブルアクションリボルバー“レッドホーク”が登場したのは、.44マグナムカートリッジ誕生から25年後の1980年のことだった。レッドホークは、1972年発売のスタームルガー社初のダブルアクションリボルバー “セキュリティシックス”をスケールアップし、.44マグナム対応としたモデルだった。S&Wモデル29に優る頑丈なフレームを持ち、セキュリティシックスで信頼性を確立したユニット化されたトランスファーバー組み込みのトリガーデザインを踏襲、安全性とタフさを望むマグナムハンドガンナーを魅了した。
そして1987年、レッドホークを更に強化した“スーパーレッドホーク”が登場した。光学機器装着を前提とした大型フレーム採用モデルで、まず.44マグナムで製品化されたが、1997年には.454カスール、2003年には.480ルガー対応モデルが加わった。一方、今回のリポートに登場している “スーパーブラックホーク ハンター”が登場したのは1992年のことだった。スーパーレッドホーク同様、光学機器の装着を前提としたモデルとなっている。今回の記事には.454カスールモデルも登場しているが、外観だけでは識別は困難だ。
Ruger .44 Magnum Carbine
ショートピストンガスオペレーションを採用したルガー.44マグナムカービンはあまり世間に知られていない存在だ。1961年、ルガー社が最初に発売したロングガン(いわゆる“長物”)はこの.44マグナムカービンだった。現在までベルトセラーであり続けているルガー10/22が登場する1964年よりも早い。アイデアとしては1957年、既に量産に乗りつつあったブラックホーク.44マグナムリボルバーとペアで使えるカービンとしての需要を見込んだものだった。ハンドガンとライフルとで同じ弾を使う、いわゆる互換性のアイデアはメタルケースが始まった初期の段階で既に登場しており、当然の成り行きだったといえる。
ハンドガンの場合、実用性からバレルの長さは7”前後が最大という制約が生まれるが、カービンならバレル長16-18”となり照準線の延長、MVの増加でバリスティック性能も向上、ターゲットに当てることも比較的容易になり、威力もケースバイケースだが向上する。
西部開拓史時代の話をしよう。例えば.44-40のウインチェスター モデル73と同じく.44-40のコルトピースメーカー(SAA)を持っていた開拓者は確かにいた。同じ.44-40アモが使えるので便利ではあり、一部で歓迎されたものの、ライフルやカービンとしてみた場合、その威力では妥協を強いられることになり、これに対する不満はくすぶっていた。
ハンドガン用にデザインされたカートリッジを長いバレルのライフルで撃っても、狙いやすさが改善されたぐらいで、威力が倍増するわけではなかった。それは今の時代にも言える。特に燃焼カーブのコントロールに限界があった黒色火薬の時代にはそれがいえた。それもあって開拓者達は、コルトSAAは口径.44-40であっても、これとは別にもっと威力ある.45-70、.45-90のシングルショットライフルを所持するケースも少なくなかった。
開拓者にとっての銃器は外敵から身を守るだけでなくバッファローなどを倒して食料を得る必要性もあり、ハンドガンカートリッジではそれをライフルで撃とうが所詮限界があったからだ。現実問題として、一般的な開拓者にとってコルトSAAは高嶺の花であり、1890年代末ごろまで南北戦争のサープラスパーカッションリボルバー、またはカートリッジコンバージョンモデルが現役だったという。ハリウッド映画に何十年と騙されたというのが本当のところだ(笑)。しかし中には時代考証に比較的正確な映画も存在する。邦題は『アウトロー』だそうだが、オリジナルタイトルは“The Outlaw Josey Wales”など一つの例だ。ハリー・キャラハンを演じたクリント・イーストウッドが監督・主演を務めた1976年の作品だ。
ルガー.44マグナムカービンは第二次大戦で活躍したM1 Carbineを参考にしたモデルで、作動方式もショートストロークピストンを踏襲している。オリジナルのM1カービンでは15連ボックスマガジンを使用するが、ルガー.44マグナムカービンでは、チューブマガジンを採用している。馬乗り、または山岳で使うことを考慮したためだろう。チューブということもあり装弾数は4発+1となった。ハンティング用としてなら標準的な装弾数であり、下に突き出して邪魔なマガジンを省く方がメリットはある。
チューブマガジンとしたための弊害として、メカニズムがM1カービンと比較すると複雑になった。視点を変えれば、リムドケースである.44マグナムマガジンのデザインに手間取ったのではないかと考えることもできる。装弾数が4発で良いなら、ボックスマガジンにしても、たいしてマガジンが下に突き出さない。.44デザートイーグルがリムドケースでもマガジンフィーディングを実現しているではないか?しかし、時代が違う。ルガー.44マグナムカービンデザイン時において、これは無理だったのだろう。時系列を無視してデザインを語りだしたらキリがない。チューブマガジンのデザイン、及び給弾機構はレバーアクションやポンプショットガンで19世紀から長い実績がある。軍用ライフルだって連発となった初期はチューブマガジンが多かった。いすれにせよ、スタームルガーはチューブマガジンを採用したのだが、複雑なメカニズムだったことは命取りの一つとなった。
ルガーマグナムカービンはメーカーにとってコストかかり過ぎといわれながら、1961-1985年の間、合計255,000挺が製造された人気モデルであった。マガジン内でのカートリッジ暴発が製造中止の原因だと1990年代に小耳に挟んだことがあった。今から考えると単なる噂だったのか・・・情報拡散時代の現在、この情報を見つけられないところをみると今で言うフェイクニュースだったのだろう。これが事実なら、スタームルガーはリコールを掛け、回収して改良を施すはずだ。既に述べた通り、同社は1953年から1972年までに作られたブラックホークとシングルシックスに対し、1982年1月にリコールを掛け、無償改造をアナウンスしている。これは現在でも有効だ。
しかしながら、25万挺以上製造されたルガー.44マグナムカービンが、それ以降、何十年とガンショーでも、銃器骨董屋でもほとんど見掛けない。これはとても不思議だ。いったいどういうことなのか理解に苦しむ。多分にコレクターのガンセイフに眠っているのであろうと推察する。
今日ある資料によれば、製造中止の理由は製造コストの問題だったという。確かにシンプルをモットーとしているルガー製品にしては、複雑怪奇とまではいわないがかなり手が込んでいる。
スタームルガーといえばインベストメント工法を大幅に採用、コストダウンを図り、庶民のための銃器メーカーを目指しそれは今も変らない姿勢のメーカーだ。但し、ルガー.44マグナムカービンのレシーバーは削出しである。なぜ手間がかかり、コスト上昇になる削出しとしたのか幾つかの理由が考えられるが、推測でしかないので何か新しい証拠が見つかったら将来、再び触れたい。
.44マグナムカービン製造中止から15年後の2000年になって、ルガー“Deerfield Carbine”(ディアフィールドカービン)が発売された。.44マグナムカービンの改良版なのか?、オリジナルとは似ても付かぬどちらかというとミニ14系のスタイルを持っていた。オリジナルの.44マグナムカービンではクローズドトップだったが、ディアフィールドカービンではミニ14と同じオープントップとなった。
マガジンは4発のロータリーで、ガスオペレーテッド/ロテイティングボルトを備え、外見もミニ14の姉妹モデルと言えるほど似通った外見だった。しかしこのモデルは2006年製造中止となった。ミニ14もそうなのだが、オープントップは時代にそぐわない。これに尽きるのだ。光学サイトがこれだけ普及した今、アイアンサイトはあくまでもバックアップであって、メインにはなれないご時世となっているからだ。AR系の成功がそれを見事に証明している。
Photo&Report:Gun Professionals テキサス支局
この記事は月刊ガンプロフェッショナルズ2022年2月号に掲載されたものです
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