2024/11/23
【鹿島海軍航空隊跡】日本有数の廃墟が残る史跡公園【かつて航空基地だった地】
「美浦村(みほむら)」……それは茨城県に2つしかない村の1つであり、日本に2つしかないJRA(日本中央競馬会)の「トレセン」こと「美浦トレーニングセンター」があり、そして日本で2番目に大きい湖沼である「霞ヶ浦」に面した村である。この村にはかつて大日本帝国海軍航空隊の1つであった鹿島海軍航空隊の基地跡がある。
この基地に所属していた航空隊の役割は水上機(水面に浮くことができ、離着水が可能な航空機)の操縦教育を主とし、多くの飛行学生・飛行練習生がこの地から飛び立った。敗戦後、役目を終えたこの基地は戦後復興と高度成長期の狭間で消え失せてしまい…かと思いきや、一部施設は大きな改修もされずに再利用され、映画のロケに使われることもあるなど、今なお当時の雰囲気を残しつつ生きながらえていた。
今回は、思わぬ形で日の目をみることになった、この大山湖畔公園(鹿島海軍航空隊跡)を見ていこう。
鹿島海軍航空隊基地の大まかな歴史
- 1937
日本海軍の安中航空隊(仮称)として軍用道路・水道の建設・水田や田畑の埋め立て工事が開始
- 1938
5月 基地が完成。霞ヶ浦航空隊安中水上隊として開隊
8月 鹿島海軍航空隊と改称
12月 鹿島海軍航空隊として正式に開隊
- 1944
12月 鹿島水上基地にて六三一空開隊 瑞雲による訓練が始まる
- 1945
1月 六三一空が呉水上基地に移転
5月 練習航空隊を解除
鹿島海軍航空隊の水上偵察機が神風特別攻撃隊として特攻を実施
8月 終戦により解隊
- 1946
大部分が東京医科歯科大学付属霞ヶ浦分院となる
- 1974
一部敷地が国立公害研究所所管になる
- 1997
湯島地区統合のため東京医科歯科大学霞ヶ浦分院を閉院
- 2011
国立科学博物館が霞ヶ浦地区を国庫納付
- 2016
美浦村が約7.6ヘクタールを取得
- 2023
基地敷地の一部を利用し大山湖畔公園が開園
基地の建設が始まったのは盧溝橋事件と同じ1937年で、鹿島海軍航空隊の前身となる安中航空隊の基地として整備が始まり、翌1938年に横須賀鎮守府所管となる鹿島海軍航空隊が開隊される。
この地が水上機の基地として選定された理由は、その立地だ。
上記の航空写真を見ると、この基地が霞ヶ浦の湖面に囲まれるような立地なのがわかるだろう。フロートを装備する水上機は陸上機に比べ空気抵抗が大きくなりがちで風の影響を受けやすく、このように湖面に対し2方向のスロープを持つことで風向きの変化にも対応しやすく都合がよい。さらに、対岸までの距離も充分に取れるため、練習機の運用にはもってこいなのである。
航空基地開設から時代は進み、太平洋戦争も敗色濃厚な雰囲気漂う1944年には「瑞雲」を配備する六三一空の訓練が開始。同航空隊は伊四百型潜水艦に搭載する特殊攻撃機「晴嵐」の運用部隊として編成され、1945年には呉基地に移転。残った水上偵察機の一部を沖縄周辺での特攻のために派遣している。同年5月には練習航空隊としての役割から実戦部隊へと変更となり、同年8月の終戦に解隊された。
戦後は大部分が東京医科歯科大学付属霞ヶ浦分院の敷地になり、多くの施設は病院として改装されながらも、ほとんどがそのまま活用された。その後一部が国立公害研究所(現国立環境研究所)として所管替えが行なわれたり、老朽化に伴い一部の建物が取り壊されている。
そして1997年には病院としての役目を終えた。
閉院後、旧鹿島海軍航空隊のレトロな佇まいの建物は、映画のロケなどに利用されつつも、不法侵入者等による落書きや器物損壊、盗難などもあり荒れ果ててしまう。 そのため2010年代には有刺鉄線や監視カメラの設置がなされるが、それでも不法侵入者は後を絶たなかった。
そんな中、美浦村は長らく放置されていたこの場所を2016年に国から取得。当初は敷地内の旧軍事施設を取り壊し公園として整備する予定だった。しかし、映画『永遠の0』のロケ地としても有名になった笠間市の筑波海軍航空隊記念館の管理を手掛ける「プロジェクト茨城」は、美浦村に国内最大級の戦争遺産群として鹿島海軍航空基地の保存と活用を持ちかけた。冒頭に書いたように、思わぬ形で日の目を見ることになったのである。
戦後ほぼ手つかずで残されてきたこの建物群はロケ地として貴重で、映画やMVの舞台として有名になった。茨城県もロケ地としての活用には前向きで、地域ぐるみでの後押しが感じられる。
この地で撮影された有名作品といえば、今や筆頭は『ゴジラ – 1.0』だろう。物語において重要な役割を果たす局地戦闘機「震電」の格納庫として使われていた。他にも『映像研には手を出すな』『ラーゲリより愛をこめて』『仮面ライダー』シリーズ、その他MVなどの撮影にも使われている。
そして2022年、施設の一般公開に向けてクラウドファンディングが始まった。
この施策は無事に成功し、史跡公園「大山湖畔公園」として2023年に一般公開を開始。鹿島海軍航空隊基地の歴史を後世に伝えるとともに、様々なロケ地としてもより有名に。
敷地内には建造物や、それらが建っていたことを示す基礎が残っている。しかし本施設は長らく病院であり、航空基地時代を知る人も減ってしまった。
それでも残った僅かな資料から、当時の姿を後世に伝えるべく現在も調査が行なわれているという。ここでは鹿島海軍航空隊跡の遺構達を一部紹介していこう。
本庁舎
鹿島海軍航空隊では本庁舎として使用され、東京医科歯科大学付属霞ヶ浦分院時代も最後まで病棟として使用された。
現在、本庁舎内には「鹿島海軍航空隊基地・基地所属部隊を後世に伝える展示室」「当時を再現した部屋」「企画展」「基地跡をロケ地として利用した作品展示室」といった展示エリアが設置されている。その他一部の部屋は公開されているが、安全管理のため通常は立ち入ることのできないエリアもある(ガイドツアーのみ見学できる場合も)。
ボイラー室
ボイラー室は病院時代も使用され、ボイラーの増設に伴い建物自体も拡張されている。屋根は航空隊基地時代は木製だったが、トタン屋根に改修されたため内部はかなり良好な状態で残っている。
自力発電所
かつては発電機が置かれていたが、現在はその基礎を残すだけである。緑に浸食され屋根もなく今にも崩れそうな雰囲気が漂うこの施設は、この航空基地跡で一番廃墟らしさが漂う。
自動車車庫
航空機をけん引する車両などがかつてはこの場所に駐車されていた。現在では建物周りは駐車場になっており、内部は受付やカフェ(公園開放日のみ営業)がある。
本来であれば奥にもう一棟同じ車庫が立っていたが、現在は解体され跡形も残っていない(前掲の国土地理院の航空写真では確認できる)。
スロープ(滑走台)
ここは水上機運用のためのスロープが当時の姿を綺麗に残したまま現存している。現在ではプレジャーボートや個人所有の水上機がこの地から霞ヶ浦に出ていく。
残る数々の史跡達
現在この鹿島海軍航空隊基地跡では、調査やロケ地利用が進められながらも土日などには一般公開されている。また最近では美浦村に所在するJRAトレーニングセンターとのコラボイベントが行なわれるなど、様々な形で活用されている。
静かな霞ヶ浦の湖畔、不思議な時間の流れるこの鹿島海軍航空隊基地跡。映像作品や時々行われるコスプレイベントの聖地として現代の人たちに活用されながらも、戦争遺構として多くの人に見てもらいたい場所だ。
公共交通機関を使用する場合のアクセスは、土浦駅や荒川沖駅からタクシーかレンタカーを使うしかないので、決して行きやすい場所とはいえない。しかし、ドライブや写真撮影、廃墟や歴史好きな方は、ぜひ訪れてみてはいかがだろうか?
鹿島海軍航空隊跡(大山湖畔公園)
- 場所:〒300-0402
茨城県稲敷郡美浦村大山
- 公開時間:土日のみ開園 9:00~17:00(最終受付15:30)
- 入園料:大人(18歳以上)800円、18歳未満 300円
- X(Twitter):【公式】鹿島海軍航空隊跡(大山湖畔公園)
PHOTO&TEXT:出雲
協力:プロジェクト茨城
大山湖畔公園
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