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2024/05/01

アイヌ犬ヒグマとの初遭遇「イチ2 初めての猟期」 後編【Guns&Shooting】

 

  イチ2
 初めての猟期 

 

 

~前編はこちら~

 


 

 山での習慣 

 

こういう山を歩くとき、犬がいることがどれだけ心強いか

 

 とにかく暇さえあればイチを山に連れ出した。一度山に行けば、イチもクタクタになり、帰りの車に乗るなり毛繕いして寝て過ごすようになった。
 そういったある程度の習慣やパターンを作ることを意識した。例えばエサや水である。
 エサは下山時にイチを呼び戻してリードに繋いでから与えるようにした。とにかく山で必須になることのひとつが「呼び戻し」であろうと思っているので、“呼び戻されたらいいことがある”という経験を積ませたかった。

 その際に全量を与えず、車内のクレートに入れて残りのエサをやる。そういった甲斐もあってか、呼び戻しにはしっかり応えてくれるようになった(当然、毎日の訓練が大事)。

 

散歩でも猟の時のように、激しい運動と休憩を交えるようにしている


 難しいのは水だった。
 北海道にはエキノコックスという寄生虫がいる(本州でも一部発見されている)。キツネや野ネズミに寄生しており、それらの糞などから犬にも感染する。ネズミを捕まえて食べれば当然感染するが、沢水もキツネの糞に汚染されていることがあり、生水を飲むことでも感染する。そのため、人間も北海道では生水を飲むことは推奨されておらず、沸かしてから飲むのが一般的だ。


 言って聞かせてもわからないのが犬である。

 イチも喉が渇けばその辺りの水たまりだろうが、沢水であろうが、お構いなしに飲む。これは習慣としてマズイと感じ、喉が渇いたら私のところに戻るように教えようとしている。

 完璧には難しいが、普段から水筒を持ち歩き、水分が必要そうなら呼び戻して飲ませるように心がけている。猟犬のうまい水分補給についてノウハウがあれば、教えていただきたいものだ。

 

本文でも書いた水分補給。散歩中に手から水を飲ませるようにして、沢の生水などを飲まないように習慣づけているが、飲むときは飲んでしまう


 また休みベタで、私が座ろうものなら私と遊ぼうとせがむクセがあったが、それだとお互い休まらないので、“休むときは休む”ということも普段から練習するようにしている。毎日の散歩でも、公園のベンチで休んでみたりする。休み方を練習するのも馬鹿げているが、まあそれも楽しいので良しとする。

 


 ヒグマとの遭遇 

 

ヒグマの足跡を嗅ぐ

 

 そうやって時にはシカに遭遇し、ときどきヒグマの糞や足跡を見つけながら山に通って1ヵ月ほどが過ぎた。イチはシカを見つけると、一生懸命に追うが、例の厳しい藪に飛び込まれると置いて行かれてしまい、イチはしばし藪でもがき、負けを確信するとしょぼしょぼと帰ってくる。そんなことを繰り返していたが、総じて言えば、イチは山を楽しんでいて、楽しい遊びだと思っている節があった。

 時々見つける新しいヒグマの痕跡を見たときだけイチの目に緊張感が宿るものの、それ以外は楽しく過ごしているようだ。

 

これまで登山・釣り・狩猟と経験してきたが、犬と山を歩くことには圧倒的魅力がある


 ある日、開けた谷間をまっすぐに通る、かつて作業道だったであろう獣道を歩いていた。相変わらずイチは50m前後の距離を保って楽しく歩いていたが、たまたまそのとき私のすぐ近くに寄ってきて、私に甘えるようなそぶりを見せていた。


 頭をひと撫でして歩き始めて10秒そこら。気配を感じて見上げると、横の尾根にヒグマがいた。子を1頭連れた親子である。ヒグマもこちらを見ており、一瞬ヒグマも私も固まった。直線距離で100mあっただろうか? あるいはもっと近かったようにも思う。その気配を感じてくれたのか、イチも私の視線の先を追い、すぐにヒグマに気が付いた。

 

犬の様子を通じて山を見る。自分だけなら注目もしなかった場所で、犬が強い反応を示すこともある


 あの一瞬は忘れることができない。鉄砲撃ちとしてはすぐに構えて撃てという話になるのだが、わたしはむしろイチを見た。
 ――お前はどうする?
 ――行く!


 イチは私と一瞬だけ目を合わせた後、飛んでいった。実はそれよりも一瞬早くヒグマは逃げ始めていた(おそらく、イチを無視して撃とうとしても、走られていたのは間違いないだろうから、あのときサッサと撃てば獲れたとは思っていない)。

 

ヒグマの足跡


 ヒグマは針葉樹林の中を見え隠れしつつ尾根をグイグイと登っていく。さすがの馬力で、急斜面をものともせずヒグマは登っていた。同じ斜面をイチが登ろうとするが、一部崖のように急になるところがあり登れない。すぐにイチは見渡して別のルートを探す。大回りで登りやすいルートがあることに気が付いて、そちらから回って登る。

 

 私も同じルートを辿って走るが、迂回ルートもそれなりの斜面である。逃げていったルートは徐々に濃い樹林帯となり、最終的には行き止まりのようなチシマザサの藪に行く手を阻まれた。ヒグマはこの藪に飛び込んでいる。

 

誇らしく、胸を張ったイチの姿に何度励まされたか


 イチは果敢に藪に入る。ヒグマは少し前に藪をなぎ倒して逃げる音をさせていたが、その音も聞こえなくなった。尾根を越えて音が聞こえなくなったか、はたまたどこかで息をひそめているのか……。確信はないが前者だろうと読んではいた。いずれにせよ緊張感のある場面である。

 

 再びイチは藪に飛び込んだ。シカを追うときだと、ダメだとわかると戻ってきてそそくさと先を進むのだが、ヒグマ相手の今日は違った。藪に阻まれて行き先を見失うと戻ってきて、少し違うルートで入り直す。匂いを嗅ぎながら右へ左へと探し回っている。諦める様子はない。私は私で、少しでも視界を確保できる場所を探し、ヒグマの逃げたルートを探す。

 

ヒグマの足跡を見ると、いつもしばらく立ち止まってしまう。ときに400kgを超す生き物がこの場所を歩いたと思うと、それだけで景色が違って見えてくる


 イチも私もしばらくそんなことをやっていた。イチは息を切らして舌を出していた。その場で座って水を飲ませる。そのあとで、自分もグイッと水を飲む。
 獲物は獲れなかったが、最高の時間だった。
 イチにそう伝えたかった。

 

 

 イチ、ヒグマの死体を見る 

 

 ある知人から連絡があった。詳細は書けないので一切を省くが、簡単に言えば「山にヒグマの死体がある。イチくんに見せたら勉強になることもあるかもしれないよ」というありがたいご提案だった。


 ご厚意に甘え、山中で自然死したヒグマのもとにイチを連れていった。ヒグマの死体にはヒグマがつくことがあるとも言われ、安全に配慮しての挑戦となった(申し訳ないが、配慮方法などもここでは伏せる)。

 

はやくイチと獲物を獲って、猟のおもしろさを感じてほしいと思っている


 わたしは勝手なイメージとして、ヒグマの死体をイチが噛みに行くと思った。たとえば普段でもシカ肉やシカの骨を噛ませることはあったし、それをイチは喜んでいた。きっとヒグマのことも噛むだろうと思っていたのだが、事前にしつけの相談をしているドッグトレーナー(ベアドッグの指導もしている)に相談したところ、「いきなり噛んだりしないと思います」とのことだった。

 

さすがのアイヌ犬で、雪が積もると元気が増す。そして雪の中でも平気で寝る


 当日、現地に赴き、イチをヒグマに当ててみた。少し離れた場所にいたときは吠えることもなく、しかし興味津々で「嗅がせろー近付かせろー」という感じだった。リードに繋いだまま近付いてゆくと約1mまでの距離に入った途端、キャンキャンと吠え始めた。もう完全に死んでいるヒグマではあるが、警戒を解くことはなく、身体を強張らせ、いつヒグマが動いてもいいように構えているようだった。

 その場に15分はいたと思うが、最後まで噛むことはなかった。2回ほど鼻が触れるくらい近付いて匂いを嗅ぎはしたが、そのときも噛む様子はなかった。

 

ウサギの足跡を追って見つけた穴。いつまでもウサギを追って匂いを嗅ぎ続けていたが、もうウサギの姿はなかった


 このことをどう評価するべきかわからないが、私は嬉しかった。安心した。
 今後もし、生きたヒグマと相対したときに噛みに行けばやられるかもしれない。できれば距離を保って吠えていてくれるほうが望ましい。そう思っていた。少なくとも死体に対しても噛みに行かないのだから、生きたヒグマにいきなり噛みつこうとすることはなさそうだ。


 一人と一頭で取り組む以上、安全確保が最優先であり、果敢に攻めるよりもずっといい。まだ生後1年にも満たないイチに、このような機会を作ってやれたことは心底嬉しく思う。その節にお世話になった方々には深く感謝したい。ありがとうございました。

 

猟期の後半となり、生後11ヶ月頃になると、顔付きも大人っぽくなってきた

 


 イチの怪我 

 

 猟犬を飼っていて、犬が怪我することは覚悟しているつもりではある。もちろん怪我をしないのが理想だし、怪我をしないまま一生を終えてほしいと思っている。しかし、怪我をするときもあるだろう。
 その覚悟はしていたが、なんと猟と関係もない近所での散歩の最中に足を怪我してしまった。

 

焚火の近くで一緒にくつろいだりしたいのだが、イチは構わずその辺をほっつき歩く。イチには焚火よりもおもしろいものがあるようだ


 どうやら、雪の中にあった何か鋭利なものを踏んでしまい、後ろ足の肉球の一部を削ぎ落とすような形で切ってしまったのだ。ちょうど怪我をしたであろう瞬間を目撃したものの、何を踏んだのかもとうとう判らなかった。

 

 病院に連れて行ったところ、獣医は「傷としてはまぁ放っておけば治るでしょう。抗生物質と、炎症を抑える塗り薬を塗ってやれれば十分です。ちょっと時間はかかると思いますが……。それよりも……」とイチを見る。


「たぶん、傷口を舐めてますよね?」
「舐めてますね」
「結構、強く舐めちゃってて、気になるから噛んだりもしてると思います。そうすると治るのに時間がかかるどころか、悪化しちゃうんで、エリザベスカラーを付けないといけないですね」

 

深雪だと犬には体力的にも大変だろうが、ものともせず終始はしゃいでいた


 ということで、もうすぐ1歳のイチはエリザベスカラーをつけて過ごすことになった。
 こうしてイチの初めてのヒグマ猟は終わった。本当はせめてシカを獲らせてやりたかったが、足のケガが治らないうちに山に連れて行くわけにもいかず、かわいそうだがしばらくは家庭犬として過ごしてもらうことになった。


 この怪我の一件は大事なことを突きつけられた。
 猟犬は猟ができるから猟犬であり、もし今後、猟を続けられないような怪我をすれば家庭犬として過ごすことになる。あるいは老いで猟に行けなくなることもあるだろう。いや猟犬も一年の大半は家庭犬として過ごすわけで、家庭犬として過ごせるということは現代の猟犬にとって重要なことなんだな、ということだ。

 

 極北ではソリを引けなくなった犬は処分されることもあるという。ところ変われば価値観は変わるので、それを安易に非難する気などない。が、それはそれとして、ここは日本。猟ができなくなって処分というわけにはいかない(その気もない)。

 

エリザベスカラーをつけられたイチ

 

 

 犬は人生をかけて飼うもの 

 

 この記事を書いている今、イチを飼い始めてようやく10ヵ月が経つ。
 まだまだ犬飼いとして未熟ではあるが、文字通り毎日毎時犬のことを考えている。犬が下痢をしたり、怪我をしたり、何かうまくいかないことがある日もある。犬がいるせいで人間の行動も制限される。


 そういったものをすべて受け入れて、それでも犬を飼いたいと思う人が犬を飼える、ということなのだとしみじみと思った。好きで飼っているのだから、猟犬を飼っていて偉いだなんて思わない。しかし大変な労力で、例外なく毎日、その犬と向き合っているのだから、その覚悟は強いものであるとだけは言える。


 私はそのスタート地点に立ったに過ぎないのだが、おもしろい世界に足を踏み入れた実感は持っている。

 

犬は本当にたくましく、エリザベスカラーを上手に使って、匂い嗅ぎをしたり、雪を掘ったりしていった。近所の人にも心配される幸せな猟犬である

 

TEXT&PHOTO:武重 謙

 


 

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 ぜひ参考にしてみてはいかがだろうか。

 

 

この記事は2023年5月発売「Guns&Shooting Vol.23」に掲載されたものです。

 

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