2024/04/30
アイヌ犬の成長「イチ2 初めての猟期」 前編【Guns&Shooting】
イチ2
初めての猟期
2022年4月にアイヌ犬(北海道犬)のイチを迎えた。迎えてしばらくの様子は前号のGuns & Shooting Vol.22にてまとめたが、仔犬を迎えてただただ可愛かったというより、気の強いアイヌ犬とどう向き合うかを24時間ひたすら考えさせられる日々だった。ドッグトレーナーの指導も受け、本気でイチと向き合い、格闘し、もがいて過ごした。
なにもかもうまく立ち振る舞えたとは思わない。本気で取り組めば取り組むほど、未熟さを感じる日々だった。狩猟を始めた年、初めての獲物に恵まれるまでもずいぶんとあがいた記憶があるが、確実にそれ以上にあがく日々だったことは自信を持って言える。
「猟犬を飼うということは、途方もないことなのだ」
と、したり顔で語る資格もないが、まぁとにかく大変だった。
以前から猟犬を飼う人は顔付きが何か違うと思っていたが、その一端を経験した気はしている。何頭も猟犬を飼っている人は、それだけ日々注ぎ込んでいる時間も相当なものだろう。
――それだけ頑張れるのはなぜか?
それは猟期があるからだろう。犬が山で見せる一瞬のきらめきのためにすべての労力を注ぎ込んでいると言っても過言ではない。少なくとも私はそうだ。考えてみれば犬だけではない。狩猟というものは犬がいなくとも、その時間の大半は地味なものだ。
常々言っていることだが、98%くらいの時間は静かに山を歩いていたり、ひたすら待ってみたり、端から見ていれば何がおもしろいか判らないような地味な時間の積み重ねでしかない。そして訪れる一瞬――獲物が姿を見せ、銃口を向け、引き金を引く。その一瞬のために静かに積み重ねている。そこに犬という生き物が加わる。
毎日エサをやり、散歩をして、トレーニングをする。ケガや病気もするし、噛んだり吠えたり何かを壊したり、なにかと面倒もあるものだ。猟犬として活躍してほしい犬なので、一般的に必要とする運動量も多くなる。
嗚呼、犬を飼うのはかくも大変なのだ。
迎える冬の覚悟
当地(北海道)では10月に猟期を迎える。イチの初めての猟期となるが、なにしろまだ生後8ヵ月であり、お世辞にも大人とは言えない。中には早くも猟欲を開花し、見事獲物を止める犬もいるというが、イチの産まれた犬舎曰く、
「うちのオスは猟欲が出てくンのはちょっと遅いんだわ。2年目くらいまで掛かってもおかしくないよ」とのことだった。
「猟犬として育てる上で、大事なことはなんですか?」と訊ねたところ、
「とにかく山に慣らすことだ。山の景色、木の揺れる音、沢を渡ること、動物や鳥の鳴き声などに慣らすこと。大人になって初めて山に連れて行くと、怖がっちまって動かなくなる犬もいるから」そう言われた。
それなら私にだってできる、というわけで、猟期を待つことなく、散歩の中で近所の山を登り、山で過ごす時間をたくさん過ごしてきた。ちょっと時間があると、猟場にしているような山にも通い、浅い沢を渡らせたりもしてきた。
その甲斐あって、イチは山に行くのを喜ぶ犬になったし、必然的に車に乗ることさえ喜ぶようになった。そして迎える10月なのである。
「獲物を獲るのは難しいかもしれないな」
この猟期、覚悟したことである。イチと一緒に獲りたい本命の獲物はヒグマだが、まだ8ヵ月の仔犬がヒグマと相対して、適切に振る舞うことを期待するのは酷だろう。というか、私自身がヒグマを獲ったこともなく、模索している身である。
ようやくヒグマの姿を見つけることができるようになってきたが、捕獲という意味では、仔犬の存在はむしろ獲物を遠ざけるだろうという確信があった。
また、シカを獲るにしても先輩犬などがいるわけでもなく、一頭とひとりで模索するわけだから、ポンポンとうまくいくことはないだろう。犬と私が何年もかけて築き上げていかなければいけないので、イチの初猟期で猟果を追求するよりも、とにかく「何度でも山に連れて行ってやろう」と決意した。
極論――この猟期に何も獲れないとしても、それでいい。
犬を放す
山に着いてイチを放すとイチは嬉しそうにその辺を駆け回る。まだ仔犬だし、猟のことも分からないからとにかく走っているだけで楽しいのだろう、と思って見ていると、いっちょ前にその辺の匂いを嗅ぎ回り、気になる匂いを辿って駆け出したりもする。
しばらく駆けていって、私の姿が見えなくなると見えるところまで駆け戻ってくる。そして私の姿を確認すると、また次の匂いを探して駆けていく。ひたすらそれを繰り返していた。
山を歩いていると、私が行くであろう方向を察してずんずんと先に行く。そしてとにかく何かの匂いを追い、また私の姿を確認しに戻る。ほとんど私から離れていかない。
イチにはフルノの狩猟用GPSマーカー「ドッグナビ」を装着していたのだが、その必要性を微塵も感じないほどだ。実際、GPS上の距離を見ていると、せいぜい100mそこらしか離れていかないようだ。
それが一般的に良いことなのか悪いことなのか、意見が分かれるかもしれないが、いわゆる“一銃一狗”というスタイルでやる以上、極端に離れていって、GPSでしか位置がわからない状態よりは、自分の手の延長のように、お互いに姿が見え隠れするくらいで行動してくれたほうが安心感はある。良し悪しはともかく、私はそのスタイルが好きらしい。
ここで離れてくれたほうがいいなら、そういうトレーニングもできるし、逆に離れないようにする訓練の仕方もあるとトレーナーは言うが、現在の感じが心地よいと思ったので、とくに遠近を矯正しないことにした。
本命はヒグマである。昨年、ヒグマを目撃した山に入り、今年の痕跡を探すが、イチはお構いなしにシカやキツネの足跡に夢中になって、その獣道を辿って楽しんでいるようだった。家では弱気に要求鳴きをすることもあるのだが、山で鳴くことはまずないようで、いつも静かに過ごす。
何度目かの入山で、イチが地面の匂いを嗅いだまま動かなくなることがあった。普段から匂い嗅ぎは好きだから、気になる匂いがあればいつまでも嗅いでいることはあるのだが、それにしてもずいぶんと気を惹くらしく、まさに釘付けである。
「なに嗅いでんの?」
近付いて覗き込むとヒグマの糞だった。ついさっきとは言わないが、まだ湿り気もある新しい糞である。想像するに昨晩にでも垂れた糞だろう。
「クマだよクマ。これだよイチ。これを探すんだよ」
精いっぱい褒めてやる。身体を撫でてやると、イチの身体には力が入って強張っていた。ようやく糞の匂い嗅ぎが終わると、その周辺の地面を嗅いで回る。回りをキョロキョロと見渡し、ススッと先に進んでいった。もう匂いを辿る様子もない。ヒグマの糞に関しては終わったことのようで、それ以上興味を示すことはなかった。
まだ雪もなく、足跡ははっきりしなかった。わずかに残るそれらしい踏み跡を未練がましく追って歩いてみたが、それもすぐに難しくなり、シカやキツネの足跡にも荒らされ、見失った。イチは私が何をしているか判らないようで、40~50mも向こうから、こちらを向いて「早く行こうよ」と言うように催促の目をしていた。
イチはいつも私の50mほど先を歩いた。振り返れば私を確認できる距離を常に保っている。たまに見晴らしが良くなると100mも200mも離れていくが、いくら離れても、私の存在を確認できる位置を頑なに守った。
何度か山を歩くうちにシカとの遭遇が増えてきた。
あるとき真新しいシカの足跡を見つけた。まだ土の香りがするような、今しがた蹴り上げた砂埃さえ感じられるような、真新しい足跡である。イチはそれに興味を示すことはなく、スタスタッと軽快なテンポで先を急いでいたが、偶然にもその進む方向はシカの足跡が向かう方向なのである。
――シカがいたりして……。と足跡が向かう先を目で追っていると、藪に半身を隠す形でオスジカが立っているのを見つけた。距離は50mちょっとという感じで、撃てば獲れる場所にいる。イチがどう振る舞うか興味があったので、シカを驚かさないように、私は藪陰に隠れ、イチとシカの様子を見ていた。
シカはイチが寄ってきていることに気が付いて、目線で警戒しているのが判るが、ちょうどイチからは藪が邪魔して見えない場所になっている。シカとイチの距離が4~5mまで近付いたところでイチがシカの隠れた藪の方向を睨み付けた。ようやくシカの匂いを感じたのかもしれない。想像するしかないが、この一帯にシカが多いので、辺り一面にシカのうっすらとした匂いが漂っていたのだろう。その匂いの中で、まさか近くにいるとは思っていなかったらしい。
イチの緊張を嗅ぎ取ったか、オスジカが飛び出した。それを追ってイチも駆けた。何度も山に連れてきて、初めてイチが鳴いた。普段聞くイチの声とは違った“キャンキャンキャンッ”という甲高く鬼気迫る声だった。
シカが飛び、イチが駆ける。周囲は藪だらけの山だ。この地域の藪といえばチシマザサといって、細い竹のような笹で、固く密生し、背丈は人間よりも高くもなる。オスジカはその藪に飛び込んだようで、バリバリバリとチシマザサをなぎ倒しながら逃げていく。イチも藪に飛び込んだものの、背丈も体重もシカに遠く及ばないということもあり、その固い藪に阻まれ、進めなくなったようだった。
ようやく私が追いついた頃には、シカは藪をなぎ倒しながら小尾根を越えようとしていた。姿は見えず、音だけが去っていった。イチは藪の中でこちらに戻ろうともがいているようだった。
戻ってきたイチを褒めてやった。イチは全身で息をしていた。
シカの姿を見つけて追っかけていった姿が、わたしには頼もしく、美しく見えた。
TEXT&PHOTO:武重 謙
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ぜひ参考にしてみてはいかがだろうか。
この記事は2023年5月発売「Guns&Shooting Vol.23」に掲載されたものです。
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