実銃

2024/01/04

【実銃】SAIGA-12の元となった名銃AKの歴史とSAIGAのメカニズムを解説【Part2】

 

SAIGA-12 Custom

 

 

 カラシニコフライフルをベースにしたセミオートマチックショットガンSAIGA は、AR 系ショットガンより大幅にスリムで軽量という魅力がある。確実な作動を実現させるには、手を加える必要があるが、それに成功すれば最高のパフォーマンスを発揮する。SAIGA は高いポテンシャルを秘めているのだ。

 

前のレポートはこちら

 

 

AK


 簡潔ではあるがAKの歴史を追ってみたい。

 第2次世界大戦末期の1943年にソ連に侵攻して敗退したドイツ国防軍から鹵獲されたのが、世界初の実用化されたアサルトライフルとされるStG-44/Sturmgewehr 44(またはMP43/44)だった。

 

前の今回のSAIGA-12はピストルグリップにコンバートする段階でトリガーの位置を変更した。トリガーピン後方の最も手前のピンが本来のトリガー位置であった。
今回の両テストのトリガー関連パーツはTAPCO USA(アメリカ製)でフィーリングはほぼ同一。MAK-90は(約1.3kg)でSAIGA-12は1ステージの約1.6kgとなっている

 

ボルトキャッチ

 

エジェクションポート内の様子

 

 SMG(サブマシンガン)と歩兵ライフルの中間に位置する新種のミッドレンジインファントリーライフルであり、それを現実的なものにしたのが、同様にピストル弾とライフル弾の中間に位置する新型弾の存在だった。後にインターミディエイトカートリッジ(中間弾)と俗称されるカテゴリーの出発点となる7.92×33mmクルツ(Kruz)弾がそれであった。


 当時各国のボルトアクションの歩兵銃に用いられたカートリッジより、威力を引き下げ弾自体の全長を縮小・軽量化し、弾薬性能を現実的な戦闘距離に限定する事により、携行できる弾数を増やし、撃ちやすく、フルオート射撃でも安定した制御が可能となった。

 30連ボックスマガジンでリロードも容易、ライフル弾をセミ/フル切替式で撃ち続けられる継戦能力の高さは驚異的なものがあり、まさに今見るアサルトライフルそのものだった。

 

標準的なAKのエジェクションポート。7.62mm×39弾を排莢させるにはこのサイズで十分

 

SAIGA-12にはオリジナルAKにはないボルトホールドオープン機能が備わっている。しかしマガジンが空になると作動するのではなくマニュアル操作で行なう方式。これがないとフル装填しなくてもマガジンが挿入しづらく、リロードに手間がかかる弱点部分だ。ボルトを少し引くとリリースされる

 

SAIGA-12では一見すると大体同じサイズに見えるがボルト閉鎖時にリコイルスプリングガイドに装着されたカバーがボルトとの隙間を覆い隠すのでそう見えるだけで実際かなり拡張されている


 ガス作動方式と回転式ボルトを採用し、生産性を高めるプレス加工技術を駆使した全体構造と合理的な設計された新発想の歩兵ライフルは、ソビエトの技術者たちを大いに刺激し、彼らは当時の主力歩兵ライフルのモシンナガンとSMGのPPSh-41、PPS-43を置き換える次世代の歩兵ライフルのあるべき姿を模索し始めた。


 先んじてソビエトは、ドイツの新型弾に対抗する7.62mm×39弾を完成させていた。戦車部隊のメカニックを担当し、戦闘中に負傷したミハエル・カラシニコフ(Mikhail Kalashnikov)は入院中にドイツ軍の新型自動小火器に圧倒される自軍の非力さを痛感し、療養中から既にスケッチを描いて新型SMGの設計に取り組んだとされる。

 

7.62mm×39より遥かに大きく太い空ケースをエジェクトさせるためにエジェクションポートは大型化している

 

ボルトをコックする。操作性は通常のAKと特に差はない

 

マガジン挿入口から見るボルトの様子

 

 カラシニコフのSMGは採用されることはなかったが、これがきっかけで設計局に抜擢された。1943年に完成した新型7.62mm弾を提供されたカラシニコフは、ロングストロークガスピストンにより回転式ボルトを取り入れた新型銃の研究を進めるが、1945年に採用されたのは、セルゲイ・シモノフのSKSカービンだった。内蔵型10連マガジンで装弾数は限られ、フルオート機能を持たず、旧来の歩兵ライフルの範疇から大きく進化したものではなかった。

 

 

アメリカ全土に適応される連邦法とはまた別に、カリフォルニア州が独自に執行するアサルトウエポン規制法(2000年から有効)をクリアするブレットボタンと呼ばれるマガジンの半固定機能がかつて普及した。
指で直接マガジンキャッチを作動させられないが、小孔に弾頭の先端などを差し込み機能させるもので、2016年の規制で禁止となったが、所有者が規制開始前にこれを装着した状態で購入、州に再登録する事で合法所持が可能となる。これも再登録されたものだ

 

このMAK-90 はその2000年の規制時に再登録したので、本来のマガジンキャッチレバーの状態のまま今も所持ができる


 翌年に新たな新型銃の採用試験が開始され、カラシニコフは30連ボックスマガジンを使用する、よりStG44の近いモデルを開発し改良を重ねた。最終的により構造をシンプル化させ信頼性を増した試作型を1947年に完成させ、AK(Avtomat Kalashnikova)47として1949年にソ連軍により採用が決定する。


 ちなみに事実にない脚色や演出はそれなりに含まれているだろうが、この辺の開発物語は昨年『AK-47最強の銃 誕生の秘密』(Kalashnikov)という題名でロシアで映画化されている。

 

 量産化に際して本来予定したシートメタルを加工したレシーバー製造が難航し、切削加工で1951年から量産を開始。59年にはこの問題をクリアし本来求めたプレス製レシーバーを実現したAKMに切り替わった。

 

今回の使用マガジンは、5連と長い10連(純正とプルマグ製の2種類)の2種類だ。他に15連ドラムマガジンなどもある

 

SAIGA-12用とAK用マガジンの比較

 

A K は本来ダブルスタック/ダブルポジションフィードだが太いショットシェルでそれをやると大型化し過ぎるので単純なシングル方式だ


 1955年にNATOに対抗すべくワルシャワ条約機構が創設されると、東ドイツ、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、ポーランドなどの加盟国がAKを自国で製造し採用した。その他、アジアやアフリカ、中東地域でもAKシリーズは普及し、世界中の紛争で用いられている。


 NATOが5.56mm×45弾を改良したSS109を採用、そして加盟国のアサルトライフルの5.56mm口径化に伴い、対抗策として1974年にソ連も5.45mm×39弾とAK-74を後継ライフルとして採用した(7.62mm口径のAKは現在も運用されている)。その後アクセサリー装着に対応した近代化が行なわれ、AK-100やAK-12/15などが誕生している。

 

 

マガジンからチェンバーにフィードされようとしているショットシェルの様子。ボルトキャリアから伸びるガスピストンの構造は同じだが、SAIGA-12の場合はエジェクションポートに差し掛かる部分が大きくカットされシェルの排莢の妨げにならないようにしている

 

チェンバーに装填中の様子。バレル後端にエキストラクター用の長いカットがあり、発射後はボルト前方は回転しないのでそのままシェルを引き抜く

 

続きはこちら

 

Photo&Text:Gun Professionals LA支局

 

 この記事は月刊ガンプロフェッショナルズ2021年10月号に掲載されたものです

 

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