2023/03/09
【実銃】ワルサーP38コレクションで見る激動の歴史
A Short History of
Carl Walther GmbH
ドイツのカール・ワルサーGmbH本社内には歴代の自社製品を展示しているミュージアムがある。ここにはワルサーのほぼすべての銃が揃っているのだ。その一部を見ながら、1886年の創業から1994年にUMAREX傘下になるまでワルサーの歴史を振り返ってみたい。
1945年、ドイツは連合主要4ヵ国によって分割統治されることとなった。ワルサーが拠点としてきたツェラ=メリスはソ連によって統治されることが決まると、フリッツ・ヴァルターは家族と一部の側近と共に、銃の製作図面を持って西側占領地区に脱出し、バーデン=ヴュルテンベルク州南部のウルムでワルサー社の再建を図った。しかし、ドイツを管理化においた連合国は、当時ドイツ国内での銃器生産を禁止していた。
アメリカを中心とする自由主義陣営とソ連を盟主とする社会主義陣営の対立は、やがて冷戦に発展し、1949年にドイツは東西に分断された。1951年、西ドイツでエアライフルの製造が許されると、ワルサーはいち早く中折れ式スプリング銃LG51を製品化し、銃器メーカーとして再スタートを切った。続いて1953年にはエアピストルLP53を発売している。
1955年、冷戦の激化は、西ドイツの主権回復とドイツ連邦軍創設をもたらした。ドイツ国内での装薬銃の生産が解禁となり、ワルサー社のP38ピストル戦後型がドイツ連邦軍によってP1として採用された。PP, PPKもドイツ警察が採用し、ワルサー社はドイツ最大のピストルメーカーに返り咲いた。
もしかしたら、戦後に再び、軍、警察用ピストルとして圧倒的シェアを獲得したことが、ピストルメーカーとしてのワルサー社の発展を止めたのかもしれない。PP、PPK、P38(P1)を生産するワルサー社はその状態に満足したのか、これ以降、大きな改良をおこなうことなく、惰眠をむさぼり続けたたように見える。ドイツ警察拳銃
トライアルに向けては、PPスーパー、そしてP5を開発するものの、ヘッケラー&コッホ(H&K)、SIGザウアーといった新興メーカーの強烈な追い上げを受けながら、かつてのようなアグレッシブさを見せることはなかった。P5はドイツ警察ピストルとして認定されたが、同時にH&K、SIGの新型も認定され、どれを選択するかは各州警察の判断にゆだねられた。そしてワルサーP5を選んだ州はもっとも少ない。
1980年代にアメリカ軍XM9トライアルにワルサーは新型ピストルP88を開発してエントリーするものの、早期に敗退してしまった。そして1992年にドイツ連邦軍はH&K USPのバリエーションをP8として採用、ワルサーはドイツ連邦軍採用ピストルとしての肩書きをも失った。カール・ヴァルターの末裔であるヴァルター家は同社の経営に興味を失い、1993年にその株のほとんどを空砲銃とエアガンのメーカーであるウマレックスに売却してしまう。
そこからウマレックスは、ワルサーブランドの復興に向けて動き出した。その歩みについてはまた別の機会に語りたい。ワルサーQ5マッチSFの完成度を見ると、四半世紀を経てそれが現実のものになっていくような気がする。それがより確実になった時、喜びと共にウマレックス/ワルサーの小史をレポートしたいのだ。
~P38 SERIES COLLECTION~
HP
HPはHeeres Pistole(陸軍ピストル)の略で、PP、PPKをベースにMP PP、APを経て完成した。ドイツがP.38として採用する前にスウェーデン軍はこれをm/39として採用した。しかし、通常のHPは黒いチェッカードグリップ付きであるが、この個体はのちのドイツ軍用P38と同じ茶色のバーチカルライングリップが付いている。
P.38 Short Barrel
Waffenamt(バッヘンアムト)刻印135が打たれた1943年製P.38。マウザー製だ。バレルを切りつめていることから、いわゆるゲシュタポモデルに見えるが、フロントサイトの加工形状から戦後のカスタムだと思える。本当のゲシュタポモデルはごく少数しか現存せず、量産型ではないのでその仕様はまちまちだ。
P38K
戦後型P38Kだが、これはP38改良型のP4をベースにしたP38Kだ。マニュアルセイフティはなく、デコッキングレバーを操作して指を放すと自動的にレバーが水平状態に復帰する。P38の欠点であるスライド上面のカバーがなくなった。その結果、チェンバーローデッドインジケータも省略されている。フレームはアルミニュームだ。
P.38 Zero Series
ドイツ軍に採用されて納入された最初期のモデルをゼロシリーズとコレクターが呼称している。軍用であることを示す“P.38 ”の刻印がスライド左側面に入りながら、ワルサーバナーが打たれている。シリアルナンバーがその後の4桁+アルファベットではなく、ゼロで始まることから、この名前となった。
この写真の個体はドイツ軍用の茶色のバーチカルラインベークライトグリップではなく、HPの黒チェッカードグリップが装備されている。これはごく初期のゼロシリーズの特徴で、その後に茶色のバーチカルライングリップ付きとなった。
ゼロシリーズは1940年5月まで続いている。スライド右側面には、Waffenamt 359刻印があることから、軍に納入されたことは間違いない。
P.38 ac no date
1940年8月、ワルサーの秘匿コード“ac”が打たれたP.38が登場する。まだ製造年を示す数字は打たれていない。これをコレクターは“ac no date”と呼ぶ。シリアルナンバー7384~9912までがこれに当たる。このac P.38が登場する前に“480 ”コードのP.38が約2ヵ月間だけ製造された。480もワルサーのコードナンバーだ。
P.38 ac40
acコードに製造年が加わる。acを打った後に40を追加したのか、かなり下に寄っている。シリアルナンバーは4桁になったが、まだ1,000未満のため、3桁で最後にアルファベット“a”が打たれている。これはaで始まり、シリアルナンバーが9999に達したらbに移行するというものだ。
P.38 ac40
acコードの下に製造年を追加するスタイルが定着し、打刻する位置が定まった。シリアルナンバーは4749b。
P.38 ac41
1941年ワルサー製P38で、トリガーガード基部にacコードを打たなくなっている。41年でも初期はフレームにacコードを打っていた。フレーム側にac刻印を打たなくても、フレームなど多くのパーツにはWaffenamt(バッヘンアムト)刻印359が打たれており、ワルサーで製造されたことが判る。
1941年4月の段階でワルサーにおけるP38は月産1万挺に達した。しかし、ドイツ国防軍は1942年末までに416,000挺のP38の納入を求めていた。軍の要求はその後も拡大し、最終的に1,000,000挺のP38が必要となり、ワルサー1社での生産は不可能と判断された。
P.38 byf43
1940年6月、ドイツ国防軍はマウザー社に対し、P.08の製造を止め、P.38を製造するように要求した。この製造ライン切り替えが始まるまで10ヵ月を要し、さらにマウザーでP.38の製造が完全な形で可能となるのは1942年7月のことだ。本格的量産開始はその年の11月まで待たなければならない。マウザーの秘匿コードは“by f”で、Waffenamt刻印は135だ。
P.38 svw
1945年、マウザーの秘匿コードが“svw”に変更された。なぜこの変更が成されたのかは解らない。戦争末期のマウザー製P.38は金属製グリップとなり、仕上げもグレー塗装となった。これをコレクターは“Gray Ghost(灰色の幽霊)”と呼ぶ。しかし、このP.38 svwはその仕様変更がおこなわれる前の製品だ。フランス軍がマウザーの工場を接収して、自国軍用にP.38を生産させたが、それも粗末なグレイゴースト仕様だった
Photo&Text:Tomonari SAKURAI/Satoshi Matsuo
撮影協力:Carl Walther GmbH
この記事は月刊ガンプロフェッショナルズ2019年12月号 P.54~63をもとに再編集したものです。
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