2021/11/28
ワルサーMPL短機関銃【無可動実銃ミュージアム】
この1挺は戦うために作られた本物の銃だ。数奇な運命に導かれ、今はこの日本という平和な地で静かに眠っている。発射機構を排除され魂を抜かれても、その銃の魅力が廃れることはない。時代と共に歩んだ歴史を、培われた技術体系を銃はその身を持って示してくれる。その姿は銃に魅了された我々に新たなる知見をもたらすことだろう。
今回紹介するのは、敗戦国ドイツの冷戦期を物語るSMG「ワルサーMPL」だ。
すべてが裏目に出た不運のSMG
ワルサーと聞いてまず思い浮かぶのはPPKやP38といったハンドガンであろう。軍用と警察用に開発されたこれらのハンドガンはドイツ国内の法執行機関に採用されたことで、ワルサーは思惑通りに軍と警察に太いパイプを築いた。後に第二次大戦の敗戦で兵器の製造を禁止され生産拠点をロシアに奪われてしまったが、東西に分かれたドイツは冷戦の最前線という状況に直面し、再びワルサーの銃器生産を許すことになった。再軍備計画としてPPKやP38といったハンドガンに加えてSMGも求められることになる。そこでワルサーが新たに開発したのがワルサーMPLだ。
ワルサーMPL短機関銃(#10583)
- 全長:737mm(455mm)
- 口径:9mm×19
- 装弾数:32発
- 価格:¥165,000
低コストで基準以上の性能を持つワルサーMPLは順当に警察や国境警備隊に配備されていった。しかし、遅れて登場したH&KのMP5によって徐々にシェアを奪われていくことになる。その間には象徴的な出来事もあった。
1972年のミュンヘンオリンピックのテロ事件。そこでワルサーMPLを持ったドイツ警察が失態を見せてしまう。対して1977年のルフトハンザ181便ハイジャック事件では、MP5を装備したGSG-9がテロリストを制圧し事件を解決したのである。これらの事件によってMPLに対する負の印象はより強くなってしまった。
敗戦国の苦境と新生ワルサーの挑戦
MPLの開発はワルサーにとって非常に重要なプロジェクトであったに違いない。
戦後のワルサーは東ドイツ側に生産拠点を持っていたため、西ドイツでは設計図とノウハウだけで会社を再建しなければならなかった。加えて戦勝国との条約によってドイツが武器製造を禁止されたことから、フランスのマニューリンにパテントを売却して銃器の製造を開始することになった。そんな苦しい状況のなかで舞い込んだのが、ドイツ国内向けのSMGの要望だったのである。
SMGの開発の経験が乏しいワルサーがMPLを開発するうえでベースモデルとしたのは、イタリアのフランキ LF57だと言われている。オープンボルト方式は当時の他の短機関銃にもよく見られる方式であるが、バレル軸上方にボルトキャリアの大半を置く構造とすることでよりボルトの慣性による反動抑制を図り、L型ボルトを採用することで全長も短縮することができたのでコントロールも良好であった。また戦後のドイツではワルサーが最初にサプレッサーの製造を許可されたことから、MPL専用のサプレッサーも開発された本格的なSMGでもある。
最後まで正当な評価を受けられずに消えていった名銃
ワルサーMPLは同じドイツ製で後発のMP5と比較されることで低評価を受けることが多いが、MP5は次世代のSMGであり、これを基準に考えるのは適切ではない。本来はUZI、ベレッタM12、スターリングなどの同世代のSMGと比較するべきであろう。
冷戦下では、ワルサーMPLのようなSMGは代理戦争や紛争地帯でこそ真価を発揮できるのだが、敗戦国であるドイツもまた日本と同じように武器の輸出が厳しく制限されていたため生産数を伸ばすことは叶わず、1988年にひっそりと製造を終了している。
この世代の大量生産型SMGと考えればワルサーMPLは一国の軍隊が制式採用モデルにできるだけのスペックがあったことは間違いない。
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TEXT:IRON SIGHT/アームズマガジンウェブ編集部
撮影協力:F2プラント(栃木県栃木市藤岡町)
この記事は月刊アームズマガジン2022年1月号 P.206~207より抜粋・再編集したものです。