2021/06/27
九九式小銃【無可動実銃ミュージアム】
この1挺は戦うために作られた本物の銃だ。数奇な運命に導かれ、今はこの日本という平和な地で静かに眠っている。発射機構を排除され魂を抜かれても、その銃の魅力が廃れることはない。時代と共に歩んだ歴史を、培われた技術体系を銃はその身を持って示してくれる。その姿は銃に魅了された我々に新たなる知見をもたらすことだろう。
今回紹介するのは旧日本軍の遺した名銃「九九式小銃」だ。
アリサカライフルの最終形態
明治維新以降、欧米列強のアジア侵略に対して強い危機感を持った日本は、軍隊の近代化を推し進め、国産小銃の開発にも力を注いだ。日露戦争にて陸軍の主力小銃として使用された三十年式歩兵銃、その改良型の三八式歩兵銃――これらを開発したのが陸軍軍人・有坂成章であり、海外では後々の発展型も含めて「アリサカライフル」と総称されるようになった。
とくに三八式歩兵銃は、それこそ旧日本軍を代表する小銃となり、完成度の高さは当時の水準では申し分のないものだった。日露戦争と日中戦争において多くの実戦経験を積んだアリサカライフルは、更なる戦線の拡大とアジアへの派兵のために改良した「九九式小銃」へと進化していくこととなる。
九九式短小銃初期型(#79975)
- 全長:1,118mm
- 口径:7.7mm×58
- 装弾数:5発
- 価格:¥242,000
九九式小銃こそ日本製ライフルの集大成であったのだが、太平洋戦争敗戦をもって日本の軍需産業は終焉を迎え、アリサカライフルの製造にも幕が下ろされた。3度の大きな戦争にて豊富な戦闘経験を積んだアリサカライフルの技術が継承されなかったのは、実にもったいないことである。
現場の高い要求に応えた大口径ライフル
三八式歩兵銃では6.5mm口径が採用されていた。しかし、日露戦争などで戦ったロシア軍や中国軍は、モシンナガンやモーゼルなどの7.62mmクラスの弾丸を用いていたため、三八式歩兵銃の6.5mmでは威力不足で撃ち合いには不利となっていたことが露呈する。そのため日本軍は、大正8年から7mmクラスの弾薬の国産開発に着手、最終的に7.7mmというマイナーな口径の新型弾薬の採用に行き着くのだが、これには理由がある。
当時日本では弾薬を一から開発する技術がないため欧米列強の真似をするのだが、時代は歩兵戦術から機関銃による掃討戦に切り替わる頃でもあり、軍部はまず第一に優秀な機関銃を求めた。そこで英国ヴィッカース製の水冷式重機関銃をモデルに国産機関銃を開発し、それに合わせて英国規格の7.7mm弾を採用したのだった。
これを機に日本軍の標準口径となったわけだが、この大口径弾薬の開発は難航、弾薬より先に機関銃が完成するような有り様だった。また小銃用弾薬にも流用されたが強力すぎるため小銃での運用に支障をきたしてしまった。そのため急遽、小銃用7.7mm弾の開発が始められたが、それが完成したのは昭和になってからである。
時代に翻弄された名銃の末路
太平洋戦争直前の昭和15年に完成した九九式小銃は、日本軍が求めていた要求を満たすことができた悲願の小銃であった。しかし、太平洋戦争では不得手な南方のジャングルで使用され、戦況の悪化から製造の簡略化が進み、性能も劣悪になっていった。
日露戦争の勝利に湧いた時代の三八式歩兵銃などに比べると、九九式小銃に華々しい逸話は少ない。だが、戦後に欧米諸国では貫通力の高いハンティングライフルとして一定の人気を誇り、現在でも少数の九九式小銃が外国で余生を送っている。
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TEXT:IRON SIGHT/アームズマガジンウェブ編集部
撮影協力:HEADSHOT
この記事は月刊アームズマガジン2021年8月号 P.222~223より抜粋・再編集したものです。