2025/02/16
ベトナム戦争紀行 Part.1【続 撃たずに語るな!】
続 撃たずに語るな!
ベトナム戦争紀行 Part.1
By Captain Nakai
Gun Professionals 2012年6月号に掲載
ベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)当時、まだ幼かった自分はTVニュースから流れるベトナム戦争の映像をおぼろげながら覚えている。しかし、周りの大人から、ベトナムとアメリカが戦う理由や、ボート・ピープル(難民)が現れる原因を説明された記憶も無く、高度経済成長下の日本で見るインドシナ半島の戦争には、無関心の人が多かった様に思える。唯、自分には、裏のアパートに住む大学生が何度も弾いていたジミ・ヘンドリクスのエレキ・ギターのサウンドだけは脳裏に強く残った…。

学生の時、フランシス・コッポラ監督の”地獄の黙示録Apocalypse Now”(1979年)を映画館で鑑賞した。第一騎兵師団のヘリによる南ベトナム解放戦線の村への攻撃シーンなどは圧巻であったが、ベトナム戦争を知る上では抽象的なシーンが多く、当時の自分には戦争の本質を理解するのは難しかった。その意味では、ベトナム戦争の本質を見せた映画は、“プラトーン(Platoon)”(1986年)だったかも知れない。ハリウッド映画特有の押し付けがましい正義ではなく、戦争に参加した若い兵士達のやるせない気持が良く伝わってきたからだ。
その後、米国に渡り、射撃の仕事をするようになると、レンジで多くのベトナム従軍者から話を聞く機会も増え、戦争に対する関心も次第に高くなっていった。
ベトナム戦争終結からおよそ35年経った去年の夏、かねてから戦場跡巡りの目的の一つでもあったベトナム社会主義共和国のハノイ、フエ、ケサンを訪ねたので、自分の目で見たベトナム戦争紀行を紹介したいと思う。


真夏のインドシナ半島へ
連日、40度を超える真夏のラスベガスからサンフランシスコを経由して成田へ飛び、ベトナムの首都ハノイ行きの飛行機に乗り換えた。移動だけで、約19時間のフライトであった。長時間の飛行のことを苦痛に言う人は多いが、好きな酒を飲みながら本を読んだり、機内のオンデマンド映画を見て、目が疲れた頃に寝れば10時間位はあっという間である。
機内のGPSで航路を見ると、沖縄を南西に向かう航路は約40年前、沖縄の米軍基地から北ベトナムへの空爆で進んだ同じ経路(ローリング・サンダー作戦等)に思えた。当時なら、既に南シナ海に展開する偽装漁船に発見され、北ベトナム軍のミグ21がアフターバーナー全開で迎撃に発進して来ただろう…。
そんなことを妄想している間に、耳鳴りがしてきたので、外に目をやると飛行機は徐々に高度を下げ始めていた。夜に上空から見る首都ハノイの周辺はまるで停電している様に暗かった。


ハノイ・ムンバイ国際空港に着陸すると、ターミナルの屋上に真紅の旗のど真ん中に黄色い星を従えた巨大なベトナム国旗が堂々とひるがえっているのが見えたので感動もひとしおだった。
空港には警備の軍人の姿は無く、オリーブ・ドラブ色の服を着た無表情な空港警備員が日本と同じ.38クラスの小型リボルバーを携帯して警備していた。まさか、”ナガンM1895”か…?初めての国の空港セキュリティを見るのは、かなり興味深かったが、警備員の銃ばかり凝視して、到着早々に別室に連行されても困るので、確認はできなかった…。
無事、空港の税関を通過すると、夜でもムッと活気溢れるインドシナの湿気が迎えてくれた。東南アジアの空港にありがちな、タクシー運転手による、観光客の争奪戦もなく、整然とお客がタクシー乗り場に並んでいるのが意外であった。ホテルのあるハノイ市内までタクシーで45分。料金は16ドル(320,000ドン)であった。
出発するとタクシー運転手がギアをドライブに入れると同時に、クラクションに手を掛けてガンガン鳴らし始めた。日本や米国なら怒られそうだ…。

街道に出るとバイクが異常に多くなり、それらを蹴散らす為に、クラクション回数も増大する。しかも、125ccクラスのバイクには家族単位で乗る3-4人乗りが多く、運転手がメールを打ちながら、道路を逆走する「達人」もいるので、こちらはハラハラして足の爪先に力が入りっぱなしだ。運転手はそんなことは、お構いなしに、バイクを煽り、蹴散らしながら走り続ける。お陰でハノイ市内までの45分はスリル満点だった。
ホテルについて運転手に、値段を知らぬふりをして20ドルを渡すと、お釣りの4ドル分の80,000ドンをきっちり返してくれた。米国の様に理不尽なチップを要求されることも無い。日本語も英語も通じないが、初めての国ではちょっとした誠意に触れただけで嬉しく感じた。

ホテルにチェックインすると夜の9時を回り、空腹を覚えたが、ホテルのレストランは既に閉まっていたので、薄暗い夜の街へフラリと出かける。
ハノイの夜は人通りも多く、道路には食べ物等が落ちていているのか、歩いているとヌルヌルしている…。そんな生活感溢れる雑踏の中、仕事帰りのベトナム人で賑わっていた屋台を見つけたので、そこで米麺で作ったフォー(ベトナム語でファー)と春巻(ゴイ・クオン)をつまみに、333(バーバーバー)ビールを2本ラッパ飲みしてホテルに帰って寝た。どれも、アメリカで食べるファースト・フードよりも素朴で美味かった。
日本語も英語も通じなかったが、改めて自分がインドシナ半島へ来れたことを実感できた。
