2025/02/11
Springfield Armory XDM Mファクターを取り入れた、グロックに対抗できるXDの上位機種
Springfield ArmoryXDM
Mファクターを取り入れた、グロックに対抗できるXDの上位機種
By Akira
Gun Professionals Vol.2 (2012年5月号)に掲載
アメリカ市場で根強い人気を持つポリマー・フレーム・オートの一つがイリノイ州ジェネシオにあるスプリングフィールド・アーモリー社(以下SFA)が販売するXDシリーズだ。そして現在、その発展型のXD(M)が市場に挑戦している。
2008年後半、SFA社から突然XD(M)が発表され驚かされた。専用のウェブサイトが立ち上がり、長年のスポークスマンであり看板プロシューター、ロブ・レイサム氏が動画によるプロモーションを行い、数々の新しい特徴(Mファクター)を分かりやすく解説してくれた。
それまで蓄積されてきたユーザーからの様々な意見に基づく改良点が取り入れられ、単なるバリエーションという枠を超えるワンランク上の新シリーズとして生み出されたのがXD(M)であった。
年明けのショット・ショーでは、競技用カスタムを含むバリエーションを用意し、世界中からやって来た人達に披露した。スタイリッシュに進化した外見だけでもインパクトは十分あったが、内部にはそれ以上の改良が加えられていた。
同年のNRA(全米ライフル協会)機関紙であるアメリカン・ライフルマンのハンドガン・オブ・ザ・イヤー2009を受賞したことでも話題になった。40S&Wモデルから発売が開始され、続いて9mm×19と45ACP版もリリースされた。そしてバリエーションの開発が進み、3.8インチ銃身のコンパクト/セミコンパクト、そして昨年は競技用の5.25銃身モデルが発売され、XDファン達から好評を得ている。
XDが登場し今年で10年が経過したが、実際には米国進出13年目に当たる。XDになる前にHS2000としても販売されていたのだ。たまに中古品を見かけるし、XDの前身という意味で"プリXD"と呼ぶ人もいる。


ヨーロッパの南東部バルカン半島にあるクロアチアが91年6月25日の独立宣言により旧ユーゴスラビアから分離・独立を遂げ、その後のユーゴスラビア紛争を乗り越えながら、世界市場に販売できることを目指し開発を行った新進気鋭のハンドガンがHS2000であった。
新国家クロアチアの拳銃がここまで急激な成長を遂げることが出来たのも、ひとえにSFAのお陰としか言いようがない。
その発展は目覚ましく、「(グロックを除いた場合)年間ハンドガン生産数が10万挺を超す唯一の会社にまで成長した」と昨年HS社がコメントしている(ちなみに同社は自国軍用にブルパップ型のVHSアサルト・ライフル(口径5.56mm×45)も開発し製造を行っている)。


HSからXDへ
クロアチア建国後、直ぐに同国第一号ハンドガン、PHPの開発・製造がIMメタル社によって開始された。内戦下の兵器不足を補う為、急増された口径9mm×19のオートで、ベレッタM92系とワルサーP38を融合したような独自性に乏しい設計だった。製造設備も未発達状態で旧来の工法(主に切削加工)を中心とした為、生産効率は大変悪く、そして急増品のため品質も劣悪だった。
そして内戦も落ち着く95年、ここでHS(Hrvatski Samokresの略でクロアチア製ピスルの意)の名を冠するHS95が完成。今度は生産性を重視し、パーツ製造にインベストメント・キャスティング工法を大幅導入。スチール製フレームで1kgを超える重い拳銃だったが、設計ベースにSIGが選ばれ、安全機構や操作面など西側製品に太一打ちできる水準にまで達し、国内の軍・警察用拳銃となった。



これらの段階を踏み、ポリマー・フレーム・オートの製品化に着手。銃器製造経験の浅いIMメタル社にとっては大冒険だったが、設備投資が整えば建国間もないクロアチアでも世界市場へ輸出できる製品の完成を目指すことは可能であった。
この計画を推進するにあたり、デザインの指標として大成功作のグロックが当然選ばれた。98年、製造設備にCNCを取り入れ、CAD/CAMプログラムにより試作開発時間を短縮しながら試作第一号が完成した。レール部まで合成樹脂で整形し、キャスト製スライドと組み合わせたものだ。試作2号では金属製ロッキング・ブロックに長いレールを加工し、改良を加えた。最終的にスライドも自動工作機械による切削加工パーツに切り替えた。


グロックが成功した理由を研究しつつ、そこにグロックにないものを与えようという事を開発陣は目標とした。グロックを参考にした事から、外部セフティ・レバーもなく、単純化された操作性などの点で全体像は似てしまったが、独自の設計思想も多数盛り込まれている。
例えば大型の金属製ロッキング・ブロックを設置する事によってスライド、バレルを支えるフレームの剛性を高めるのもその一環であり、金属マガジンを採用することでグロックよりもグリップを細く握りやすくすることが出来た。
最も興味深い相違点が単純なSA(シングル・アクション)トリガーを選択したことだろう。当時、グロックのセイフ・アクションはまだ特許が有効だったので、そこにはタッチできなかった。



この頃、各社からストライカー発射方式のポリマー・フレームは多数開発されていたが、トリガー機構に関する考え方は二極化の傾向にあった。グロックやS&Wのシグマのようにある程度までコックされたストライカーをトリガーの作動によって更に後退させて発射する方式、それと完全なDAO(ダブル・アクション・オンリー)に分れた(変則的にワルサーP99のDA/SA方式もあったが)。
初弾と次弾以降が同一のトリガーから撃てるDAOならリボルバーと同レベルの安全性も付加でき、特に警察用として理想的な選択肢とも考えられたが、グロックの成功理由を考えれば、これは最良のチョイスとは言い切れなかった。
DAOには不発が生じても何度でもトリガーを引けるという長所もある。ただ通常品質の弾であれば不発を心配する必要は殆どない。それよりも毎回移動距離(トリガー・トラベル)が長くて重いトリガーを引かなくてはならないDAOは、一般市場では人気が伸びないという現実が横たわっていた。グロックのトリガーは全弾同一の作動に加え、DAOほどトリガーが重くなく、移動距離も短いことが幅広い市場分野に受け入れられた理由でもあった。


