2025/12/17
無可動実銃に見る20世紀の小火器 ブレン Mk I

1935年、英国はルイスライトマシンガンの後継機としてチェコスロバキアのZBを選択、エンフィールド造兵廠で量産すべく、改良をおこなった。そして完成したのがBREN Mk 1だ。それ以降、BRENとその発展改良型は英国、および英連邦の国々で半世紀以上に亘って使用され続けることになる。
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マシンガンの登場
人類史上初めて起こった世界規模の大戦争が第一次世界大戦(1914-1918)だ。数多くの経済大国を巻き込み、それぞれ連合国と中央同盟国の二大陣営に分かれて戦った。この戦争には、7千万人以上が戦闘員として動員され、そのうち1千万人以上が戦死したと言われている。
これほど多くの犠牲者が出た理由は、主要交戦国で国家総力戦になったことと、第二次産業革命の影響を色濃く受けた新たな兵器が登場したことがその背景にある。その兵器とは、戦車、化学兵器(毒ガス)、航空機、潜水艦で、さらにマシンガン(自動式機関銃)が大量に使用されたのもこの戦争が最初であった。長距離砲として列車砲も活用されている。そしてこれらの兵器が戦争の様相を一変させた。
機関銃自体は19世紀中期から存在したが、それはクランクを手動で回す人力駆動であった。1884年、Hiram Stevens Maxim(ハイラム・マキシム:1840-1916)により反動を利用して自動連射機能を持つマシンガンが発明されると、直ちにその製品化がおこなわれた。
マキシムの設立したMaxim Gun Companyはその後、スウェーデンの機関銃メーカーNordenfelt(ノルデンフェルト)との合併を経て、英国の鉄鋼メーカーVickers(ヴィッカース)に買収されている。少し遅れて、フランスのHotchkiss et Cie (オチキス&カンパニー)はガス圧作動方式によるマシンガンを開発した。世界の主要国はこれらのマシンガンを軍用火器として導入し、その配備を進めた。
マシンガンは日露戦争(1904-1905)に投入されてその実用性を証明している。ロシア軍は7.62×54mmR仕様のヴィッカース製マシンガン、およびDWM製マキシムマシンガンを主に使用し、日本軍は、6.5mmの三十年式実包を使用するオチキスMle1897を保式機関砲として使用した。
その後、マシンガンは各国に大量装備されていき、1914年に勃発した第一次大戦では、最前線で本格的に運用された。これが戦場における死者数を飛躍的に増大させる要因のひとつになっている。
但し、地上戦において拠点防衛兵器としてマシンガンは非常に有効であったものの、いざ敵陣を攻撃する際には、マシンガン自体が大きく重いため、活用が難しいという問題が顕在化した。この事は、日露戦争において水冷式の重いマキシムを使用したロシア軍と、空冷式で比較的軽量のオチキスを使用した日本軍との戦闘で既に明らかになっていたことではある。
しかし、日露戦争を実際に戦った当事国、及びこの戦争の様子に注視していた周囲の列強国の間でも、この事は強く認識されていなかったらしい。それはマシンガンの戦場での運用方法というものが、まだはっきりと確立されていなかったからだろう。
ルイス Mk I
英国軍はマシンガンとして、マキシムベースのVickers Mark I(ヴィッカース マーク1)を1912年に採用し、これを持って第一次大戦に臨んだ。これは初期型マキシムマシンガンを少し小型軽量化させたものであったが、依然として重量は18.8㎏、全装備を含めると23㎏もある。これでは、迅速な移動を必要とする敵陣攻撃には不向きだ。
実際のところ、英国軍は1885年以降、非公式にマキシムマシンガンを導入、1889年にこれを公式に採用し、いくつかの植民地紛争に投入してきた。マフディー戦争(スーダン戦役)、第一次マタベレ戦争、第二次マタベレ戦争、オムダーマンの戦い、イギリス=ザンジバル戦争などだ。しかし、これらの戦闘では敵はマシンガンを装備していなかった。第二次ブール(ボーア)戦争では、敵側にもマシンガンが装備されていたものの、その数は少なく、重量のあるマシンガンの欠点を顕在化させるものではなかった。
英国軍は急遽、ライトマシンガン(軽量機関銃)の選定に動き出す。それよりも早くにBSA(Birmingham Small Arms:バーミンガム・スモール・アームズ)は、アメリカ人Isaac Newton Lewis(アイザック・ニュートン・ルイス:1858-1931)によって開発されたルイス ライトマシンガンのライセンス製造契約を結んでいた。英国軍がこのルイスマシンガンを採用したのは1915年10月のことだった。そして1916年の初頭より、Lewis Mk 1(ルイス マーク1)として、戦場に投入した。
ルイスMk 1はロングストロークガスピストン、ロテイティングボルトのマシンガンで、本体重量が11.8㎏と、ヴィッカース Mk 1と比べると大幅に軽量だ。空冷式で、レシーバー上面に47発、もしくは97発入り円形パンマガジンを装備する。またバレルジャケット下面には折り畳み式のバイポッドが装備されていた。そのため、兵士一人でこのルイスマシンガンを持って移動しながら射撃することが可能であり、敵陣営を攻撃する際にも活用できた。
しかし、第一次大戦の戦場にルイスMk 1を投入した結果、この銃は過酷な環境に対する耐性に問題があることが発覚した。
内蔵されているリコイルスプリングは、通常のコイル状のものではなく、大型時計などに使われていた渦巻状のスプリング(Spiral spring:ゼンマイバネ、平巻バネ)が使用されていた。これを、ラックアンドピニオンギアを用いてオペレーティングロッドと接続している。このメカニズムが泥や土、埃等にまみれた塹壕戦用いるにはどうにも繊細であった。また円形のパンマガジンにはスプリングが組み込まれておらず、ボルトの動きでマガジン自体が回転して給弾する。そのためにマガジン下面は完全に解放されており、塹壕戦などの過酷な環境で使用する場合、異物が混入して作動不良を起こす可能性が高かった。
ライトマシンガンとしてルイスMk 1を活用した英国軍だったが、全くのところ、この銃に満足することはできなかったのだ。
新型ライトマシンガン選定
戦争終結から4年が経過する頃、英国陸軍のSmall Arms Committee(小火器選定委員会)はルイスMk 1に代わる新しいライトマシンガンの選定を開始した。
この時、テストされたライトマシンガンは以下の通りだ。
アメリカ Browning Automatic Rifle (ブラウニングオートマチックライフル:BAR) M1918
デンマークMadsen Light Machinegun(マドセン ライトマシンガン)
フランスHotchkiss(オチキス)M1909
英国 Beardmore‐Farquhar (ベアードモアファークワー) Rifle
そして比較用に既存のLewis Mk Iを加えた。
Mk I.
その下にある“E”と“D”を組み合わせた記号は、英国軍の検査承認マークで、Royal Small Arms Factory(RSAF)、、通称エンフィールド造兵廠で製造され、検査を受けたことを示している。
“D”はDesign Department , “E”はエンフィールド造兵廠を意味するものだ。
“1941” はこの年も製造されたことを示している。この個体はダンケルクからの敗退、その翌年に製造されたものであることを示している。
グリップ上部のセイフティセレクター刻印は、
A=Automatic(マニュアルにはBurstとも表記されている)
S=Safe
R Rounds(Semi Automatic:マニュアルにはSingle Roundsとある)
の略だ。
マガジンからチェンバーへの給弾の際、この形式だと重力を活用できるためよりスムーズに弾薬を送り込めるし、排莢の際にも有利という意見もあるが、何よりマガジンの長さに影響されず、低い位置に銃を構えられることが一番の採用理由だろう。


