2025/03/08
第二次大戦の小火器 265 ルイス ライト マシンガンMk.1 Part 1
Text by 床井雅美 M.Tokoi Photos by神保照史 T. Jimbo
ダンケルクからの撤退時に当時最新鋭だったブレンライトマシンガンの多くを失ったイギリス軍は、保管庫に眠っていた第一次大戦時のルイス ライトマシンガンを引っ張り出し、自国防衛に活用した。今回はこのルイス サブマシンガンについて解説する。

強制空冷の太いバレル・ジャケットとレシーバー上面に装着する円盤状のマガジンを備えた特徴あるシルエットを持っている。

イギリス軍最新鋭のブレン ライトマシンガンの多くを、第二次大戦の緒戦で失ったイギリスは、フランスのダンケルクから撤退後、大急ぎでブレン ライトマシンガンの量産体制を整えることになった。
それと並行して、とりあえず軍の倉庫に保管されていた第一次世界大戦の兵器の中から使用できるものを選び出し、整備して急場の武装として支給することとした。
それらの兵器の中には、ブレン ライトマシンガンの制定とともに、第一線部隊から引き上げられて予備的なライトマシンガンとなり、後方部隊の武装に転用されつつあった多数のルイス ライト マシンガンMK.1が含まれていた。
ルイス ライト マシンガンは、アメリカ軍人アイザック・ニュートン・ルイスによって開発されたユニークな構造を多く備えたライトマシンガンだった。
第一次世界大戦が始まったとき、多くの軍隊にはまだライトマシンガンに対する理解が欠けていた。ほとんどの国の軍隊が装備するマシンガンは、かさばって移動しにくい三脚架に乗せられた重量の大きいものが大半だった。
当時マシンガンは、主に陣地や味方の散兵線の最前列に配備し、敵の攻撃を撃退するための防衛用の兵器と認識されていた。そのため、敵の攻撃をより長く阻止できるよう、連射時間を長くする目的で、肉厚のバレルを装備したり、バレル冷却のための水冷式のバレルジャケットを装備していた。そのため、マシンガンは、大きくかさばり重いものとなっていた。
第一次世界大戦が始まった当時、重量の大きなマシンガンが、味方の前進と歩調をあわせて進撃し、味方を支援するための攻撃用兵器に転用できるとはあまり広く考えられていなかった。
イギリス軍の装備も例外ではなく、イギリス軍の制式マシンガンとして制定されていたのは、ビッカース・アームストロング社が製作する水冷式のバレルジャケットを装備させたビッカース マシンガンだった。
第一次世界大戦が始まってしばらく経つと、各戦線で敵と味方の力が拮抗し、ともに制圧地を確保するために塹壕を掘って対峙して膠着する、いわゆる塹壕戦に突入していった。


塹壕戦の戦場は、地表にほとんど兵士の姿が見えず、兵士たちは敵味方ともに塹壕の中に潜み、相手側の隙をついて攻撃を仕掛け、敵の塹壕を奪取するというきわめて原始的な戦闘が繰り返された。
当然のことだが、塹壕陣地の最前線には、敵の攻撃を効率良く撃退できる防御兵器としてマシンガンが配備されていた。
防御兵器として配備された敵側のマシンガンは、攻撃する側にとって最大の脅威だった。敵のマシンガンを沈黙させるための最良の兵器は、前進する味方兵士とともに進み、敵のマシンガンを制圧するための連続射撃をおこなえるマシンガンだった。
既に述べた通り、従来の三脚架に搭載したマシンガンは大きくかさばりすぎ、その展開にも時間がかかり、とても前進しながら射撃できる代物でなかった。
そこでドイツは、制式マシンガンのMG08をベースにして、この軽量化と小型化を図り、操作性の良いMG08/15マシンガンを開発して戦場に投入した。
MG08/15マシンガンは、依然として水冷式だったが、水冷ジャケットやレシーバー部分が小型化され、三脚架の代わりに、前進後ただちに射撃できる簡単な二脚が装備されていた。攻撃用マシンガン、いわゆるライトマシンガンの登場だ。
ドイツ側の攻撃を受けて、同種の軽量マシンガンを装備していなかったイギリス陸軍は、ライトマシンガンの導入を決定する。


最初に注目されたのが、ルイス ライトマシンガンだ。アメリカ人アイザック・ルイスによって開発されたルイス ライトマシンガンは、ガス圧利用式で空冷式の比較的軽量のマシンガンで、前進しながら弾薬補給の容易なマガジンによる給弾方式を備えていた。
ルイス ライトマシンガンの構造や作動メカニズムに関しては次回詳しく解説したい。
ルイス ライトマシンガンは、銃本体だけで11.8kgもあり、現代のライトマシンガンに比べれば重いものだった。それでも、当時イギリス軍が制式としていたビッカースマシンガンMK.1の重量18.8kgに比べれば軽く、そして何より小型で操作性が良かった。
ルイス ライト マシンガンは、兵士一人で運搬・操作・射撃でき、味方の前進とともに同行して支援射撃をおこなえる重量の範囲内に収まるものだった。
第一世界大戦が始まった1914年、このマシンガンの性能に注目したイギリスの大手の小火器メーカーのBSA(バーミンガムスモールアームズ)社は、ルイス ライトマシンガンのライセンス契約を結んだ。しかし、BSA社のライセンス契約は、イギリス軍が採用を決定したのを受けて進められたものではなかった。
イギリス軍がこのルイス ライトマシンガンを選定・採用したのは、第一次世界大戦開戦翌年の1915年末近い10月になってからだった。1915年は、敵側ドイツがMG08/15マシンガンを制定し、戦場に投入した年だ。
第一次世界大戦で、最初にライトマシンガンを使用したのは、ドイツ軍ではなくベルギー軍だった。ベルギー軍は、ルイス ライト マシンガンを1913年に採用し、第一次世界大戦の始まった1914年に少数ながら前線部隊に配備していた。
第一次世界大戦が始まると、ドイツ隣国のベルギーは真っ先にドイツ軍の侵攻を受けた。これに対抗するベルギー軍によってルイス ライトマシンガンが戦場で使用されたことに疑いはない。
軽量マシンガンが使用された例ならそれより前にもあった。日露戦争中、ロシアの騎兵部隊の一部には、軽量なマドセン(レキサー)ライトマシンガンが配備されており、日露戦争で使用されたことが知られている。
しかし、これらの戦闘で、軽量マシンガンが、敵の防御用マシンガンを沈黙させるたに攻撃兵器として、有効に使用されたかどうかは疑わしい。
やはり、軽量マシンガンが、攻撃兵器としてはっきりと認識され、ライトマシンガンとしての真価をはっきりと認識されたのは、第一次世界大戦の塹壕戦を経験してからだったと筆者は考えている。