2025/03/09
第二次大戦の小火器 266 ルイス ライトマシンガンMk.1 Part 2
Text by 床井雅美 M.TOKOI Photos by 神保照史 T.JIMBO


ルイスライトマシンガンの原型は、アメリカ陸軍海岸砲兵隊中佐で要塞装備選考委員でもあったアイザック・N・ルイスによって開発された。
アイザック・N・ルイスの発明家としての才能を見込んだニューヨーク・バッファローのオートマチックアームズ社は、彼の発明したオートチック火器の製品化を企画し、1910年に彼を会社に招いた。
ルイスを招き入れる以前から、オートマチックアームズ社は、サミエル・マクリーンの発案に従いマシンガンの開発を進めていた。
オートマチックアームズ社は、サミュエル・マクリーンの原案を元に、全ての用途に使用できるマシンガンを製作しようと考えていた。基本的には軽量で操作性の良いマシンガンでありながら、水冷式に変更して三脚架に搭載、長時間の射撃にも耐えられる防衛用ヘビーマシンガンに転用できる製品だ。
しかし、サミュエル・マクリーン原案の汎用マシンガン開発は思うように進まなかった。そこでオートマチックアームズ社は、アイザック・ N・ルイスを招き入れマシンガンを完成させることにしたのだった。


アイザック・ N・ルイス自身は、汎用マシンガンを求めるオートマチックアームズ社の考えとは異なり、軽量で操作性のよいマシンガンが最も有効と考えていた。しかし彼は、自身の考えを前面に押し出さず、オートマチックアームズ社で製作した自身の試作マシンガンを通じて、軽量で操作性の良いマシンガンの有利さを実証しながらオートマチックアームズ社を説得していったと伝えられる。
アイザック ・N・ルイスは、オートマチックアームズ社で、当時としては比較的軽量な空冷式の試作マシンガンを完成させた。この試作マシンガンが後のルイス ライトマシンガンに発展していくことになる。
試作マシンガンは、アメリカ陸軍にデモンストレーションされたが、期待された反応は得られなかった。そこで、アイザック・ N・ルイスはヨーロッパに渡り、ヨーロッパ各国でデモンストレーションをおこなった。
その結果、いち早くベルギーが興味を示し、ルイス ライト マシンガンのベルギーでのライセンス生産が検討された。これを受けて、リエージュにアルメー・オートマチック・ルイス社が設立され、ここでルイス ライト マシンガンの生産が始められる。
しかし、ベルギーでのルイス ライト マシンガンのライセンス生産は限定的で、ライセンス生産が始まってまもなくライセンス生産拠点がイギリス大手民間小火器製造メーカーのBSA(バーミンガム・スモール・アームズ)社に移る。


1914年に第一次世界大戦が勃発すると、マシンガンの需要が飛躍的に増大する。
前線により多くのマシンガンを送るためBSA社の製造ラインはフル稼動を始める。しかし、前線のマシンガンの需要は想像以上に大きかった。
当時BSA社が持っていたマシンガン製造ラインの生産キャパシティは、一日あたりルイス ライト マシンガンを6挺とビッカース ヘビーマシンガンを1挺製作できるだけにすぎない。
マシンガンの需要はBSA社の生産キャパシティをはるかに超えており、一朝一夕に増強できないことは明らかだ。
イギリス軍のルイス ライト マシンガンの需要は大きく、戦争が拡大するにつれ、この戦争に参戦していなかったアメリカでのライセンス生産が検討され始めた。アメリカでルイス ライト マシンガンのライセンス生産工場として選ばれたのは、ニューヨーク州ウティカにあったサベージ社だ。
サベージ社におけるルイス ライトマシンガンのライセンス生産は、1915年に始められた。そして2年後の1917年には、1週間あたり200挺のルイス ライト マシンガンを生産するまでになった。
サベージ社で生産されたルイス ライト マシンガンは、連合国に送り出されると共に、.30-06口径のものが製造されて、アメリカ軍にも供給された。


第一次世界大戦は、アイザック・N・ルイスのマシンガンに対する考え方が正しかったことを証明することになった。
第一次世界大戦は、マシンガンが初めて大量投入された近代戦争とされている。敵味方とも守備用のヘビーマシンガンを大量に装備して戦われた戦争だった。
マシンガンで守られた敵陣を切り崩すのに必要とされた歩兵用の兵器が、軽量で攻撃に加われるライトマシンガンだった。ルイス ライトマシンガンは、銃本体が11.8kgあり現代のライトマシンガンに比べれば重いが、兵士一人で運搬できる範囲内で、しかもベルト給弾ではなく、マガジンによる給弾方式で設計されており、攻撃用ライトマシンガンとしての性能を備えていた。
第一次世界大戦で初めて登場した兵器の一つに航空機があった。航空戦は、最初お互いの航空機のパイロットがピストルで射撃しあって相手を撃墜するなどという原始的な戦闘方法も試みられたが、じきに軽量のマシンガンと機関銃手を搭載し、これで相手の航空機を射撃するようになった。
当時の航空機は、エンジン出力が小さく積載量にも大きな制限があったため、搭載するマシンガンは軽量なほどよかった。比較的軽量で、空冷式だったルイス ライトマシンガンは、航空機搭載兵器として適していた。
しかも、空中を飛行して絶えず空気が流れている航空機で使用するため、空冷式のルイス ライト マシンガンは、地上で使用するのと異なり、バレル周囲のバレルジャケットを必要としなかった。バレルジャケットを取り外すことによって、ルイス ライト マシンガンは、さらに軽量化できた。
ここまでは軽量のマシンガンにこだわっていたアイザック・N・ルイスの狙い通りの結果となった。しかし同時に、第一次世界大戦は、この銃の持つ欠点も明らかにすることになった。
第一次世界大戦が後半になると、両軍が拮抗し、その結果、両軍が塹壕を掘って対峙し合う、いわゆる塹壕戦に突入する。塹壕戦は、敵と戦う前に泥や水と戦わなければならない戦場だったとよく言わている。ルイス ライト マシンガンは、このような過酷状況に対して高い抵抗力を示すマシンガンではなかった。
その理由は、このマシンガンは、メカニズム的に泥や水に弱かったのだ。
ここでそのルイス ライト マシンガンのメカニズムを見ることにしよう。
