2025/11/12
無可動実銃に見る20世紀の小火器 201 FNハースタル MINIMI

FNハースタルが1974年に初めて公開したMINIMIライトマシンガンは、その後改良を加えられ、1982年にアメリカ軍によりM249として採用された。それ以降NATO構成国やアジア、南米でもMINIMIは広く採用されるようになり、その流れは、冷戦終結後に旧東欧圏の一部にも広がっている。現代ライトマシンガンのディファクトスタンダードとなったMINIMIについて、その歴史とバリエーションを解説したい。
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小火器体系の単純化
朝鮮戦争後、アメリカ軍は、複雑化した小火器体系を見直し、大幅に簡略化した。ライフル、カービン、サブマシンガン、ライトマシンガンをすべてアサルトライフルM14(約10年後にM16A1へ変更)に統合し、その上に汎用マシンガンとしてM60を置いた。他の西側諸国も、機種は違うものの概ねアメリカ軍と同様に小火器の統合を進めたが、ヨーロッパ各国は1970年代まで、サブマシンガンを装備に残している。
一方、ソ連を盟主とするワルシャワパクトも、概ね似た火器体系となり、アサルトライフルとしてAK(カラシニコフライフル), 汎用機関銃としてPK(カラシニコフ機関銃)を設定した。しかし、東側はこのAKとPKの間に、分隊支援マシンガンとして、RPD(デグチャレフ軽量機関銃)を設定したところに大きな違いがある。
米ソの代理戦争であったベトナム戦争は、東西の火器体系の優劣を鮮明にした。ジャングル戦において軽量弾を使用するカラシ二コフライフルが、フルロード弾を使用するM14より有利であることだけでなく、軽量マシンガン(RPDの後継RPK)が想像以上に役に立つという事を鮮明にした。アメリカ軍のM60 GPMG(General Purpose Machine Gun:汎用マシンガン)は、10.4㎏もの重さがあり、足に頼らざるを得ないジャングル戦では、その運搬が難しい。また重量のあるフルロード弾7.62×51 mmを使用することから、弾薬の運搬も容易ではなく、結果的に戦力低下を引き起こした。これに対し、ソビエト製RPKはAKMと同じ7.62mm×39を使用する軽量マシンガンであるため、容易に運搬し、分隊を支援することが可能であった。
RPKのような分隊支援火器の必要性を感じたアメリカ軍は、フルオートマチックでのコントロール性に問題のあるM14を改造し、M15、M14E2を経てM14A1を作り出し、これを分隊支援火器としようと試みた。但し、これは性能的にアメリカ軍を満足させるものではなかった。わずか5.9㎏の重量では7.62×51 mmをフルオートマチック連続射撃した場合、その安定性は確保できない。またバレル交換システムが無いため、連続射撃にも限界があった。
第一次、第二次大戦と朝鮮戦争で使用した BAR(Browning Automatic Rifle)は、マガジン容量が20発しかなく、またバレル交換ができないため、弾幕を張って敵を制圧するといった使い方はできない。そのため少数はベトナムでも使用されたものの、この時点でアメリカ軍が求めるものではなかった。
1960年代、AR-15およびM16ライフルの開発者であるEugene Stoner(ユージン・ストーナー:1922-1997)が、軍用車両メーカーであるCadillac Gage(キャデラックゲージ:現在のTextron Marine & Land Systems)で、システムウエポンとしてStoner 63(ストーナー63)を開発していた。これはアサルトライフルをコアにカービン、ライトマシンガンへ組み換えが可能なモジュラーウエポンシステムだ。
このことを知ったアメリカ陸軍、海軍、及び海兵隊(USMC)は、ライトマシンガン仕様のストーナー63AにXM207のナンバーを与えて、テストをおこなった。それはアサルトライフル仕様のストーナー63とは異なり、レシーバー上部に30連マガジンを装着、バレル交換システムを持つ本格的なライトマシンガン仕様のバリエーションだ。
陸軍はテストをおこなったもののこのXM207を採用していない、一方、USMCとSEALsはMk23Mod.0として採用、分隊支援火器としてベトナムに送り込んだ。しかし、これも満足できる性能を示すことはなかった。
結局、アメリカ陸軍はベトナム戦争終結まで本格的なSAW(Squad Automatic Weapon:分隊支援火器)を装備することはなかった。
SAWプロジェクト
1972年、アメリカ軍はSAWの研究を開始した。これはSAW Projectと呼ばれ、1974年に最初のトライアルがおこなわれている。エントリーしたのは、
・Maremont Corporation(マーモント コーポレーション)のSaco部門(のちのSACOディフェンス)が開発したM60 GPMGを軽量化したXM233
・Philco-Ford(フィルコフォード:のちのエアロスペース)が開発したXM234
・Rock Island Arsenal(ロックアイランド造兵廠)のRodman Laboratories(ロッドマン研究所)が開発したXM235
以上の3機種が、アメリカ国内開発モデルだ。これらは、いずれも1971年にFrankford Arsenal(フランクフォード造兵廠)が試作した6×45 mm(弾頭重量:106gr)を使用する。その時点でアメリカ軍が採用していたM193(5.56×45mm:弾頭重量55gr)ではなく、この6mm弾を使用する動きがあったのは、この新しい分隊支援火器は、一般のライフル(M16A1)より長い射程に対応し得ることを目指していたからだ。
ヨーロッパからはこのトライアルに以下の2機種がエントリーしている。
・ドイツのHeckler & Koch(ヘッケラー&コッホ)によるG3の発展改良型HK21A1
・ベルギーのFNが新たに開発したMINIMI
このHK21A1はこの時点でアメリカ軍の5.56×45 mm(M193)を使用し、MINIMIは改良型5.56×45 mm弾を使用するものだった。このFNによる改良型5.56×45 mm弾(弾頭重量63gr)は、後の1980年にSS109として第二NATO弾(STANAG4172)に採用されている。
ミニミ開発の経緯
MINIMI(ミニミ)とは、フランス語の、Mini(小型)、Mitrailleuse(機関銃)を組み合わせ、短縮した造語だ。MINMIの設計開発は、かつてデュードネ・ザィーヴと共にFALを開発したエルネスト・ヴェルヴィエ(Ernest Vervier)が中心となっておこなわれた。
エルネスト・ヴェルヴィエがこのマシンガンの開発を開始したきっかけは、英国の特殊部隊であるSASが、使用しているL7A1(FN MAG)より小型軽量のマシンガンを欲していることにあったといわれている。MINIMIの初期試作モデルはFN MAGと同じ7.62×51mmを使用するものであったこともそれを裏付けているように見えるが、SASが正式にFNにそのようなマシンガンの開発を要求した事実はないようだ。
実際のところ、FNがMINIMI開発に動き出すきっかけや、その後の完成に至るまでの経緯については、ほとんど明らかにされていない。
いずれにしてもFNはMAGより軽量なマシンガンの開発を開始し、その後にアメリカ軍のSAWプロジェクトにエントリーすべく、この新型マシンガンを5.56×45mm改良型弾薬を使用するものに対応させていく。
他のアメリカ国内の候補がいずれも6×45mm弾を使用していたのに対し、FNがそれに倣わなかったのは、FNとしてはアサルトライフルと弾薬を共通化させることによる利便性を重視したからだという説がある。
ちょうど同時期、FNは同社最初の5.56×45mmのアサルトライフルとしてCAL (Carabine Automatique Légère:英語にするとLight Automatic Carbine) を製品化していた。FNとしては、CALとの組み合わせで世界市場に向けて販売する計画があったとしても全くおかしくない。
いずれにしても、そういった開発の経緯は、なぜかほとんど公開されていないのだ。


