2025/06/17
1976年製ブラウニングハイパワー クラシックカスタム
シングルアクションのコックド&ロックドピストルこそがプロのツールだといわれていた時代、ほとんどのカスタムガンは1911ベースだった。しかし、一部にハイパワーカスタムも存在したことも忘れてはいけない。だから、あの時代のテイストが漂うハイパワーを今、改めて再現してみた。
“ワンダーナインの祖父”ハイパワー
今も根強い人気を持つ、ショートリコイル シングルアクションハンドガンがブラウニング ハイパワーだ。正式名称は“FN Browning Hi-Power”で、これはベルギーのFabrique Nationale d'Armes de Guerre(ファブリック・ナショナーレ・ダルメー・デ・ゲール:国営戦争武器工場:いわゆるFN社)で製造されたジョン・M・ブラウニング デザインのハイパワーモデルを意味する。
ハイパワーは、John Moses Browning(ジョン・M・ブラウニング:1855-1926)が最後に設計した拳銃として知られているが、名著“FN Browning Pistol Side-Arms that shaped World History”(アンソニー・ヴァンダーリンデン著)によると、1921年の時点でブラウニングがデザインしたプロトタイプは、プロダクションモデルとはまるで別物であったということだ。

口径: 9mmLuger マガジン装弾数: 13+1(15+1,17+1)
全長:198mm
全幅:35mm
全高:132mm
銃身長 4.7インチ(119mm)
重量:920g
まず、後年ハイパワーと呼ばれるようになったモデルは、1921年のフランス陸軍による新たなサービスピストル選定にあたり、FN社が開発を依頼されたタイミングでプロジェクトがスタートしている。
当時FN社と契約していたウェポンデザイナーであったジョン・M・ブラウニングが達成しなければならないフランスミリタリーからの要求条件は、以下のようなものであった。
・15発の装弾数を備えること
・コンパクトであること
・信頼できるマニュアルセイフティを備えること
・マガジンディスコネクトを備えること
・堅牢な造りで、通常分解、組み立てが簡単にできること
・50m先のターゲットに、必要十分の精度と殺傷能力があること
1922年の時点でブラウニングが作り上げたプロトタイプは、16連発、ロックドブリーチ方式のストライカーファイアシステムの銃で、我々が知るハイパワーとは似ても似つかないデザインであった。
当時のブラウニング氏は、自身が完成に深く関わったM1911 USアーミーオートマティックピストルの権利を、コルト社に譲渡しており、自らが取得した構造パテント(特許)を侵害するわけにいかないという背景がそこにはあったのだ。
このフランス軍サービスピストルトライアルは、すぐに結論には至らず、その後も長期間継続されていく。

1926年11月26日、ジョン・M・ブラウニングはFNのオフィスに入ろうとしたとき、心不全により他界してしまう。これにより、ハイパワープロジェクトは以後FN社のチーフデザイナーとなったデュードネ・サイーブ(Dieudonne Saive)の手に委ねられた。
1920年代後半までに、それまでのブラウニングデザインの改良版を何挺か完成させていたサイーブは、1928年にコルトM1911のパテントが失効すると、翌年にはそのいくつかの重要フューチャーを組み込む形で、自らが開発したショートリコイル、13連ダブルカラアムマガジンのシェイプアップモデルを完成させる。これが、1929“グランド レンデメント(Grand Rendement)”モデルだ。このデザインは少量がコマーシャルモデルとして製造され、カタログに掲載、各国のミリタリーで採用されることを狙ってアピールを開始したのだ。

1931年になると各部(グリップ形状、インテグラルブッシング等)を改良したモデルが完成し、ベルギー陸軍からフィールドトライアル用に1,000挺のオーダーを獲得する。トライアルはその後も続き、1934年になると各部に改良を施したプロダクションモデル“Pistolet Browning Grande Puissance(フランス語で“ブラウニング ハイパワー ピストル)の製造に着手する。
1935年にはベルギー陸軍から“P-35”としてタンジェントサイトモデルの制式採用が決まり、1万挺の契約が締結された。他にもフィンランド軍、ペルー陸軍、リトアニア軍等にも採用され、ハイパワーは一躍最新軍用ピストルとして脚光を浴びる存在となった。
元々はフランス軍用として開発が始まったハイパワーだが、そのフランス軍は当初の要求項目を大幅に修正し、最終的にはブラウニングデザインではなく、Charles Petter(チャールズ・ペッター)が設計したSACMモデル1935Aを採用した。

しかし、1939年に第2次世界大戦が勃発すると、ベルギーはナチス・ドイツ軍に侵攻され、1940年にはドイツの軍政下におかれてしまう。FN社も接収されてドイツ軍のために火器を製造せざるを得ない状況に陥った。この時、ハイパワーも“Pistole 640(b)”としてドイツ軍向けに製造供給されている。
しかし、FN社はドイツ軍に接収される前にデュードネ・サイーブを含む会社幹部がイギリスに逃れ、連合国側でのハイパワー製造を促している。結果としてカナダのトロントにある“John Inglis and Company社”によって、タンジェントリアサイト+デタッチャブルストック付きモデルと、通常のフィクスドリアサイトモデルの2種類が製造され、イギリスの落下傘部隊や、各国の特殊部隊に愛用された。
これにより、ハイパワーは第二次大戦中、連合国と枢軸国両方のサービスピストルとして活用される稀有な存在となるのだ。。
大戦後、再建されたFN社でのハイパワー製造が改めてスタートした。戦後においてもミリタリーピストルとしてのハイパワーの地位は揺るぎなく、その結果NATO加盟国やイギリス連邦など、80近い国のサービスピストルとして使われるほど、広く普及していく。
1973年、FN社はFabrique Nationale d'Herstal(FNハースタル)に社名変更している。さすがに国営戦争武器工場という名前は、時代にマッチしないと判断されたのだろう。
その一方で、1970年代後半には、ハイパワーの時代に陰りが見え始めた。ベレッタ92などのダブル/シングルアクション+軽量アルミ多弾倉フレームを備えた次世代ワンダーナインが、ミリタリーやLE機関のハンドガンとして注目されるようになったのだ。
そこでFNハースタルは、時代に合わせてダブル/シングルアクショントリガーを組み込んだ新型ハイパワーDA(ダブルアクション)を市場投入した。しかし、これはほとんど注目されることはなかった。
FNハースタルは結局、既存のハイパワーの製造を継続、1982年には小改良を加えて、Mk IIに進化させている。
1980年代には、画期的なグロックが登場、そのストライカーファイア/ポリマーフレーに注目があつまった。一方、FNは1988年にハイパワーをさらに改良し、Mk IIIに発展させている。しかしこれも、基本的な構造は1935年モデルと変わっておらず、状況に大きな変化をもたらすものではなかった。
時期ははっきりしないが、もはや既存のハイパワーに小改良を加えたとしても、軍用銃として新規採用される見込みはないと判断したFNハースタルは、その製造供給をグループ会社であるブラウニングアームズに移管した。この時点でハイパワーは民間市場向けの製品とはっきり見做されたわけだ。
時代はベレッタ92、SIG SAUER P226、CZ75などに代表されるダブル/シングルアクションのハイキャパシティモデル、またはグロックを始めとしたストライカーファイア+ポリマーフレームモデルが、軍、LE機関用のピストルとして広く活用されている中にあっても、コックド&ロックドが可能なシングルアクションオートであるハイパワーは、一部のファンに好まれる存在であり続けた。しかし、そのカテゴリーにおいても、2011やCZ75の発展型が次々と生み出されている中で、ハイパワーは進化を止めた中途半端な存在になっていく。
そして2017年、FNハースタルは1935年から続いたハイパワーモデルのグループ会社での製造供終了をアナウンスするに至った。これにより、ハイパワーの時代は完全に終わるかと思われた。
ところが、ここで興味深かったのは、この製造終了アナウンスによって、程度の良い中古ハイパワーが注目を浴び、その市場価格がじわじわと上がっていくという現象だ。無くなるといわれると、それまで興味がなかったものでも急に欲しくなるという事なのだろう。
さらには昨今意気軒高なトルコのガンメーカーは、オリジナルとパーツの互換性があるハイパワークローンを製造供給しており、それらの人気も上昇している。2021年にはあのスプリングフィールド社からもハイパワークローンである“SA-35”がマーケットに参入した。
一方、FNハースタルのグループでアメリカ法人のFNアメリカは、2022年に新型のFNハイパワーを発表した。この新型は17連マガジンのシングルアクションハンマーモデルであり、往年のハイパワーの血統を受け継いだアップデートモデルという位置づけだ。しかし、残念なことにこの新型はほとんど注目されていない。
そのようなわけで、ブラウニングハイパワーの時代は確かに終わったのだろう。アップデートした新型があまり市場から受け入れられていないということからそれが伺える。
すなわち今は、ノスタルジックな往年の名器としてのハイパワーが好まれる時代になっているということなのだ。